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中卒で芸能界へ、初ドラマで鮮烈すぎるデビューを果たし…中島美嘉41歳が「平成の歌姫」になるまで

歌手で俳優の中島美嘉は昨年(2023年)8月、「Weareallstars」という楽曲を配信リリースした。同曲はタイトルどおり私たちは誰もがスターだと謳い、また、中島がドラァグクイーンに扮したビジュアルも含め、まさに多様性の時代にふさわしい作品となっている。もっとも、彼女からすると、時代の流れに乗ったというわけではなく、この曲はあくまで個人的な経験をきっかけに生まれたものらしい。

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中島は2010〜11年にニューヨークに滞在していた時期に、アメリカのドラァグクイーン界の大御所ル・ポールの存在を知ってからというもの、「人は自由でいいんだよ」「やりたいことをやればいいんだよ」というそのメッセージや生き方に勇気づけられてきたという。ちょうど彼女は耳の病気のため休業を余儀なくされ、心身ともにストレスを抱えていたころだった。「Weareallstars」はそんな恩人にインスパイアされて生まれ、中島自ら手がけた歌詞にもル・ポールの名言がちりばめられている。

中卒で芸能界へ、初ドラマで鮮烈すぎるデビューを果たし…中島美嘉41歳が「平成の歌姫」になるまで
©Imaginechina/時事通信社

この曲にかぎらず、中島は小さいころから何事も、すべて自分が好きか嫌いかだけで決めてきたという。これに関して、あるインタビューでは、《私の長所であり短所は、流行りを知らないことです。流行っているものが自分に似合うとは思わないし、嫌で逆らっているつもりもない。私の中では、古いものと新しいものが混在しているのが普通です。音楽に関してもそう。好きか嫌いかしかわからない》とも語っていた(「CREAWEB」2021年10月28日配信)。逆にいえば、流行に疎いからこそ、彼女はこれまでブレずに自分を貫いてこられたのだろう。

彗星のごとくデビュー

中島はきょう2月19日、41歳の誕生日を迎えた。2001年に18歳でデビューしてから23年が経つ。それはまさに彗星のごとくだった。フジテレビ系のドラマ『傷だらけのラブソング』のヒロインに、3000人が応募したオーディションで抜擢され、主題歌も彼女の歌う「STARS」が採用されたのだ。その役どころは、高橋克典演じる元音楽プロデューサーとともにさまざまな困難を乗り越えながらデビューを目指す歌手と、中島自身を投影したものだった。放送中には視聴者から「あの子は誰なんだ?」という問い合わせが殺到したという。

もっとも、中島はそもそも歌手志望でも俳優志望でもなかった。『傷だらけのラブソング』のオーディションも、当時所属していた福岡のモデル事務所の関係者からは詳細を一切知らされないまま受け、気づけば最終審査にまで進んでいたという。のちに本人が語ったところでは、《とりあえず、行って歌ってこいみたいな状態だったんですよ。で、歌のオーディションだと思ってたから。しかも、エキストラだって聞いてたんですよ、私は。で、道ばたで歌ってるところが少し映る。だから歌うんだよみたいなことを言われて、あ、そうなんですかって、歌ってたら、最終オーディションで、実はドラマで、ヒロインなんだというのを、私以外は、みんな知っていたんです》ということらしい(『ROCKIN'ONJAPAN』2006年2月号)。それでも合格したのは、彼女のなかに磨けば光るものが見出されたからだろう。

高校進学は「必要ない」

中島は1983年、トラック運転手の父と、日本舞踊の師範である母のあいだに鹿児島に生まれた。日舞は幼いころよりピアノとともに習わされたという。しかし、人見知りが激しく、ピアノの発表会など人前に出るのは本当に苦手だった。勉強も小学校のときから好きになれず、中学に入ると、このまま無駄に高校に行くことはないと決意した。そのことを両親に告げると、最初こそ高校までは行きなさいと怒られたものの、「私にはたぶん必要ない」と訴えたところ、その代わりに何かやりたいことを見つけるよう言われたという(『週刊朝日』2020年11月13日号)。

そこで選んだのがモデルだった。とはいえ、それも単に洋服が好きで、九州だけで売っている雑誌のモデルになれば、いろんな服が着られるというぐらいの軽い気持ちであった。それでも姉が福岡にあるモデルの事務所が募集しているのを見つけてくれ、入ることになる。

