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鈴木蘭々が明かすポンキッキーズ抜擢の裏話「メロンパフェ食べたら…」

90年代にブレイクし、アイドル、俳優、歌手として活躍した鈴木蘭々(46)。

【画像】ロングヘアが新鮮!デビュー当時〜現在の写真を見る

芸能生活30年超を誇る彼女に、デビューまでの経緯、二人三脚でブレイクを掴んだ事務所社長との出会い、安室奈美恵とのユニット「シスターラビッツ」を組んだ『ポンキッキーズ』抜擢秘話などについて、話を聞いた。(全2回の1回目/2回目を読む)

鈴木蘭々が明かすポンキッキーズ抜擢の裏話「メロンパフェ食べたら…」
鈴木蘭々さん

◆◆◆

――来年でデビュー35周年になるんですよね。デビュー30周年の2018年に、長いブランクを経て歌手活動に復帰されています。

鈴木蘭々(以下、蘭々)それまでは、ミュージカルのお仕事をしたり、会社を立ち上げて化粧品の事業をしていて、音楽活動からは離れていたんです。

でも、『ポンキッキーズ』のエンディング曲に採用された「キミとボク」という曲をすごく好きだと言ってくださる、ベーシストでもありプロデューサーでもある立川智也さんという方からお声がけいただいたことをきっかけに再開しました。 

スカウトされたくて、原宿をぶらぶらしていた

――中学1年生の時に原宿でスカウトされて1989年にデビュー、とのことですが、もともと歌手になりたかったんですか。

蘭々アイドルが好きだったんですよ。小学校低学年の頃は(松田)聖子ちゃんで、小学校高学年の頃はミポリン(中山美穂)。周りは光GENJIとか、メンズに憧れてる子が多かったけど、私はどうしても歌が好きだったから。聖子ちゃんの歌とか、ミポリンの歌とかをひたすら聞いて、家で歌いながら歌手になった自分の未来の姿を想像していました(笑)。 

で、アイドルになるにはどうしたらいいのかを考えて。当時は「全日本国民的美少女コンテスト」なんかがあったりして、私もコンテストに出たり、オーディションを受けたりしたいなとは思っていたんですけど。オーディションを受けるのに、5,000円とか1万円を払わなきゃいけなかった。

――中学生が自分で払うにはちょっとアレな額ですよね。

蘭々お金が掛かって大変だし、どうしようかなと思っていました。そんな時たまたま本屋で手に取った『De☆View』というオーディション情報誌に「原宿でスカウトされたラッキーガールの白石さん」という方のグラビアが載っていて。もしかして原宿に行きさえすれば私もスカウトされるかもしれないという、安易で身の程知らずな夢を抱いたんです。

――それを実践されたと。

蘭々そうです。いまでこそ制服で原宿を歩くなんて当たり前だけど、その頃は補導の対象だったんですね。それでも制服を着ていると目立つので、春休みなのにわざわざ制服を着て、原宿の街をクレープを食べながらフラフラしていたら声がかかりました。 

初日に行って集まった名刺が数枚。通えばもっと集められるかもしれないと思って、春休みの間通いました(笑)。結果、20枚くらいは集まったのかな……その中には今も残っている大手の事務所もありましたね。 

当時の私はとてもませていたので、ある程度名刺が集まった後、変なところに引っかからないように一件一件、名刺に書いてある連絡先に電話をして。電話に出た人の対応や、契約的な内容を偵察するようなこともしていました。 

――アイドルを目指していただけに、前々から事務所の情報を把握していたりは。

蘭々そういう知識はまるでなかったんですけど、動物的勘のようなものでいろんなことをジャッジしていたように思います(笑)。で、最後までプッシュしてきてくれた会社が2つあったんですね。大手と小さいモデル事務所。 

モデル事務所の方は秋田書店さんと組んで、「ミスマガジン」ならぬ「ミスチャンピオン」という企画で、読者からの投票を勝ち取って最終的にグランプリになった子が巻頭グラビアを飾れるというお話でした。

ああいうのって、通常は応募してきた女の子達だけで行われるんですけど、そのときはコンテストのレベルアップを図るために、スカウト組も作ったと言っていました。 

結局そのモデル事務所の方を選んで、東郷神社で撮った写真でコンテストを勝ち抜いて、晴れて準グランプリとなって『週刊少年チャンピオン』の巻頭に載せてもらったんです。 

デビューしたけど……オーディションに落ち続けた理由

――華やかなデビューですよね。 

蘭々無事に事務所に所属して誌面デビューはしたものの、仕事と言えばそれだけで、その他はたくさんのオーディションを受けるのが仕事のようなものでした。でも受けても受けても落ちる……ほんと事務所の人も頭抱えちゃうみたいな……。

――受からないのは、なぜだったんでしょう。

蘭々私がコスプレのような格好をしてオーディションに行くからです(笑)。当時の私には自分なりのテーマがあって、そのテーマに沿った格好をしていただけなんですけどね。

――『がんばれ!!ロボコン』(NETテレビ、1974年〜1977年)に出てくるロビンちゃんのコスプレをしてオーディションに行かれたとか。たしかに、ロビンちゃんで会場に来られたらザワつきますよね。

蘭々そうです。そんな個性求められてない(笑)。

――そこから転機になったのは?

