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初小説が300万部の大ヒット…ケータイ小説の生みの親が語る現在地

2000年にiモードで発表した『DeepLove』が月間300万アクセスを叩き出し、書籍シリーズは累計300万部を突破。「ケータイ小説」という新しいカルチャーを生み出したYoshiさんは、まさに時代の寵児となった。……が、2012年、突如すべての書籍を絶版にし、活動を停止。人気絶頂の中、忽然と姿を消した。

【画像】『DeepLove』『恋空』…ミリオン連発、ケータイ小説のヒット作を見る(全10枚)

小説をほぼ読んだことがなかったというYoshiさんはなぜ「ケータイ小説」を生み出し、ムーブメントを起こすことができたのか。そして今は一体どこでなにをしているのか。(全2回の1回目/続きを読む)

◆◆◆

――よろしくお願いします。正直、本物のYoshiさんを目の前にして「わあ、ほんとにいたんだ」という気持ちです。

Yoshiさん(以降、Yoshi)幻じゃないです。本当にいます(笑)。

――ホームページのお写真ではヒゲがありましたけど、今はもう剃られてるんですね。

Yoshiあれは15年くらい前の、一番活動していた時の写真ですね。自分は2000年に『DeepLove』の小説を出して、メインで活動したのはその後10年くらいだけなので。

初小説が300万部の大ヒット…ケータイ小説の生みの親が語る現在地
『DeepLove完全版アユの物語』(Yoshi著、スターツ出版)

――そんなに短かったんですね。2010年以降はどんな活動を?

Yoshi2012年に全部小説は絶版して、まあ簡単に言えば、「やーめた」っていう感じで石垣島に移住しちゃったんです。

2019年に漫画版の続編は書きましたけど、表立った活動としてはそれが最後ですね。

――失礼ですが、生活はどうやって…?

Yoshi嫌味になっちゃいますけど、『DeepLove』のヒットで稼いだので金はね、心配ないんです。

キャリアの絶頂で「出家」した理由

――今日は石垣島から来てくださったんですか。

Yoshiいえ、数年前に東京に戻りました。石垣は2012年から6年間くらい住んでいました。朝起きて海行って泳いで。ぼうっとしてるうちに子どもが帰ってくるから遊びに連れてって。畑仕事もやってましたね。

――石垣島ではほとんど仕事はせず。

Yoshiそうですね。子どもは僕の仕事を聞かれると「マッサージ」って答えてたらしいです。それは僕がよく家にマッサージ師の人を呼んでたからなんだけど。

――お子さんはお父さんの仕事を「マッサージされる」ことだと思ってたんですね。

Yoshi畑仕事してるかマッサージされてるか、やってることってそれくらいだったから、まあ無理もないですね。

――キャリアの絶頂期にすべてを捨てて石垣島に行ったのはなぜだったのでしょうか。

Yoshi感覚としては出家に近いですね。小説が当たったあと、六本木ヒルズに越したんです。

僕はケータイ小説を立ち上げる少し前、30歳過ぎで脱サラして破産もして、米屋をやっている姉夫婦の家に居候しながら、1日500円で暮らしていたんです。

その1年半後には『DeepLove』で成功して、メディア業界の裏側を見て、ヒルズ族と付き合って……やっぱり価値観は変わっちゃうよね。

脱サラ、破産からヒルズ族に…成功者の日常

――どん底からの大逆転ですね。野望というか、夢はすべて叶いましたか。

Yoshi日本一売れる本を作って、ヒルズに住んで、高級車に乗って、おいしいものを食べて。全部叶いましたよ。

――2000年ころの六本木ヒルズといえば、ホリエモンが思い浮かびます。

Yoshiエイベックスの松浦勝人さんとは毎日のように飲んでましたね。当時ライブドアだった堀江貴文さんやサイバーエージェントの藤田晋さん、ひろゆきさんが来ることもありました。青山とか六本木の小さい個室にぎゅうぎゅうに入れられてねえ。

――そうそうたるメンバーですね。でもそんなきらびやかな日常は馴染まなかったですか。

Yoshi刺激的ですよね。当時日本で一番有名なビジネスマンたちが集まってるんですから。

ただ、これは別に他の人を下に見ているとかそういう意味ではなく、「別にたいしたことないな」と思っちゃったんですよね。

――成功者としての日常が「たいしたことなかった」という意味でしょうか。

Yoshiそうですね。山の頂上からはどんな景色が見えるだろうと思って登ってみたけど、達成してみたらたいしたことなかったというか。もちろん、成功者といるのは楽しいんですよ。彼らは理屈じゃなく直感的に生きている人たちだから、言うことはぶっ飛んでるし、僕も直感に従って生きるタイプなので、居心地はいいんですよ。

――飽きちゃう、みたいな感じですか。

Yoshi正直、年収が1億円を超えると使いきれないんですね。お金を増やすことにモチベーションを感じる人ならいいかもしれないけど、僕はそこに喜びを見出だせなかったし、10年の間に業界の“色”に染まってしまって、純粋に作りたいものを作れなくなっていた。それでもういいやと、出家したんです(笑)。

