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なぜ千尋が豚の両親を見分けることができたのか 高畑勲監督は問う

4月5日、スタジオジブリの高畑勲監督が肺がんのため、亡くなった(享年82)。5月15日に行われた「お別れの会」に出席し、高畑氏への取材経験もあるコラムニストの小石輝が、高畑氏と宮崎駿氏の55年間を振り返る。

【写真】公園を自転車で颯爽と駆ける高畑勲氏

なぜ千尋が豚の両親を見分けることができたのか 高畑勲監督は問う
高畑勲氏©文藝春秋

憔悴し、途方に暮れた様子の宮崎駿

あんなに憔悴し、途方に暮れた様子の宮崎駿を見たのは初めてだった。5月15日に「三鷹の森ジブリ美術館」で行われた「高畑勲お別れの会」でのことだ。

「迷路のように入り組んだ美術館の中に、どうやって人を入れるんだろう」と思っていたが、予想に違わず、招待された弔問客の大半は館外のテントで、モニター越しに会の様子を見守ることになった。

たぶん宮崎駿は、大きな斎場で、見知らぬ人々と一緒に高畑勲を送ることが、どうしても我慢ならなかったのだ。自らの手がけた美術館の中で、少数の親しい人々だけと共に、高畑との「最後の別れの時」を過ごしたかったに違いない。そんな宮崎の思いを、いったい誰が責められるだろうか。

宮崎の高畑を送る言葉は、その大半が、高畑の初演出作品「太陽の王子ホルスの大冒険」(1968年)にまつわる思い出だった。宮崎は当時、東映動画に入社したばかりの新人だったが、高畑や作画監督の大塚康生は、並外れた資質を見抜き、メーンスタッフの1人に抜擢した。宮崎は送る言葉でこう断言した。「僕はこの作品で、仕事を覚えたのだった」。

高畑勲は、共に働くスタッフたちの才能を活かしきる

宮崎は「ホルス」を通じて、自らの抱いたイメージが画面の中で具現化し、縦横無尽に駆け回るという「アニメーションを作る快楽」を知った。そして、宮崎がその資質を十全に発揮できる「お膳立て」を整えたのが高畑だった。大塚も著書の中でこう書いている。「(ホルスの)制作過程でも、高畑さんは組合民主主義を体現していました。この映画に参加した私には、それまでのどの映画よりも、自分の持っている可能性が生かされたという喜びがありました。たぶん、全員に同じような感激があったと思います」。

高畑のもっとも優れた資質のひとつが「共に働くスタッフたちの才能を活かしきる」ことだった。

宮崎が高畑との思い出で真っ先に「ホルス」を挙げたのも、それが高畑との初仕事であったということ以上に、「アニメーターとして最初にして最高の快楽を味わわせてくれたのが、『ホルス』での高畑だったから」ではないか。

高畑が監督・演出を担当し、その下で宮崎が思う存分アニメーターとしての腕を振るう、という仕事のパターンは「ホルス」以降も、「パンダコパンダ」(1972年)、「アルプスの少女ハイジ」(1974年)、「母をたずねて三千里」(1976年)と続いた。

特に後者2作品の映像表現の素晴らしさ、作品としての深みは、週1回放映されるテレビアニメの枠をはるかに超えている。正直言って「これを見てしまうと、昨今のドラマや映画の大半が幼稚に見えてしまう」ほどだ。

2人がタッグを組んで全力を傾けた「ハイジ」と「三千里」

一例を挙げれば、「三千里」の第7話、アルゼンチンで働く母親からの連絡と仕送りが途絶えたことでマルコの家は困窮し、海辺の古いアパートに引っ越さざるを得なくなる。

マルコは父親から「今度の家は海がよく見える」と聞いていたが、実際に越してみると、アパートの最上階なのに、林立する他のアパートにさえぎられて、海はほんの少ししか見えない。失望をかみ殺したマルコは、少しでも海がよく見える場所を探そうと屋根伝いに歩き始める。海の向こうには母がいる。「海の見える場所を探す」のは、やがてマルコが母を探す旅に出ることの暗示であり、かつ「希望を求めて歩み出す」ことの暗喩に他ならない。

この場面、宮崎による高低差を活かした絶妙のレイアウト(各シーンの構図や人物配置、キャラクターのポーズ・表情などを定めた「アニメ映像の設計図」)のおかげで、マルコはただ歩いているだけにもかかわらず、観る者は終始ハラハラした思いを味わわされる。それは、母を求める旅の危険をも予感させる。そして、この「危険な散歩」のさなか、マルコは後にアルゼンチンを共に旅することになるヒロイン、フィオリーナと再会するのだ。