蘭々当時サントリーの烏龍茶のCMとかを撮られていて、海外で賞を取ったりしたこともあるような結構有名な監督に気に入られて、資生堂のティーン向け商品のCMオーディションに合格したのがきっかけですかね。 

連続で起用していただくうちに、他のCMのオーディションにも少しずつ受かり始めて。そうしたCMに出演しているうちに、今注目のCM少女として『ザテレビジョン』に白黒の小さな記事が載りました。   

その後、その記事を見たとある会社の社長との出会いが再び私の転機となるんです。

――その方が、移籍を説得しようとご実家の中華料理店にベンツで乗り付けてきたという事務所の社長ですか?

蘭々そうです(笑)。その社長は某事務所からの独立をきっかけに新人を探していて、以前は男性ばかりを担当していたから、女の子を売り出したかったようです。私が載った『ザテレビジョン』の記事が印象に残っていて、記事の切れ端をいつもポケットに入れていたと言っていました。 

それを社長の昔からの友人にひょんなきっかけで見せたら、その人物がなんと私の通う中学校の後輩のお父さんだった。それで、2人がベンツに乗ってやってきました(笑)。

「お宅の娘さんください!」って。 

――そういった熱い現れ方と説得をされると、ほだされて移籍してしまいそうですけど。

蘭々とても悩みましたよ。最初のモデル事務所に0からスカウトしてもらって、ちょっとずつちょっとずつオーディションに受かって、仕事も増えてきたと言う時に移籍って。うちの母とかは情に厚い人で、今の事務所と一緒に大きくなればいいじゃないと反対したりしていたので、余計に悩みました。 

でも私は現状に不自由さも感じていて、髪型も着る洋服も思考までも管理されるような……ステレオタイプにはまらなきゃいけないような……なんかモヤモヤしたものもあったんですよね。 

その点、新しいところに移れば、社長は男性のマネージャーしかやってこなかったということだったから女の子のこととかあんまりわからないかもしれないし、それ故に個性を尊重してくれるんじゃないかと思って。 

でも、いろんな人がいろんなことを言ってくるからなかなか決められなくて、最終的に高校の体育館で鉛筆占いで決めました(笑)。移るか移らないか、転がしたら「移る」って。 

お給料が月20万円に

――1993年、17歳で新しい事務所に移られた。所属していたのは、蘭々さんだけですか。

蘭々はい。社長と二人三脚でした。オフィスもなくて、社長の自宅の電話一本のみ。再び何もない状況からスタートする感じでした。 

 社長は独立するにあたって大事なベンツを売ったと言っていました。でもハンドルだけは手元に残したと(笑)。 頑張ってもう一回ベンツに乗るぞって宣言していました。

私にお給料も払わなくちゃいけないし、なるべく無駄なお金を使わないということで、オフィスも持たず、電話一本だったのかな……。 

――最初の事務所では給料が月8万円くらいだったそうですが、新しい事務所では跳ね上がったのですか。

蘭々移籍する移籍しないで何ヶ月かやりとりをしていた時期があって、その間に最初の事務所が「月20万円にするから残ってほしい」と言ってきたんですね。そうなると、来てほしいという側もそれ以下にはできないじゃないですか。結果、お給料は20万円となりました。今思うとみんな頑張ってくれましたよね。私ごときのために……。感謝ですね。

――そこから破竹の勢いに?

蘭々そういうわけでもなかったです。そもそも私自身が変わり者であるし、社長は女の子を担当するのが初めてだしで、お互いに探り探りだったと思います。

お互いのことがよくわからないせいなのか、髪型や服装などについてうるさく言われることもありませんでした。

実は全然流行ってもなく、完全に私がこうしたいだけ、というファッションであっても、「これが流行ってるから、こうしてるの!」みたいなスタンスでいると、結構そのまま受け入れてくれました。内心ではどう思ってたかはわかりませんけど(笑)。 

そうやって二人三脚でやって1年くらいかな。ある日、突然自宅に博報堂の方から「ローソンのCMに出てくれないないか」って電話が来て。声をかけてくださったのは、前の事務所にいた時に出演したCMでお世話になった方でした。 

