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脊山麻理子が局アナ時代を回顧「当時はADと付き合ってました」

〈「アナウンサーにちょっとダサいイメージがあった」が…“サブカル系”大学生だった脊山麻理子(44)が日テレアナウンサーの道を選んだワケ〉から続く

日本テレビの元アナウンサーの脊山麻理子さん(44)は当時としては珍しい元芸能人のアナウンサーとして日テレ入社前から話題となっていた。入社後に感じたアナウンサーとしての葛藤や、「女子アナ」っぽくなかった当時の自分、退社後の選択について明かしてくれた。(全3回の2回目/最初から読む)

【撮り下ろし】日テレアナウンサーからフリーに転身後、グラビアデビューも…現在の脊山麻理子さん(44)の写真を見る

脊山麻理子が局アナ時代を回顧「当時はADと付き合ってました」
脊山麻理子さん©杉山秀樹/文藝春秋

◆◆◆

自分に自信がなかったテレビ局時代

――今は元芸能人がアナウンサーになることは普通ですが、脊山さんの頃はすごく珍しく、入社前からメディアに騒がれてましたね。水着になったことがないのに「グラビアアイドルが女子アナに」と報じるメディアもありました。

脊山週プレがすごく報じてくれたんですよ。自分たちがグラビアに載せた子がアナウンサーになったから、やっぱり俺らの目に間違いはなかったという感じで盛り上がって。後にその記事を書いた方が私の週プレのグラビアを担当するので、縁ですよね。

――アナウンサースクールに入っていなかったこともあり、入社後は大変だったそうですね。

脊山テレビ局時代が一番、人生の中では難しかったですね。今思うと本当にいい経験をしたし、感謝しかないんですけど、自分が未熟すぎて。アナウンサーの練習をしてきてなかったから、本当に下手くそで。当時は自信もなかったし、心の余裕もなくて。

元芸能人だと報じられるのも嫌で。アナウンサー試験に受かって入社してきているのに「外見で入ってきた」と言われたり。でもそういう声をはねのけるぐらいアナウンスが上手ですとも言えなくて、すごく葛藤はありました。

「Oha!4」に出演するようになり、メンタルが安定

――入社後はどんな番組を担当されていたんですか。

脊山「エンパラ☆ナイト」「TVおじゃマンボウ」や、永井大さんがMCの「ミラクル☆シェイプ」だったり、「おネエMANS」などバラエティー番組にはかわいがってもらって。でも「ニュース番組をやったことがない」ということで、アナウンス部の中で少し肩身の狭い思いをしていたんです。その中で報道局の制作の番組である「Oha!4NEWSLIVE」が決まりました。

――朝の報道番組ですね。平日4時スタートの番組でしたが、脊山さんや中田有紀さんなどが出演されていて、すごく華やかな番組でした。

脊山「Oha!4」が始まってから、私のメンタルも安定していきました。私が担当した頃からは4年連続視聴率1位で表彰もされましたし、やっと認めてもらったと思いました。「Oha!4」ではニュースも読みましたし、スポーツニュースもやりましたし、ナレーションもロケも全部やらせていただいて育ててもらって。その経験があるからフリーでもやっていけると思いました。

番組で共演した中田さんや掛貝梨紗ちゃんとはすごく仲が良くって、梨紗ちゃんとは今でも1年に何回か一緒に遊んでいます。学校みたいな番組で、もう一度人生があっても「Oha!4」をやりたいです。

実は「女子アナ」っぽくなかった

――脊山さんはフリーになった後、他局のアナウンサーの方と座談会をやっていますが、明らかに日テレだけ他局よりも厳しい。

脊山フジテレビとかTBSのアナウンサーがキラキラしている感じとかちょっとまぶしかったですね。

日テレはタクシーで帰る時も他のスタッフと同席で4人乗せるんですよ。取材でも「もう終電だから、お前先に帰れ」とか。

タレントさんたちからも一歩引いてました。ロケバスでタレントさんと一緒になると「私なんかが失礼します」という感じで端っこに座って。もともと人見知りだし、「タレントさんと同じバスでいいんですか?」「マネージャーさんとお話ししていいんですか?」とビビっていました。それなのにみんな話しかけてくれたり優しくって。

いとうまい子さんには「電話番号教えて。今度飲みに行こう」って言っていただいて「タレントさんが飲みに誘ってくれた」と嬉しくなりました。当時はタレントさんは本当にすごい存在だと思っていたので。いとうさんは今でも私のことをかわいがってくれています。

ーー脊山さんは派手に見られがちでしたが、実はいわゆる「女子アナ」っぽくないんですね。

脊山そうですね。当時はADと付き合ってましたし。私はIT社長さんとか野球選手とかには全く興味なくて。家族が医者だから医者に憧れもない。

ブランド物とか1個も持ってなかったですし、その意味ではちょっと変わっている方だったかもしれません。ファッションも制作のお兄さんと変わらないような格好で、Tシャツ着て、パンツはいて、カバンを斜めがけしてスニーカーというのが好きだったので。

だけど当時女子アナは化粧して、髪の毛を長くしてと言われて、そういう世界観のアナウンサーにならなきゃみたいな感じでやってました。茶髪にして、マツエクして、髪も巻いてって。それはそれで楽しかったなって思います。ただ、もともと中高と全然お化粧をしないで生きてきたので、今はそこに戻ってきちゃった感じです。

日テレを退社後、ホリプロに所属することに

ーー辞めたのはいつですか。

脊山「Oha!4」を卒業して、3年半くらい。29歳のころですね。私のことを気に入ってくれていた当時の上司が外れることになって。その時には担当する番組もなくなっていたので、トライするにはちょうどいい年齢だと思って日テレを辞めて、「アーキテクト」という会社に入りました。

アナウンサーとしてのイメージを大事にしてくれる真面目な事務所で、フリーになった当初はTOKYOMXの情報番組であったり、バラエティーというよりは真面目な番組にアナウンサーの立ち位置で出させていただいていたんですよ。

かわいがってくれていた広告代理店の社長が、ホリプロの社長や役員と仲が良くて、ホリプロに行けばもっといろんな番組に出られるよとなって、紹介していただいてホリプロに入りました。

〈「実は2020年から六本木で」元日テレアナの脊山麻理子(44)が語る、“バーのママ”を始めた理由「お客さんはテレビ関係、不動産関係、大学生からスポーツ選手…」〉へ続く

(徳重龍徳)

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