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アカデミー賞受賞後に狂った生活…元子役・渡邉このみが明かした苦悩

アカデミー賞受賞後に狂った生活…元子役・渡邉このみが明かした苦悩 (全4枚)

「たかが子供だから」と言われ

物心もつかない3歳で芸能界デビューし、演技未経験で挑んだ映画『八日目の蝉』(2011年)で、日本アカデミー賞を受賞ーー。

元子役の渡邉このみは2012年春、当時5歳にしてスターとなった。天才子役として脚光を浴び、瞬く間に仕事のオファーが殺到。その後はNHKの連続テレビ小説『まれ』や大河ドラマ『西郷どん』をはじめ、数々の作品に出演。将来を嘱望されるのは、子役の宿命とも言える。

しかし、2019年に突如、中学受験を理由に芸能界を離れる。ただ、学業専念は「あくまでも表向きの理由でした」と本人は振り返る。

「当時の私は、これ以上活動を続けられないほど、芸能界に疲弊していたんです」

そう本音を打ち明けた渡邉に、一体なにがあったのか。現在17歳となった彼女が、〈「自分が本当に虐待されているように錯覚して…」日本アカデミー賞最年少受賞の「天才子役」が芸能界を去った「本当の理由」〉に続いて、子役時代に抱えていた苦悩や葛藤、精神的に追い込まれてしまった過程を明かす。

演技による「虐待の疑似体験」で消耗していた渡邉をさらに悩ませたのが、業界人との関わりだった。撮影現場では、プロデューサーや業界人から高圧的な態度で当たられることも多々あり、次第に渡邉は大人に対して強い警戒心をおぼえ、ふさいだ気持ちが続くようになる。

「現場の進行状況によっては、プロデューサーやスタッフもピリピリしていることも珍しくありません。私が撮影の休憩中に話しかけたら、普段は普通に接してくれるスタッフが、『子供だから話に入ってくるな』『敬語を使え』などと強く当たられて、かなりショックを受けたのを覚えています。

普段は優しく接してくれる大人たちから、人が変わったようにキツく当たられたり、子供扱いされて相手にされないことで、大人に対する不信感や恐怖が募っていくようになりました。ただでさえ、虐待を受けるような役柄を演じて、擬似的に虐待を受けたように感じていた私は、余計にふさぎ込んでしまうところもあったかと思います。

いつしか現場では、常に『周りの大人を怒らせてはいけない』という圧迫感も強くなりました。もともと私自身、幼少期から大人しく物分かりの良い子供で、大人の言うことは聞き、我がままを口には出さなかった。朝5時から夜8時までほぼぶっ通しの現場でも、途中で『眠い』『お腹空いた』と言わず、ひたすら我慢して良い子に努めていました。多くの大人が動いている中で、自分のせいで現場を止めたらどうしようという緊張感もありました。

ただ、利口にしていようと我慢する癖が、余計にストレスを溜め込むようになってしまったのかなと思います。『たかが子役だから』と自分を下に見てくる業界人や、小学生の私に『色気あるね』とセクハラまがいの発言に苛立ちを重ねながらも、ただ適当に笑ってやり過ごすようになり、いつしか仕事に向かうのが億劫になっていきました」(以下、コメントはすべて渡邉)

「いい子でいよう」と振る舞っていた

渡邉は、いま17歳という年齢に達したからこそ、「当時を客観的に振り返ることができた」と語る。

当時、業界人に対して嫌悪感や圧迫感を覚える瞬間はあったものの、それらが自分の負担として積み重なっていたと自覚できるほど大人ではなかった。事務所から与えられた仕事を淡々とこなし、大人しく手のかからない子供を演じているのが、小学生ながらにして正しいことだと思い込んでいたという。

「芸能人のなかでも、子役は世間から『かわいい』『小さいのにしっかりしていて偉い』といったイメージを抱かれやすいと思うんです。むしろそのイメージを守ることが、子役として生き残っていける術だと感じていましたし、できるだけ世間が求める“良い子供でいよう”と振る舞っていました。ただ、常に自分を装わないといけない息苦しさや葛藤は、年齢を重ねて自我が芽生えるごとに強くなっていきました」

そもそも小学生であれば、両親に甘えたり、友達と制約なく遊んだりと、自由に振る舞ってしかるべき年頃だ。こうした当たり前の権利も、多忙な子役という立場上、享受するのが難しかった。

「アカデミー賞を受賞して以降、関西から東京に行く機会は毎月10日以上ありました。幼稚園までは母とふたりで東京に通っていましたが、大手事務所に籍を移して以降は、ひとりで新幹線に乗って東京駅に向かい、東京駅でマネージャーと合流する状況でした。

母は仕事や弟の面倒が忙しかったですし、付き添ってもらってもただ待っているだけでかわいそうなので。それに私自身も、現場に母がいると甘えたい気持ちが出てきて、緊張感がなくなってしまうので、基本的に現場はマネージャーとふたりきりでした」

やがて東京に通うのもつらくなり、小学2年生の時に、渡邉は母と弟とともに上京。仕事の関係で父は関西に残ったものの、それが一因となり両親は離婚を選択した。

「まだ地元にいた小学校一年生の時は、登校したのが1年間で60日弱でした。そこで仕事に専念しようと、母と上京するわけですが、結果的に両親は円満離婚します。父は地元で長く続けていた職があったため、別居という選択を取り、そこから距離が生まれてしまったのかなと」