おじさんの正体に気づかず…『ポンキッキーズ』の舞台裏

――ローソンのCMに加えて、『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ、1991年〜1997年)のコント「改造人間カスタムひかる」で演じた若松きらり役、『ポンキッキーズ』(フジテレビ、1993年〜2001年)で安室奈美恵さんと組んだユニット「シスターラビッツ」でブレイクしましたね。1993年から1995年にかけては、まさに一気にという感じでした。

蘭々『ポンキッキーズ』は、学校に行く前に必ず見てて。高泉淳子さんが山田のぼるというキャラクターを演じられていて大ファンだったんですよ。ローソンのCMをやっているなかで、社長に「お前なんかやりたいこととかないのか?」と聞かれたので、『ポンキッキーズ』に出たいと答えて。 

それがちょうど番組編成の時期で、『ポンキッキーズ』のオーディションがあると社長が聞きつけたので、2人で向かいました。

当時まだ河田町にあったフジテレビで、局の中に入っていたレストランでしばらく待っていたら、ハンティング・ワールドのセカンドバッグを小脇に抱えたメガネのおじさんがやってきて、社長はその方に私の歌のデモテープを渡したり、いろいろ話したりしていました。 

私はハンティング・ワールドのおじさんはオーディション会場へ案内してくれるスタッフだと思っていたんですが、社長との話も終わらないし、もう少し時間がかかりそうだったので「ちょっとメロンパフェ頼んでもいいですか?」と聞いて。

「え!お前メロンパフェ食べるのかよ!」と社長には笑いながらツッコまれましたが、おじさんはいいよと言うので、メロンパフェを食べながら案内されるまで3人で談笑してたら、なんとそれがオーディションだったという。 

――おじさんは偉い方だった。

蘭々はい。そんな私でしたけど、後年になって選ばれた理由として言われたのは「歌が良かった」って。

「不思議ちゃん」という取り上げ方もされていたが…

――ショートカットも相当にインパクトがありました。短くしたのは、蘭々さん自身の意思で?

蘭々そうですね。最初のモデル事務所にいた頃は髪の毛を切ってはいけなかったので、それならばと、なぜか「森の妖精」というのを自分のテーマにして(笑)。前髪ぱっつんのロングヘア、頭には大きなリボンをつけたり、冬の時期には女子サンタ的なワンピースを着て街をウロウロしたり。

でも、あの頃一番気に入っていたのは、ツインテールに、カラフルなビジューボタンが付いた黄緑色の膝丈ワンピース、それに赤いエナメルの靴を合わせるスタイルでした。 

移籍した後のテーマは「アメリカの少年」となったので、バッサリと切りました。社長は蘭々の好きにやれよって感じだったんですけど、切った後に社長に会ったらあまりのキャラ変にびっくりして、周囲の人に「蘭々がモンチッチになっちゃった」と言っていたみたいです(笑)。

その後は休みが全くないほど忙しくなって、世間にはショートのイメージがつきすぎるほどつきました。

――当時は「不思議ちゃん」的な取り上げ方もされていました。

蘭々不思議ちゃん(笑)。言われてましたよね、たぶん……えっと、当時はSNSもないし、自分に対しての他人の評価がダイレクトに届かない時代だったので、あんまり気にしたことはなかったです。 

でも、今YouTubeなんかで過去の自分を見ると「不思議が過ぎる‼︎」って画面に向かって言いたくなるくらい、不思議キャラです!  よくもこんなのをビジネスパートナーにしようと思ったよな、みんな、って思います。むしろみんなの感性のほうが不思議です。 

――ですが、お話を伺っていると、蘭々さんの強烈な個性で物事が動いていったように思えます。 

蘭々いまも当時の社長と時々会うんですけど、この前「おまえは、なんだかんだいって勝手に売れていったぞ」って言ってました。でも、私はスタッフの方々がすっごい頑張ってくれたからだとずっと思っていて、いまも感謝してます。

――この頃はまだ、歌というよりも、バラドルのイメージが強かったですよね。 

蘭々一応歌がやりたい、というのが第一希望ではありましたけど、社長と二人三脚でやるにあたり「まずは、なんでもやろう」という約束をしました。なんでもやっていかないと、やりたいことができないから。 

「変な仕事は絶対にやらせないし、蘭々のマイナスになるようなことはしない」と言うので「わかった」と私も答えてスタートしたんです。 

その後バラエティーなどで知名度が上がってからやっと「泣かないぞェ」で歌手デビューすることになりました。 

写真=松本輝一/文藝春秋

デビュー曲「泣かないぞェ」では「世の中すべてみんな全部ウソツキ」と…鈴木蘭々(46)が振り返る、“20代の自分が達観しすぎていたワケ”へ続く

(平田裕介)

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