芸能ニュースなどの芸能情報から掲示板で雑談!

芸能速報チャンネル ごしっぷる

「本当に苦しくて死のうとも思った」33歳で不安障害発症、両親とは7年会わず…小島慶子(51)が向き合い続けた“家族との関係”

〈「アナウンサー時代はTBSのトイレで吐いてました」15歳で摂食障害になった小島慶子(51)が語る、過食嘔吐に苦しんだ15年間〉から続く

元TBSアナウンサーで、現在はタレント・エッセイストとして活躍する小島慶子さん(51)。幼い頃から40代まで、過干渉な母親との関係に葛藤し、15歳から15年間は、摂食障害にも悩まされた。

【画像多数】美しすぎる…元TBSアナ・小島慶子さんのグラビア写真をすべて見る 

33歳で不安障害を発症した小島さんは、約7年間、両親と会わずに過ごしたという。なぜ彼女は、親から離れる決断をしたのか。再会後、親子関係に変化はあったのか。ライターの吉川ばんび氏が話を聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

「本当に苦しくて死のうとも思った」33歳で不安障害発症、両親とは7年会わず…小島慶子(51)が向き合い続けた“家族との関係”
小島慶子さん©深野未季/文藝春秋

◆◆◆

「苦しいと言ってもいいのだ」カウンセリングを通して気づいたこと

――小島さんは33歳のときに不安障害と診断されたとのことですが、カウンセリングではどのようなやりとりをしたのでしょうか。

小島慶子さん(以下、小島)不安障害を発症する前から受けていたカウンセリングでは、臨床心理士の先生に、こう言われました。「あなたが育った家庭で行われていたのは、いわゆる虐待に当たることです。子どもを叩くのは普通のことではないのですよ」「本当ですか。子どもやきょうだいを叩かない人なんて本当にこの世にいるのですか」「たくさんいます。慶子さん、あなたは苦しんでいいのですよ」というやりとりをしました。

これでいわば、ずっと押さえ込んでいた圧力釜の蓋が開いたような状態になりました。自分は怒ってもいい、苦しいと言ってもいいのだと初めて気づいたんです。そのカウンセリングを受けている最中に第2子を出産して、産後に心身の負荷が高まった結果、不安障害を発症。臨床心理士の先生が紹介してくれた精神科の先生のもとで、投薬とカウンセリングによる治療を受けました。

――カウンセリングや治療を通して、小島さんご自身が気付いたこと、価値観の変化などはありましたか。

小島ありました。何年もかかりましたけど、救いになったのは、臨床心理士と精神科医の先生方から「あなたは苦しんでいいんですよ、怒っていいし、会いたくなければ家族と会わなくていいです」と言ってもらえたことです。

「親と生きることが苦しくなってしまうんだったら、親に会わなくていいんですよ。自分の人生を大切にしてください。それが親孝行です」と。本当に苦しくて死のうとも思いましたけれど、そういう状態にある自分がおかしいわけではない、と思えたのは本当に大きな一歩だったと思います。

不安障害を発症したあと、両親と7年間会わなかった理由

――ご家族に対しての思いはどうでしたか。

小島怒りの発散がある程度進むと、今度は「母はどんな気持ちで子育てをしたんだろう」とか「母と父はあのとき、どんな関係にあったんだろう」「母自身は両親とどんな関係だったのだろう」ということにだんだん興味が向くようになりましたね。

少しずつ俯瞰して見られるようになって初めて「母も生きづらかったであろう」とか「父も孤独だったのでは」とか「姉も大変だったろうな」という視点を持てるようになって、徐々に理解が深まったという感じです。

――不安障害の発症後、ご両親とはしばらく会わなかったそうですね。

小島7年間会いませんでした。もともと両親には悪気がないので、「こんなに手塩にかけて育ててあげたのに急に『あれは苦しかった』とか言いだして、いったい何が不満なの」と怒るわけですよね。無理もないことです。そうすると話し合いにならず、私も怒りをぶつけてしまう。だから、しばらく会わないでおこうと。

両親との連絡はすべて夫を介して行って、「会えそうだな」と思うまで待ちました。それで7年かかったんですが。

――7年経ってお母さんと再会してみて、どうでしたか。

小島「あ、変わってないな」と(笑)。今となっては笑い話ですが、当時、7年ぶりの再会でとても緊張しながら会いに行くと、マンションの下まで迎えに来てくれた母がツカツカと歩いて来て、私の肩をツンとつついて、確か「慶子、元気だった?」とか何とか言ったんです。「うわっ、いきなり近すぎる、相変わらずのこの距離感!」と思って。でもそれから時間が経つにつれ、関係は変わっていきました。