フィオリーナは、「母親が旅芸人の夫に愛想を尽かし、出て行ってしまった家の娘」だ。マルコは母と離ればなれだが、母の自分への愛情自体はゆらぎないものとして信じられる。だが、フィオリーナは、母の愛を心から信じることさえできない。マルコを決して「悲劇の主人公」として絶対視しない、高畑独特の醒めた視点が、すでにフィオリーナの人物設定の中に用意されている。

決して過剰な演技やセリフに頼らず、巧みな人物設定や状況設定、場面に込められた様々な象徴性によって、観る者を作品世界に深く引き込んでゆく、高畑の恐ろしく高度な演出と、それを卓越したレイアウトで支える宮崎。

日本の、いや世界のアニメーションの最高峰は、2人がタッグを組んで全力を傾けた「ハイジ」と「三千里」ではないか、という思いを、私は禁じることができない。

宮崎は2013年、後に撤回することになる「引退宣言」の会見でこう述べている。「監督になってよかったと思ったことは一度もありませんが……、アニメーターという職業は自分に合っているいい職業だと思っています」「自分がそれなりの力をもって彼(高畑)と一緒にできたのは『アルプスの少女ハイジ』が最初だったと思うんですけど、そのときに打ち合わせが全く必要のない人間になっていたんです、相互に。こういうものをやるって出てきたときに、何を考えているか分かるって人間にまでなっちゃったんです」

宮崎駿の本当の願いは「いつまでも、高畑勲の下で1人のアニメーターとして働き続ける」ことだったのではないか。

だが、現実には「三千里」の頃から、高畑と宮崎との関係にはすでに微妙な距離感が生じ始めていた。宮崎は1979年のインタビューの中で、こう話している。「僕は『三千里』でせっかくマルコとフィオリーナが走り寄ったのに抱き合わない、ああいうのは嫌なんです」「『三千里』ではもう、パクさん(高畑)に全部お預けになっちゃってね。そうすると今度は、こっちの欲求不満が高じてくるんですね」

高畑も、当時についてこう振り返る。「一緒に作った宮さんは、主人公が旅の先々でトラブルを解決し、一宿一飯の恩義を果たす股旅ものをやりたかったのだろうが、僕は惨めな話がよかった。靴が壊れ、生爪がはがれるといった、目を背けたくなるエピソードもあえて入れた」。

高畑は決して、同じ場所にとどまり続けないクリエーターだ。「美しい自然の中での、天真爛漫な少女の物語」である「ハイジ」の次に挑んだのは、「自意識過剰で生意気で、感情移入しづらい少年」を主人公とする「イタリアのネオリアリズム映画調」のリアルでハードな物語だった。そうした作品全体のトーンは、宮崎にとって耐えがたいものだったのではないか。

現実とイマジネーション

高畑は一貫して、「作品を観ることを通じて、観客が現実への教訓をつかみ取ってくれる物語」を描き続けた。「つらい作品は映画館で何人かで一緒に見て、『たまらない映画だったねえ』『ああいうこともあるんだよ』と話し合って欲しい。そうすると人生も分かるし、自分自身もそれなりに強くなる」。遺作となった「かぐや姫の物語」も、周囲の人々の気持ちをおもんばかるあまり、自分自身の欲求に素直に従えず、充実した人生を送れなかった女性の悔恨を、冷徹に描いた作品だった。

一方、宮崎が常に志向し続けたのは、現実のやりきれなさ、不快さを一時でも忘れさせてくれる作品、自らの内面から絶えずわき上がってくる「現実を凌駕するイマジネーション」を具現化するような作品だった。

「僕は、自分が見たいものを作りたい。僕は、漫画映画は、何よりも心を解きほぐしてくれて、愉快になったり、すがすがしい気持ちにしてくれるものだって思っている」

「漫画映画は、喪われた可能性を描いてくれるものなんです」

彼らのタッグは、高畑が監督を務めた「赤毛のアン」(1979年)の制作途中、宮崎がメーンスタッフから降りて、映画「ルパン三世カリオストロの城」の監督となったことで終わりを告げる。その後の2人は、「監督とプロデューサー」という関係で支え合うことはあっても、具体的な作品づくりで深く関わり合うことはなかった。

