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「ちょっと複雑な家庭で…」表舞台に憧れ続けた少女が、芸能界を経てセクシー女優になった“意外な経緯”

加藤あい、内田理央、浜田翔子など、名だたる女優・タレントを数多く輩出してきた「日テレジェニック」。歴史ある同コンテストのグランプリに選出されたある女性が、セクシー女優としてデビューし、注目を集めている。

【写真】芸能界からセクシー女優へと転身した矢埜愛茉が出演していたテレビ番組

前田美里、改め、矢埜愛茉(やの・えま)。

28歳の彼女は、どのような経緯で人生を大きく変える決断に至ったのか。これまでの足跡を振り返っていく。

「ちょっと複雑な家庭で…」表舞台に憧れ続けた少女が、芸能界を経てセクシー女優になった“意外な経緯”
矢埜愛茉さん©文藝春秋

◆◆◆

芸能界に憧れ続けた幼少期

――セクシー女優デビューにあたって元芸能人という肩書が大きな注目を集めましたが、もともと芸能界に憧れがあったのでしょうか。

矢埜愛茉(以下、矢埜)はい。『花より男子』を録画して、何回も何回も見てセリフを覚えては演じるようなテレビっ子で、小さい頃はお芝居をやってみたい思いが強かったです。あと、当時はAKB48さんが全盛期だったこともあって、アイドルになりたい気持ちもありました。とにかく表舞台のいろいろなことに興味と憧れを持っていましたね。

なので、東宝シンデレラだったり、それこそAKBグループのオーディションも受けましたし、オーディション雑誌を読んで履歴書を送ったり、竹下通りでスカウト待ちをしていたこともあります。

――そこから事務所に所属するきっかけは何だったのでしょう。

矢埜当時、『美少女時計』っていうアプリがすごく流行っていたんですけど、そのモデル応募に履歴書を送ったら、「ぜひお願いします」という流れで撮影に行くことになって。そうしたら、現場にたまたま、私が初めて所属する事務所のタレントさんもいらっしゃって、同行されていた事務所のスタッフさんから「よかったら、うちでやらないか」と話しかけていただいたんです。それがすべてのスタートですね。

――念願の事務所入り。初仕事のことは覚えてらっしゃいますか?

矢埜初仕事は2011年で、東日本大震災のチャリティとして開かれた舞台でした。頭は真っ白でしたし、舞台上でセリフが飛んでしまいもしたんですけど、一生忘れないと思えるほど楽しかったです。

やっぱり、ずっと芸能界を目指していたので、「やっとスタートできた!」っていう喜びがとにかく大きかったんですよね」

――憧れていた芸能界に入れて、初仕事にも満足。順風満帆ですね。

矢埜同時進行でアイドルとしてのデビューも決まっていたので、「舞台の楽しさも肌で感じられたし、もともと憧れていたアイドルもできる!」と、嬉しいことばかりでした。

学校に行って、アイドルのレッスンに行って、空いた時間は時給830円くらいのアルバイトをして……と忙しい毎日でしたが、とにかく充実していたように思います。

――そこからグラビアアイドルとしての活動もスタートされるようですが、舞台やアイドル活動と同じく、グラビアの世界にも憧れがあったんですか?

矢埜グラビアに関しては、憧れがあったというより、「芸能関係のお仕事があるだけで嬉しい!」という感覚でやっていましたね。

当時、私はまだ高校1年生だったので、“ジュニアアイドル”として、高校生アイドルだけが載っているグラビア雑誌に出ていました。所属していた事務所の先輩方も雑誌のグラビアに出たりしていましたし、こういう仕事をするのが当たり前なのかな、と。

――多感な時期、水着姿が色んな人に見られることに嫌悪感はなかったのでしょうか。

矢埜そういう感情はなかったですね。性に明るくなく、わけもわからずジュニアアイドルをやっていました。

当時は本当に「お仕事があればあるだけ嬉しい!」「とにかくお仕事ください!」という感じで。給料も気にしていなかったですし、それぞれのお仕事のギャラがいくらくらいとかもまったく知らずに活動していたくらいです。

「ちょっと複雑な家庭で…」

――ご家族も応援してくれていたのでしょうか。

矢埜ちょっと複雑な家庭で……幼少期には知らされていなかったんですけど、母は私が3歳くらいの頃に再婚していて、実の父親と育ての父親が違うんです。物心つく頃には再婚相手が家庭に居て当たり前だったので、私にとっては育ての父が本当のお父さん、みたいな。

私が中学2年生の頃に母がまた離婚してからも、父とは頻繁に会っていました。ただ、父は私が20歳くらいで病気で他界してしまったんです。でも、グラビアアイドルとしてテレビに出演した番組は欠かさず録画してくれていたり、ずっと私の活動を応援してくれていましたね。