オーストラリアに教育移住する直前、空港で両親と握手をして…

――どのように変わったのでしょうか。

小島印象的だったのは、2014年に、私たち夫婦と子どもがオーストラリアに教育移住する決断をしたときです。空港まで両親が見送りにきてくれました。私1人が働いて家族を支える形で、2拠点家族として日豪の新生活を始めることにしたのですが、選んだのは私が生まれたパースという街。両親が私を育てた場所ですから、2人は喜んでくれて。でも当然ながら、とても心配して。

出発ゲートの前で、老いた2人が握手をして送り出してくれました。手を振って別れた後、涙が止まらなくなって。「どうしてこんな形でしか出会えなかったんだろうか」「もっといいやり方があったんじゃないか」という思いは、今もあります。

――それまでの怒りなどの気持ちが一変したのですか。

小島憎いとか、恨むとかいう気持ちはあのときにはもうなかったです。ただ「どうしてこうなっちゃったんだろう」と。

父も母も、子どものときに戦争を経験しています。焼夷弾が降り注ぐ中を逃げ、強烈なトラウマを抱えながら戦後の飢えと貧困を生き延びて、家庭を持って一生懸命幸せになろうとしたのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろうと思うと、やりきれなくって。空港で手を振ったとき、幼い息子たちと高齢の父母が会うのはこれが最後になることもあるかもしれないと思いました。

「その一言に救われました」泣いているときに夫がかけてくれた言葉

2018年に他界した父が意識のあるうちに会ったのは、私もそれが最後になりました。生きているときに、もっと会いに行ってあげればよかったと悔やみましたが、やっぱりまだ、私1人で両親や姉と会うのは不安だったのです。思いはあっても、距離が必要な関係だと思うしかないですね。

10年前、空港で泣いている私に、夫が「でも慶子、今、あの2人は幸せそうにしていたじゃない。だから慶子はやるだけやったんだと思うよ。これが慶子とご両親なりの関係なのだから、大丈夫だよ」と声をかけてくれて。その一言に救われました。

――現在は、お母さんとはどのような関わり方をされているのでしょうか。

小島新型コロナウイルスの流行もあり、頻繁に会うのは難しいので、電話が多いです。用があって電話をするときには、いつも「今が看取りだ」と思って話すようにしています。母は至って元気なのですが、いつも悔いのないようにと思っています。世間話で笑ったり、母の若い時の話を聞いたり、今はいい距離感です。

――小島さんが親子関係について公表されたことで、何か反響はありましたか。

小島身近な人から「実は私も親子関係で悩んでいてね」なんて話を、本当に意外なほどたくさん聞くようになりました。メディアの方でも、取材時に「実はうちも母親といろいろあって」と言ってくださることもあります。私と私の家族が経験したような葛藤は、今もめずらしくないことなのかなと思います。

親と会って死にたくなるなら、会わないほうがいい

――家族と距離を置くことに対して、まだ日本においては理解が少なく「親不孝だ」と思われることも多いと思うのですが、そうした風潮について、どう思われますか。

小島「親孝行とは何か」ということをシンプルに考えてみると、「もらった命を大切にする」ということだと思うんです。だから親と会って死にたくなるくらいだったら、会わないほうがいいこともあるんじゃないでしょうか。

家族の難しいところは、例えば親から虐待のような扱いを受けていたとしてもなお、親を憎みきれない、という部分だと思います。だからみなさん苦しむんだと思うんですね。さらに世間からの風当たりも強いとなればなおさら。

でも、家族って、何か1つの理屈や理由で、全部が説明できるものではない。どの家族も世界に1つの組み合わせですから、そこでどうやって生き延びるかは、人それぞれに答えがあっていいはずです。

だからもし、その人が生き延びるためには親と離れた方がいいなら、親と会わないまま関係が終わったとしても、私はそれでいいと思います。日々を穏やかに、幸せに生きることが、天から与えられた生命に報いるということですから。たとえ親にはそれが通じなくても。

小島さん自身はなぜ「痛みを少しずつ手放すことができた」のか?

――最後に、今、家族関係に悩まれている人に何かメッセージをいただけませんか。

小島家族が苦しいとか、生きづらいと思ったときに、まずはご自分を責めないでほしいです。「苦しい、辛い」という気持ちはその人にしかわかりません。苦しむに値するかどうかを他人が判定することなんてできません。だから、「苦しんじゃいけない」「辛いと思う自分は弱くて間違っている」と思わないでいいのです。

頼れる人がいれば頼ってください。すぐに専門家につながれない状況であれば、打ち明け話ができる人でもいいですし、どうか1人で抱え込まないでほしいです。そして、もし「なぜこんなことが起きているんだろう」と考える余裕ができたときには、客観的に分析してみるのも気持ちを整理する助けになるかもしれません。