出家のきっかけは「月9」だった

――作りたいものを作れなくなっていたというのは、業界的な話でしょうか。

Yoshi僕、出家する直前まで「月9」の脚本を書いてたんですよ。「3.11」前でしたが、子どもができたことで核爆弾を日本中に配置しているような原発の存在が気になって、原発をテーマにドラマを書いてたんですね。

――「月9」枠で原発とは、かなり社会派ですね。

Yoshiちゃんとそれまでのドラマを意識して書いてあげたのに、何かにつけて局の言いなりになるようなことを求めてきたので、やめちゃいました。

その前にやった映画も、脚本があまりに面白くなかったので「降ります」と言ったら、「この業界で干されるぞ」と、テレビ局のプロデューサーからさんざん脅しを受けました。

――ストレートに脅迫ですね。

Yoshi自立したいから脱サラしたのに、業界に飛び込んで待っていたのは自立とは真逆の、さまざまな縛りでした。

だから、商業ベースに乗ったものは作れるんです。それで大金が手に入ったり名前が売れたりはするかもしれないけど、心情的には全然やりたい仕事じゃなかった。で、自分の直感を無視したチョイスって、だいたい間違えているんですよ。

――ではもう一度小説を書きたいとか、エンタメ業界に戻りたい気持ちはないですか。

Yoshi全然ないですね。というか、自分が小説家だって意識もないです。そもそも生涯に読んだ小説も10冊くらいしかなくて。読むもの好きじゃないです。

――その10冊が気になります。

Yoshi歴史が好きだったから司馬遼太郎ですね。小説を読んでいるというより、歴史を知りたくて読んでいる感覚ですよね。

「iモード」に感じた可能性、ケータイ小説を書いたわけ

――ますますYoshiさんが、なぜ「ケータイ小説」を生み出せたのか不思議に感じます。

Yoshiドコモのiモードを見たとき、直感的に「これはすごい」と感じました。手の中にある小さな電話から世の中につながれるなんて、世界は絶対に夢中になるはずだと確信して。

それでも当時、周りの人に「俺、ケータイでビジネスをやるんだ」と言ったら、「お前、狂ってるよ」と言われましたけどね。

――「小説」がやりたいこととしてあったわけじゃなくて、「iモード」というコミュニケーションツールにビビッときたんですね。

Yoshi最初はiモードのカテゴリに「小説」はなくて、あるのは「占い」「天気」「着メロ」みたいな。ここに何十万、何百万の人が集まると思っていたので、じゃあそこで何をやるのがいいかと考えたとき、直感で「小説」と思ったんです。

「ストーリー自体は5分くらいで考えた」

――集客装置としての「小説」だったんですね。

Yoshi占いって日々更新されるものでない限り、一度やったら二度そのページには戻ってこないですよね。それはとても大きな機会損失になるので、一度見に来た人が継続的に訪れるページにするにはどうすればいいかと考えて、パッと浮かんだのが小説でした。

『DeepLove』のストーリー自体は、5分くらいで考えたものです。

――5分で考えたストーリーが一大産業になったんですね。凡人には想像ができないです。

Yoshi自分はもともと予備校の講師だったんです。長らくNo.1講師だったのですが、生徒の「やる気スイッチ」をONにする“メッセージの伝え方”みたいなノウハウもあったし、塾経営にも携わっていたのでビジネス的なスキームもあった。成功したのはそこがうまく噛みあったからかなと思います。

今ならYouTubeになると思いますけど、同じことをやっているんですよ。要はプラットフォームがYouTubeなのかiモードなのかの違いだけで、それをどう利用するかという話だったのでね。

――『DeepLove』はビジネス的な戦略のもとに生まれていたんですね。

Yoshi正直、作家を目指していたわけでもなく、活字離れを解決しようみたいな崇高な思いもさらさらなかった。

でも本が売れない時代に、当時の本屋や出版社に対して貢献できたんじゃないかな。それに、『DeepLove』があったから『恋空』や『赤い糸』が生まれたという自負はあります。

「なんで成功できたんですか?」と聞かれたら

――「魔法のiらんど」から発表された『恋空』も『赤い糸』も、映画化されるほどヒットしました。それはYoshiさんが「ケータイ小説」という新しい文化を創出したからこそ生まれた作品ですよね。

Yoshi自分がやりたかったことって、小説を書くことじゃなくてムーブメントを作ることだったんです。僕の本だけでも累計で1000万部売れて、後続のケータイ小説を入れたら何千億円という産業になった。

金とか名誉とかじゃなくて、世の中にまったく新しい波を起こせたこと、それが一番自分としては嬉しかったことですね。

――スマホやSNSというフィールドでもう一度新たなカルチャーを生み出したい、みたいなお気持ちはないですか。

YoshiiPhoneは大好きだけど、そこでやることが直感的に思い浮かばないということは、もうそのフィールドでは俺に才能がないってことなんですよ。

だから「なんで成功できたんですか?」と聞かれたら、「できないことに手を出さなかったから」ということに尽きると思いますね。

写真=山元茂樹/文藝春秋

「援助交際は、穴のレンタル」と少女は言った…累計1000万部「ケータイ小説の生みの親」がゼロ年代に支持されたわけへ続く

(小泉なつみ)

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