母は母で、昔、表舞台に憧れていたけど、やりたくてもできなかった経験があったらしく、「娘にはやりたいことをやってほしい」と、芸能活動を反対するようなことはありませんでした。

――ご家族の後押しを受けながら、15歳から舞台・アイドル・グラビアとマルチに活動を続けて、18歳では歴史あるイメージガールプロジェクト「日テレジェニック」のグランプリに選ばれます。どのような経緯だったのでしょうか。

「日テレジェニック」オーディションの“裏側”

矢埜所属していた事務所の先輩方が毎年、日テレジェニックの座を争う『アイドルの穴』というテレビ番組に参加していたんです。

私が高校3年生のときには、芸歴的に次は私が事務所から送り出してもらえる可能性がある状況になっていて、そこでオーディションに参加させてもらえることになったのがきっかけでした。

「ついに始まるのか……」「先輩たちが繋いできたバトンを途絶えさせてはいけない……」と考えながら、オーディションへ行ったのが2014年の2月13日ですね。

――日にちまで覚えてらっしゃるんですね。

矢埜あ、これは私の誕生日でもあって(笑)ただ、もちろん印象に残っている日でもあります。

――無事にオーディションを通過されたときは安堵されたでしょうね。

矢埜それが、オーディションを突破したはいいものの、そこからもなかなか大変なんですよ。さらに地上波に出るための選考があって、10人くらいはイベントで落選させられてしまうんです。

――イベントというと?

矢埜撮影会みたいな感じですね。どれくらいファンの方が来てくれるかがポイントになって、残った人だけがテレビに出られるシステムでした。

――イベントでの選考も無事突破されるわけですよね。どのような心境でしたか?

矢埜「やっとテレビだ、やっと地上波に出られる!」が一番ですね。『アイドルの穴』もずっと見ていた番組だったし、テレビっ子だったし、そこに自分が出られるのは、夢のようというか、とにかく嬉しかったです。

とはいえ、番組も番組で、毎週順位発表があって1人ずつ脱落させられていくサバイバル形式なんですよ。なので、とにかく気が気じゃない。順位をつけられる怖さがあって、精神的にはキツかったです。周りには緊張からか蕁麻疹が出てしまう子もいて。とにかくギリギリの状態でやっていました。ただ、渡しの場合、やっぱりテレビに出られる喜びが大きかったですね。

――『アイドルの穴』は、今の地上波番組ではなかなか見ることのない“お色気番組”でした。

「私の場合はそれで嫌になるようなことはありませんでした」

矢埜ちょうど10年前、本当にギリギリお色気番組が許されていた時代でしたよね。

ただ、私の場合はそれで嫌になるようなことはありませんでした。前年度の番組が過激になりすぎて怒られちゃったようで、2014年はそこまで露骨なことが求められなくなっていましたし、私はまだ10代で、出方としても“妹キャラ”っぽい感じだったので、そこまで過激な振る舞いを求められなかったからかもしれません。

――結果的にグランプリに選出されるわけですが、その発表はどのようなタイミングで知らされるのでしょうか。

矢埜番組のサバイバルで、最終的に残るのが10人ちょっと。そこから記者会見に場を移して、最終順位とともにグランプリメンバー6人が発表されるかたちですね。

――では、記者会見の場に呼ばれはしたけど、メンバーに選ばれない可能性もあったんですね……。

矢埜そうですね。私はありがたいことに毎週番組内で発表される中間順位が1位から3位、悪くても5位くらいではあったんです。でも、自分に自信がなかったので「なんで私がこの順位なんだろう」ともずっと思っていて、選ばれなかったらどうしようと不安は尽きませんでした。

――名前を呼ばれた瞬間は。

矢埜もちろん嬉しかったですよ!

記者会見にはファンの方も参加していて、なかには名前の入った横断幕を持ってきてくれて、私が選ばれた瞬間に涙を流しながら喜んでくれる人もいるんです。グランプリ受賞は、私だけでなくファンの方も一緒に戦って勝ち取ったものだったと思いますし、応援の声にちゃんと応えられたのが、本当に嬉しかったですね」

◆◆◆

憧れの芸能界に入り、歴史あるコンテストでグランプリを受賞。王道を歩み始めたかに見える矢埜愛茉だったが、そこからは思うような芸能活動を送っていけなかったという。いったいどのような現実が彼女の前に立ちふさがったのか……。
 

〈「事務所の方はオッケーって言っていたので…」芸能界からセクシー女優に転身した矢埜愛茉が振り返る“精神的に追い詰められた”アイドル時代〉へ続く

(「文春オンライン」編集部)

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