最初は「あの人が憎い」とか「自分が嫌い」というところからスタートするんですけど、その時期を過ぎたら、相手を研究してみるのも役に立ちます。家族を親やきょうだいとしてではなく、名前を持った1人の他者として眺めてみて「この人はどのように生きてきたのか」「そのようにしか生きられなかったのはなぜなのか」を考えてみる。そして「どうして自分は苦しかったのか」と、自分のことも客観的な視点で眺めてみる。私の場合はそういう視点を持つことで、痛みを少しずつ手放すことができました。

家族の問題は社会の問題と必ず繋がっている

家族の問題は、必ず社会の問題と繋がっています。家族の関係の歪みの背景には、社会構造の歪みがあるのではないかと考えてみると、ハッと気づきを得られることもあります。それに家族って、お互いの人生をほとんど知らないんですよね。未知の人なんですよ、きっと最後まで。

時間をかけて、次第に「ああ、そういう風にしか生きられないことが人生にはあるんだな」と思えるかもしれない。苦しみながら生きた時間も、かけがえのない命の一部だと思えるようになるかもしれない。

私も今、その途上です。こんなやり方もあるという一例をお話ししたに過ぎませんが、何かの折にふと思い出して下さったら、小さな気づきにつながることもあるかもしれないと思います。

撮影=深野未季/文藝春秋

(吉川ばんび)

「本当に苦しくて死のうとも思った」33歳で不安障害発症、両親とは7年会わず…小島慶子(51)が向き合い続けた“家族との関係” /img/cmn/btn_share_x.svg /img/cmn/btn_share_fb.svg リンクをコピーする みんなの感想は? 外部サイト 【続きを読む/#1】「顔が大きい」「腕にいっぱい毛が生えている」と家族に指摘され…元TBSアナ・小島慶子(51)が幼少期に抱いた“容姿コンプレックス” 【続きを読む/#2】「アナウンサー時代はTBSのトイレで吐いてました」15歳で摂食障害になった小島慶子(51)が語る、過食嘔吐に苦しんだ15年間 【画像多数】美しすぎる…元TBSアナ・小島慶子さんの“撮り下ろしグラビア”をすべて見る 

この芸能ニュースに関連する芸能人

  • +お気に入り登録

関連芸能ニュース

出川が走ると大渋滞発生…テレ東「充電させてもらえませんか?」は以前から問題視されていた!

出川が走ると大渋滞発生…テレ東「充電させてもらえませんか?」は以前から問題視されていた!

タレントの出川哲朗(60)が出演するテレビ東京系「出川哲朗の充電させてもらえませんか?」(土曜午後7時54分)の地方ロケでトラブルが起き、物議をかもした。同番組はかねて局内から問題視されている。出川ご一行が電動バイクで1車線を走って?渋滞?ができたり、渋滞ができやすいゴールデンウイーク(...
「道開けな」MV炎上のコムドット 殺到した“歌下手指摘”に新MVで猛反論!「頭ごなしに下手くそだという人がいる事を予測」

「道開けな」MV炎上のコムドット 殺到した“歌下手指摘”に新MVで猛反論!「頭ごなしに下手くそだという人がいる事を予測」

CreepyNutsの楽曲「Bling-Bang-Bang-Born」のカバー動画が物議を醸した、人気YouTuberのコムドット。今度は“徹底抗戦”に出て、大きな注目を集めている。 さかのぼること4月27日、コムドットは自身のYouTubeチャンネルで「Bling-Bang-Bang-Born」のカバー動画をアップ。しかし、当初、動画のタイトルは「Creepy...
柏木由紀、恋愛は「絶対バレない」芸能人オーラのなさに自信も

柏木由紀、恋愛は「絶対バレない」芸能人オーラのなさに自信も

AKB48の柏木由紀(32)が30日、東京・秋葉原のAKB48劇場で卒業公演を行い、歴代最長となる17年23日(6233日)在籍したグループから卒業した。そうなると恋愛事情がクローズアップされるが、本人はデート現場はバレないと自信を見せた。 柏木と同い年でグループOGの大家志津香が4月1...
「61歳には見えない」「久しぶり」一世を風靡した80年代アイドルの近影に衝撃「痩せた」「美人ですね」

「61歳には見えない」「久しぶり」一世を風靡した80年代アイドルの近影に衝撃「痩せた」「美人ですね」

女優の森尾由美(57)が30日までに自身のSNSを更新し、1983年デビューの元アイドルたちとの最新ショットをアップした。 森尾は「83年組!靖子とON&OFFのライブへ伺いましたやっちんとよっちゃんのお二人はTHEGOOD‐BYEとして私たちと同じ83年組」と桑田靖子(56)と曾我泰久...

コメント(0)

名前
コメント
※必須
http://scoopire.net