「現実に立ち戻る作品」を目指す高畑と、「現実からの離脱」を志向する宮崎。2人がいずれ袂を分かつのは、必然だったのかもしれない。

創作者としての両者の立場は一見、対等なように見える。しかし、そこに「社会に対する向き合い方」という判断の軸を入れると、話は変わってくる。

「なぜ、千尋が両親を見分けることができたのか」という問い

高畑は自らの映画を説明する際に「思いやり」「思い入れ」という言葉をよく使った。

高畑自身が目指したのは「思いやり」の演出だった。場面全体を見渡せる「引き」や俯瞰のショットを多用し、主人公だけではなく、他の様々な登場人物の抱える事情や、感情の動きを明確に見せる。それによって、主人公の立ち位置を相対化し、「自分だけではなく、他人の立場を思いやれる」境地へと観客を導こうとする。「三千里」で、「母を求める主人公・マルコ」の傍らに、「母に裏切られたヒロイン・フィオリーナ」を置いたのは、その典型例だ。

一方、高畑によれば、日本の多くのアニメーション映画は、観客を作品世界に巻き込むため、主人公だけに徹底的に「思い入れ」させる技法を発達させた。一見、観客と同じような凡人が非凡な力を発揮する。カメラを主人公のすぐ後ろにすえ、主人公が見ている光景をほぼそのまま観客が体験できるショットを多用する。観客は主人公と一体化し、きわめて主観的に世界を体験することになる――。

ここで高畑の言う「思い入れ」作品の典型例が、宮崎の代表作「千と千尋の神隠し」(2001年)であることは、高畑自身が明言している。無気力な少女・千尋は異世界に放り込まれるや、別人のように精力的に動き始め、大冒険をする。そして、最後は豚に変えられた父母を見分ける試練を課されるが、即座に「ここにはお父さんもお母さんもいない」と答え、「大当たりぃ!」と絶賛されるのだ。

高畑は問う。「なぜ、千尋が両親を見分けることができたのか」と。その理由は、作中では一切明示されない。観客は千尋と共に冒険を繰り広げる内に、自然と「千尋(私)ならそれぐらい見分けられて当たり前」と思い込まされる。それは、観客から「自分自身を突き放して客観的に観察する」視点を奪うことに他ならない。

宮崎自身、「千と千尋の神隠し」の制作中には「こんな絵コンテを描いたら、パクさん(高畑)に叱られる」とぼやき続けていたという。

宮崎は「自分の見たいものを作る」ことを続けざるを得ない

多くの人々が現実世界で「自分の主観からだけしか世界を観察せず、他者の視点を思いやれず、善悪を単純に判断している」ことが、様々な社会的対立や戦争を助長している。高畑の価値基準に照らせば、宮崎の映画は、他人の立場を思いやれない『思い入れ人間』を増やし、現実社会をより愚かにすることに手を貸していることになりかねないのだ。

宮崎は、高畑のような「理性の人」ではなく、「自らのイマジネーションをアニメによって具現化したい」という衝動に取り憑かれた人間だ。たとえ高畑から批判されようと、「自分の見たいものを作る」ことを続けざるを得ない。その一方で宮崎は、高畑の批判を決して無視できない。なぜなら、宮崎も高畑も幼少時に戦争というものを経験し、東映動画で本格的な労働組合活動を経験した人間だからだ。

戦争は創作活動を含め、すべての生活の基盤を根絶やしにしてしまう――。そのことを腹の底から知っているだけに、高畑も宮崎も「創作が主で社会は従」という芸術至上主義的な価値観に与(くみ)することはできない。「自らの作品が社会にどんな影響を与えるか」ということを絶えず意識せざるを得ないのが、戦争を体験したクリエーターたちの「業」なのだ。

そして、高畑と宮崎、共通の原点である「ホルス」は、当時の労働組合活動の理想である「団結による社会的矛盾の克服と、よりよい共同体の創造」をうたった作品だった。

極論すれば、宮崎が自らの圧倒的なイマジネーションで観客に現実を忘れさせる作品を作り続けることは、そうした「青春の原点」への「裏切り」となりかねない。

宮崎は、子供たちが「となりのトトロ」(1988年)にはまってビデオを繰り返し見ていることについて、「トトロなんて見せないで、子供は外で泥まみれになるまで遊ばせるべき」と繰り返し述べている。自らの作品が結果的に「子供と現実との接点」を奪っていることは、宮崎にとって身を切られるようなつらい思いだったのではないか。