こうして中学卒業後、事務所に入ったものの、福岡に住んだのは上京前の1年ほどで、それまでは鹿児島でファーストフード店などのバイトをしながら通っていた。前出のドラマ出演が決まって東京に出るときも、「東京に行ってもマックだったら働けるな」と思っていたぐらい気負いはなかった。

「3年ぐらいで消えるだろうから、そろそろ…」

ドラマで一躍注目を集め、デビュー曲「STARS」もヒットする。さらに翌2002年にリリースした1stアルバム『TRUE』もミリオンセラーとなり、同年末にはNHKの『紅白歌合戦』にも初出場した。しかし、中島はけっして浮かれることはなかった。彼女は後年、当時をこんなふうに振り返っている。

《何もわからないままやっていたので、売れようが売れまいが、嬉しくもなんともなかったんです。私が書いた作品ではないし、私が考えたことでもなんでもないし、『よっしゃあ、私、やったぜ』みたいなのは全然なかった。むしろ、3年ぐらいで消えるだろうから、そろそろバイト探さなきゃと思っていたぐらいでした。そんな簡単な世界じゃない、という思いもあったんです》(『AERA』2019年12月16日号)

デビューしてからというもの、ドラマの撮影やレコーディングに追われ、そのあいまには取材を受けたり、ドラマの劇中で歌う曲を覚えたりと、寝る間もないほど多忙な日々が続く。あまりに忙しくて、最初の1年くらいは、自分がどんな立場にあるのかもよくわかっていなかったという。このスケジュールがずっと続くのであれば、体がもたないと薄々気がつき始めたころ、1ヵ月ほど休みをもらい、初めてニューヨークに行った。そこでようやく、自分の立場のありがたみがわかって、歌にちゃんと向き合えるようになったり、気持ちを切り替えることができたという。

大ヒット映画の裏側で

当初は、歌って踊れるアイドルとして売り出されたが、彼女にはどうも噓をついているみたいで心地悪かった。3年ほどはお仕着せのヘアメイクや衣装で活動していたものの、やがて《このままだと自分が我慢できなくなるから、早めに対処してしまえと思って、髪の色を変えたんです》(『週刊朝日』前掲号)。所属事務所には黙っての強行突破であったという。

アイドル路線から脱却してからも、「WILL」(2002年)や「雪の華」(2003年)、「ORION」(2008年)などヒットが続いた。そのなかで中島にとって大きな転機となったのは、2005年、映画『NANA』に宮粼あおいとともに主演したことだという。矢沢あいの人気コミックの映画化である同作で、中島はロックバンドのボーカルとしてデビューを目指す大崎ナナを見事に演じきり、大ヒットとなる。

じつは中島はそれまで、この仕事が終わったらやめると思いながらも、それを言い出せないうちに次の仕事が決まり……ということを繰り返してきた。だが、《『NANA』を撮り終わって……。その瞬間、もう、「辞めます」なんて言える状況ではなくなってしまったんです》という(「CREAWEB」前掲)。

『NANA』の主題歌「GLAMOROUSSKY」も大ヒットし、オリコンのシングルチャートで初めて1位も獲得した。それでもなお充実感を抱くことはなく、その後もどうやって演じればいいのか、どうやって歌えばいいのか、探る日々が続く。もはややめられないと悟った分、そのプレッシャーは大きかっただろう。

歌手生命の危機

2010年にはさらなる試練に直面する。冒頭にも触れた耳の不調である。ひそかに病院にかかると耳管開放症と診断され、その後も通院を続けたが、根治は難しく、休むことを勧められた。それでも彼女はギリギリまで踏ん張ったものの、症状は悪化するばかりだった。ずっと耳栓をしているような症状から、無理やり絞り出すような声で歌っているうち、声帯の調子も悪くなっていく。

そのころには周囲の人たちも、あきらかに音程がとれておらず、コントロールができる状態ではないと気づいていた。だが、彼女を中心にお金などいろんなものが動いていただけに、ストップをかけられなかった。そのため、最終的に中島自らレコード会社のスタッフを集めて、病状を明かし、休業するかやめるか決めてくれるよう切り出さざるをえなかったという。

