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鳥山明が7年連続で成し遂げた“ある偉業”とは? 「マンガを描くことが大好きだった」ことを示す驚きの数字

2024年3月1日、『DRAGONBALL』や『Dr.スランプ』などのメガヒット作品を生み出したマンガ家の鳥山明(68)が急性硬膜下血腫のため亡くなった。突然の訃報に、国内だけにとどまらず世界中から弔意が表明された。謹んで哀悼の意を表すとともに、あらためて氏の多大な功績を振り返りたい。

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鳥山明が7年連続で成し遂げた“ある偉業”とは? 「マンガを描くことが大好きだった」ことを示す驚きの数字
若き日の鳥山明

鳥山明の連載デビュー作『Dr.スランプ』は、掲載誌「週刊少年ジャンプ」(集英社)で人気を博してアニメ化された。

「テレビ局と製作会社主導のアニメ化には強い不信感を持っていた」

しかし、この頃の「少年ジャンプ」の編集部は、掲載作品のアニメ化に対して消極的な姿勢であった。当時の編集長・西村繁男は、自著『さらば、わが青春の『少年ジャンプ』』(幻冬舎文庫)のなかで次のように述べている。

「『少年ブック』時代の苦い経験から、わたしはテレビ局と製作会社主導のアニメ化には強い不信感を持っていた。

(中略)

わたしは漫画家の著作権と雑誌の編集権を徹底しなければ、アニメにする必要なしというスタンスだった。わたしの意図するところを的確に理解したのが『Dr.スランプ』の担当者である鳥嶋で、契約条項を細部にわたってチェックし、台本の直し、キャラクターの修正要求と、漫画家が納得できるアニメ化のシステムを作りあげていった」

近年話題になりがちな「マンガ原作のメディア化」における著作権および編集権が、いまから40年以上前からすでに問題視されていたことがわかる。ともあれ、『Dr.スランプ』のアニメ化はトップダウンで決定してしまう。「少年ジャンプ」掲載作品がアニメになるのは、『侍ジャイアンツ』(原作:梶原一騎、作画:井上コオ)以来、じつに7年半ぶりのことであった。

このような経緯で1981年4月からフジテレビ系列でTVアニメシリーズ『Dr.スランプアラレちゃん』の放映がスタートした。「少年ジャンプ」本誌でもアニメをバックアップするべく、1981年29〜31号の3週連続で「創刊13周年記念Dr.スランプうほほ〜いスペシャル」と題し、『Dr.スランプ』をフィーチャーした巻頭特集を組む。やがて『Dr.スランプアラレちゃん』は空前の大ブームを巻き起こし、同年12月16日に放映された「地獄の使者チビルくん」の回では36.9%もの視聴率をマークしたのである。

以降、「少年ジャンプ」作品は続々とアニメ化に踏み切り、『キン肉マン』『キャプテン翼』『北斗の拳』など数々の作品が成功を収めていった。現在まで続くジャンプのメディアミックス戦略は、『Dr.スランプ』での成功体験が契機となっているわけだ。鳥山作品が存在しなければ、その後の日本のアニメ史も大きく変わっていたことだろう。

原作の『Dr.スランプ』は1984年39号で連載を終えると、わずか3カ月後の51号から『DRAGONBALL』の連載がスタートする。

連載開始からの5号のうち3回が巻頭カラー(残り2回は掲載順2番目)という待遇を見ても、編集部の期待の大きさがうかがえる。事実、この作品で鳥山明の名声は世界的なものとなっていくのだが、しかし連載開始当初は人気が伸び悩んだ。

そもそもこの時期には、まだアニメの『Dr.スランプアラレちゃん』が放映中(〜1986年2月19日)であり、1985年7月には「東映まんがまつり」で映画『Dr.スランプアラレちゃんほよよ!夢の都メカポリス』が劇場公開されている。まだ「アラレちゃん熱」の冷めやらぬ時期だったのも要因だろう。新作『DRAGONBALL』を歓迎するよりも、『Dr.スランプ』を懐かしむ声が高かったのも事実だ。

はじめて神龍を呼び出す頃には、掲載順番は2ケタに

「少年ジャンプ」では人気の高い作品ほど掲載順番が早くなる傾向があり、それが「イコール人気順」というわけではないものの、読者からすれば「掲載順番は作品人気を計るバロメータ」ともいえる。編集部の期待を一身に受けて開始した『DRAGONBALL』であったが、徐々に「少年ジャンプ」での掲載順番を下げていった。ドラゴンボールを7つ集め、はじめて神龍(シェンロン)を呼び出す頃には、掲載順番は2ケタにまで落ち込んでいた。

このあと『DRAGONBALL』は、「ドラゴンボールを7つ集める冒険活劇」から「バトルマンガ」へとシフトチェンジする。いわゆる“テコ入れ”である。

これと時を同じくして、「少年ジャンプ」では大きなアクシデントが起きていた。それが『キン肉マン』の休載だ。作者・ゆでたまごの嶋田隆司(原作担当)が椎間板ヘルニアで入院を余儀なくされ、『キン肉マン』は1985年38号から49号まで休載することになった。この間、『キン肉マン』は過去掲載話を再録するかたちとなる。

『DRAGONBALL』で天下一武道会が開始され、『キン肉マン』が休載期間に入った時期の両作品の掲載順をまとめたのが以下の表だ。

それまで『北斗の拳』と『キン肉マン』のバトルマンガの二大巨頭が「少年ジャンプ」を牽引していたが、この時期をターニングポイントとして「少年ジャンプ」のバトルマンガ枠は『DRAGONBALL』へと“政権交代”していったのである。