芸能事務所退所、その後

かつて子役を始めた3歳の時は、母親も「思い出づくりの一環」として、子役は幼稚園で区切りをつける予定だった。しかし、映像初出演となった映画『八日目の蝉』で日本アカデミー賞を受賞したことで仕事は急増。母子ともに「後戻りできない状況だった」と振り返る。

幸か不幸か、アカデミー賞を受賞したことで、生活の歯車は狂っていった。母は上京や離婚を選択しながら娘の活動を応援し続け、対して娘は芸能活動に疲弊していく。こうしたすれ違いも、渡邉が我がままや本音を吐かない性格だったことや、マネージャーとふたりで活動していた状況もあり、気付かないうちに大きくなっていったのかもしれない。

そうした中でも、子役を続けていくうえでの負担は日に日に蓄積していく。虐待される役柄を演じることによる追体験、業界人に対する圧迫感、自分を装い続けないといけないもどかしさーー。こうした辟易さが積み重なり、心身ともに疲弊した渡邉は2019年、小学6年生で事実上の芸能活動休止を決断する。

「学業専念を理由に活動休止を発表しましたが、それはあくまでも表向きな理由でした。活動休止する2〜3ヵ月前、とにかくこのままでは自分がパンクするという直感的な危機感を覚え、そこで初めて母に辞めたいと打ち明けます。

『本当にごめんなさい。疲れてしまいました』と伝えました。母からしたら急なことで驚いたと思いますが、私の意思を尊重して、事務所はじめ関係者への交通整理をしてくれました。結果的に、事務所の契約更新のタイミングに合わせて退所する運びとなり、母には感謝しています」

芸能界を離れた後、渡邉はマレーシアに留学する。本人は「漠然と海外に行きたくなった」と言うが、誰も知らない環境へ退避し、心を休めたいという自己防衛の表出だったのかもしれない。

演者として再び映画に

ところがコロナ禍で、2020年には急遽帰国することになり、その後は地元の公立中学に転校する。それ以降から現在に至るまでは、部活動や生徒委員会などに勤しむ普通の学生として過ごしながら、独自で活動を続けている。

「現在は、一般の高校に通いながら、どこの事務所にも所属せず、独自で活動を続けています。子役として事務所に所属していた時のように、周りの業界人に気を遣いながら、ただ与えられた役柄を演じるのは、自分が消費されていく一方だと気づきました。

むしろ芸能界を離れたことで、演技を通して自分を表現してみたいという思いが強くなりました。それに大学進学も考えているので、いまは自分で仕事を選びながら、無理ない範囲での活動を模索しています」

2024年秋に全国公開される映画『本を綴る』では、演者として久々に映像作品に出演した。かつてのつながりでオファーが舞い込んだときは迷いもあったが、監督や脚本家と話をするうちに出演を決めたという。

「『本を綴る』では、これまで出演した作品と違って規模は小さいものの、役もほぼ当て書きで、セリフの言い回しも監督と相談しながら、とても主体的に関われるような現場でした。かつての子役時代は、口を挟むことすらできない雰囲気の現場ばかりだったので、私を一人の演者として尊重してくれる雰囲気がとても心地よく感じたんです。

私の場合は、子役時代にたまたま虐待される役柄が多かった事もあり、強烈に疲弊し、業界人に対する嫌悪感も強くなった。結果的に、芸能界から離れることになりましたが、そのことで人生を見つめ直し、仕事のスタンスを変えるきっかけにもなりました。

芸能界の第一線に多少未練もありますが、3歳から小学生まで事務所に所属してきた過去と、いまのようなフリーの現在、どちらが良いかと言われたら完全に後者です。

子役時代を振り返ると、業界人に取り繕い、可愛らしいイメージを保とうと無理するのが、子役のあるべき姿だと信じ込んでいました。そもそも業界人に好かれないと仕事も回って来ないのが現実です。

その結果、私は自分の首を絞めていく事になるのですが、周りの大人が止めてくれるわけでもなければ、自分で歯止めをかけることもできなかった。いま思えば、当然ながら子供は視野が狭いので、子役はどうしても業界から消耗されがちな側面があると痛感しました」

時の人となった子役が、いつしか露出が少なくなり、人々の記憶から消えていくのはよくあることだ。いまや渡邉もその一人なのかもしれないし、芸能界では砂浜に寄せる波のように、新しい子役が次々と登場し、お茶の前の記憶を塗り替えていく。

ただ、その裏では渡邉のように、演技と現実の境目がつかなくなったり、業界に色濃く残る悪しき慣習に晒されたりして、子供ながらに葛藤し、疲弊していく人たちもたくさんいる。彼女が一度表舞台を離れ、自分を見つめ直し、改めて仕事に向き合えるようになったことは、「消えた子役」という世間のフレームを解体するとともに、芸能界のあり方に一石を投じることになるだろう。

「自分が本当に虐待されているように錯覚して…」日本アカデミー賞最年少受賞の「天才子役」が芸能界を去った「本当の理由」

アカデミー賞受賞後に狂った生活…元子役・渡邉このみが明かした苦悩 /img/cmn/btn_share_x.svg /img/cmn/btn_share_fb.svg リンクをコピーする みんなの感想は? 外部サイト 「自分が本当に虐待されているように錯覚して…」日本アカデミー賞最年少受賞の「天才子役」が芸能界を去った「本当の理由」 13歳女優の官能シーンに批判殺到、上映中止に。女性監督が振り返る 「愛子さま」と「超有名女優」が「仲のいいご友人」に...これから日本赤十字社で実現するかもしれない「やんごとなきご対面」

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