一方、高畑の代表作とされる「火垂るの墓」(1988年)は、多くの人々にとって「観るのがつらすぎて二度と見たくなくなる」ほど、現実の非情さ、残酷さを見せつける作品だ。

商業的には「トトロ」の方が圧倒的な成功を収めているが、「現実社会に与える影響」という軸で見た時には、両者の価値判断は逆転する。高畑は自作の興行成績にはほとんど頓着しなかった。彼にとって最も重要なのは、作品の「表現としての新しさ」と「社会的な文脈から見た時の正しさ」だった。

「毛虫のボロ」は「高畑的構造」の作品だ

3月からジブリ美術館で公開中の宮崎の最新短編アニメ「毛虫のボロ」もまた、前半は宮崎らしい「思い入れ」の映画だ。作品の開始後しばらくは一貫して、生まれたばかりの毛虫「ボロ」から見た世界を描き続ける。完全な「主人公目線」の作品だ。毛虫の天敵であるカリウドバチは生物ではなく、ターミネーターのような殺戮ロボットとして描かれる。高畑ならば必ず入れたであろう「ハチにも生き延びねばならない事情がある」という視点はどこにもない。

だけど、作品の後半はがらりと雰囲気が変わる。ボロは自らのエサとなる草「ボロギク」から離れ、人間の女の子のスカートにひっついて家まで運ばれてしまう。ここで視点は「人間から見た毛虫」というなじみ深いものに切り替わる。ボロは女の子の母親に見つけられ、葉っぱに載せられてベランダから放り出される。大抵の毛虫にとって、その先に待ち受けるのは「飢え死に」だ。毛虫のエサとなる植物は決まっていて、それ以外のところに落ちても自力で移動する力はないからだ。

しかし、ボロは幸運にも、たまたま生えていた別のボロギクの上に落ちる。花の上で跳ね回って喜ぶボロ。

観客はほっとすると同時に、ボロが生き延びられたのは単なる僥倖に過ぎないこと、ほとんどの毛虫を待っているのは過酷な運命であることに思いを馳せざるを得ない。「毛虫の視点」と「人間の視点」を往復することで、ボロの置かれた客観的な立ち位置を強く意識させる「高畑的」な作品構造になっているのだ。

そして、宮崎が制作中の長編新作のタイトルは「君たちはどう生きるか」。児童文学者の吉野源三郎が1937年、当時の少年たちに向けて書いた教養小説と同名のタイトルだ。この作品自体を原作とするわけではなく、劇中で主人公が読んで大きな影響を受けるのだという。

宮崎はこの作品の何に心を打たれたのか。それは私の想像では「偉大な人間とはどんな人か――ナポレオンの一生について――」という一節だと思われる。

ここでは、ナポレオンの活動力、実行力について惜しみない賛辞が送られると共に、「ナポレオンは、そのすばらしい活動力で、いったい何をなしとげたのか」という問いかけがされる。ナポレオンは前半生では封建時代に代わる新時代建設のために役立ち、輝かしい成功を収めたが、皇帝になると、「権力のために権力をふるう」ようになり、結局は多くの人々を苦しめた。作中で主人公の導き手である「おじさん」はこう断じる。「英雄とか偉人とかいわれている人々の中で、本当に尊敬が出来るのは、人類の進歩に役立った人だけだ。そして、彼らの非凡な事業のうち、真に値打のあるものは、ただこの流れに沿って行われた事業だけだ」。

宮崎の胸中で生き続ける高畑からの、冷徹な批判のまなざし

宮崎は、そのすさまじい想像力と活動力によって、世界中の多くの人々を自作のとりこにしてきた。しかし、それは社会全体にとって真にポジティブな行為だったのだろうか。人々の目を現実から背けさせ、ファンタジーの世界に逃避させる効果しか持ち得なかったのではないか――。

宮崎自身は今、自らの生涯を振り返って、そんな悔恨の念に囚われているのではないだろうか。そして、その根っこには、今も宮崎の胸中で生き続ける高畑からの、冷徹な批判のまなざしがある。

宮崎の「君たちはどう生きるか」は、そんな高畑のまなざしに対する、宮崎からの渾身の、そして最後の「答え」になるのではないか。「観る者に現実の厳しさを認識させつつ、それに立ち向かう勇気を与えられる映画」を目指すのではないか。

私にはそう思えてならない。

(敬称略)

(小石輝)

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