やがて1986年2月19日に『Dr.スランプアラレちゃん』の放映が終了し、翌週の26日からTVアニメ『DRAGONBALL』の放映が開始。『DRAGONBALL』人気はいよいよ不動のものとなる。

一般的に『DRAGONBALL』の“テコ入れ”は成功例として語られることが多い。その際に、鳥山明と担当編集の鳥嶋和彦が意図的に『キン肉マン』のファン(=バトルマンガ好き)を奪い取りに行ったかどうかは定かではないが、バトルマンガの“政権交代”が行われたのは事実である。

1号で2話掲載という離れ業をやってのけたことも

また、鳥山明の著作群を追うと、かなりの速筆であったことがうかがえる。かつて「少年ジャンプ」では、愛読者賞というイベントが年に一度開催されていた。これは、読者人気の高い10人の作家に読み切り作品を描いてもらい、それをアンケート形式で順位付けするという企画だ。その間に週刊連載を休めるわけではなく、マンガ家にはかなりの負担がかかるものであった。

鳥山明は1981年から3年連続で愛読者賞に選出され、『POLA&ROID』『MADMATIC』『CHOBIT』を執筆。1位、2位、3位と、アンケート人気でも結果を残している。

なお、『Dr.スランプ』連載中の約4年半のあいだには、週刊連載をするかたわら、『ESCAPE』『PINK』『CHOBIT2』『騎竜少年其之壱』『騎竜少年其之弐』『トンプー大冒険』といった読み切り作品を描いている。このうち『騎龍少年』シリーズは、のちに『DRAGONBALL』の原型となる。これらの読み切り作品は、短編集『鳥山明◯作劇場』(VOL.1〜3)で読むことができる。

ちなみに、1983年32号の巻頭特集は「見ちゃおう!食べちゃおう!!シーラカンス」と題し、鳥山明がシーラカンスを実食するという内容であった。この記事を執筆したのは、当時ライターでもあった堀井雄二である。のちにゲームデザイナーとして『ドラゴンクエスト』シリーズを生み出す堀井と、そのキャラクターデザインを手掛ける鳥山が、「少年ジャンプ」の歴史に残る異色記事を担当していたのだ。

担当編集だった鳥嶋和彦は、「週刊文春エンタ+」のインタビュー記事で「堀井さんは取材能力があって文章もうまかったんだよ。それで、巻頭の特集記事でコミケを取材(83年40号)したり、鳥山明さんとシーラカンスを食べにいったり(83年32号)したんです」と述懐している。

7年連続で「1号に2本掲載」をやっていたことに

「1号に2話掲載」という離れ業も、じつは『DRAGONBALL』連載時にたびたび行われている。1990年5号には「其之二百五十五孫悟飯逆上!!」と「其之二百五十六死を呼ぶ追跡者!!」、1991年3・4号には「其之三百五フリーザか!ベジータか!」と「其之三百六孫悟空…復活!!」、1992年21・22号には「其之三百七十一動き始めた16号!」と「其之三百七十二決死の16号パワー!!」がそれに該当し、しかもいずれも該当号では巻頭カラーも務めている。

あるいは「『DRAGONBALL』+読み切り作品」という2本立てのケースもある。1986年49号『Mr.ホー』、1987年38号『剣之介さま』、1988年5号『SONCHOH』、1988年38号『豆次郎くん』、1989年13号『空丸くん日本晴れ』、1992年36・37号『TRUNKSTHESTORY-たったひとりの戦士-』の各作品は、『DRAGONBALL』の通常回と同時に「少年ジャンプ」に掲載された。

なかでも1992年36・37号は、本編は巻頭カラーで「其之三百八十六父を超えた超トランクス!」が載り、トランクスをフィーチャーした読み切りも掲載されたので、ファンはおおいに喜んだ。

つまり、1986年から1992年まで、7年連続で「1号に2本掲載」をやっていたことになる。しかも1992年に関しては2回も。このほかにも「少年ジャンプ増刊号」や「フレッシュジャンプ」、画集などへの寄稿もある。

こうした連載以外の読み切り作品を読むと、そのどれもが唯一無二のオリジナリティあふれる世界観を有しており、なによりも作者である鳥山明本人が描くことが大好きだったと思わされる。

さらに、マンガ作品だけでなく、劇場用アニメ映画の監修、『ドラゴンクエスト』シリーズや『クロノ・トリガー』などゲームのキャラクターデザインなども同時並行で行っていたのだから、80年代から90年代にかけては激務続きだったと想像するのは難しくない。

近年の鳥山明は、『DRAGONBALL』シリーズの劇場用アニメ作品でみずから脚本を担当し、新しいストーリーテリングの可能性を見せていた。あるいは2023年に劇場公開された『SANDLAND』では、比類なきデザイン性を誇る鳥山絵を3DCGで再現することが現実のものとなり、映像分野においてますますの鳥山ワールドの広がりを予感させていた。その矢先の訃報だっただけに、なおさら悔やまれてならない。

鳥山作品は、「この世はでっかい宝島」だと感じさせるセンス・オブ・ワンダーにあふれている。残された多くの作品群に触れれば、きっとそこに新しい発見があるはずだ。

(加山竜司)

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