それは、大阪城ホールと日本武道館でのデビュー10周年記念ライブを目前にしてのことだった。公演は中止を余儀なくされるも、彼女はファンのみなさんに直接謝りたいと、各会場の舞台に立ち、挨拶した。このとき、思いがけず客席から「AMIRACLEFORYOU」の歌声が湧き起こる。これには彼女も《悩んでいる人を励ましたいという思いで私が作詞した歌なのに、私のほうが会場のみんなの合唱に励まされていて……。言葉にできないくらい感動しました》という(『婦人公論』2011年5月7日号)。同時に「この曲を返さなきゃいけない」とも思い、休業に入るに際しては、翌年4月からのツアーは絶対にやると宣言した。

果たして、約半年間の休業を経て2011年4月にシングル「Dear」で復帰すると、宣言どおり全国ツアーを開催した。しかし、けっして本調子ではなく、自分では100%やりきったつもりではあったが、もうちょっとできただろうと悔しさも残った。それでも、ファンのなかに挫折した人がいれば、ボロボロの状態でもステージに立つ自分の姿を見て、その人たちが戻りたい場所に戻ろうと思ってくれたらいいなという気持ちで、ツアーを敢行したという(「BillbordJAPAN」2012年9月12日配信)。

40歳の誕生日に再婚

私生活では昨年、40歳の誕生日にギタリストの馬谷勇と再婚している。馬谷はバンドメンバーとして彼女を長らくサポートしてきた。彼にかぎらず、中島のスタッフへの信頼は厚く、彼女のなかでは、自分は表に立つだけで、「中島美嘉」をつくっているのは大勢のスタッフだという意識が強い。チームを組むスタッフたちとは、他愛もない話で盛り上がったり、ささいなことで笑ったりすることも多く、世間で思われているようなクールな自分でいなくて済むのでラクだという。そうしたチームの存在が、昔もいまも仕事を続けるモチベーションになっているようだ。

それもあってか、中島自身、裏方になりたいという夢を抱き続けている。ある雑誌の取材中には、《もし、いま裏方にまわっていいと言われたら、はい、もう喜んでという感じです。(中略)詞はもちろん、ライブの構成、この企画にはこの人を起用して、この漫画を原作にして映画を、とか。そういうことを考えているとわくわくする》と語った(『AERA』前掲号)。ただ、つきあいの長いレコード会社のスタッフはこの発言を聞くや、彼女が歌っているおかげで救われている人は多いのだからと、できればずっと表舞台に立ち続けてほしいと釘を刺した。

もちろん、それは中島も重々承知している。彼女としても、自分の歌を聴いて「救われた」とか「気持ちが前向きになった」という言葉をもらうことがあったから、歌を続けてこられたという。逆に《そういう、ファンの方達との心の交流のようなものがなかったら、私は今頃、この世界にはいなかったと思います》とまで語っている(「CREAWEB」前掲)。

表舞台に立つ者として、ここ数年新たな挑戦も目立つ。2019年にはミュージカル『イノサンmusicale』で初舞台を踏んだ。また、一昨年の2022年には初めて自身でプロデュースし、曲もすべて自ら作詞・作曲したアルバム『I』をリリースした。

「今の私だからこそ歌える楽曲の新しい側面」

他方で、往年の自身の楽曲を新たな形で披露する機会も多い。一昨年にはYouTubeチャンネル「Withensemble」に登場し、オーケストラとのコラボレーションにより「ORION」を歌い上げたかと思えば、昨年は神戸でのアイスショーにゲスト出演し、彼女の歌う「GLAMOROUSSKY」に合わせ、プロスケーターの羽生結弦が氷上を華麗に舞った。

ベテランの歌手には、過去の歌を求められると「いまもいい曲があるのに」と抵抗感を抱く向きもあるなかで、中島は《私は“今の私だからこそ歌える楽曲の新しい側面”を表現する貴重な機会だと思っています》として(「BillboardJAPAN」2022年12月21日配信)、リメイクに積極的だ。たとえば「雪の華」は、若いころは歌詞で描かれる関係性などよくわからなかったところも、歌い続けるうちに自分のなかで解釈が決まってきたという(「RealSound」2022年3月20日配信)。

こうした最近の活動を見ていると、中島は年齢を重ねることを楽しんでいるようにも思える。それも表舞台に立ち続けているからこそ。この分だと、まだまだ彼女が裏方に回ることはなさそうだ。

(近藤正高)

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