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「五感がほぼ全滅」88歳・横尾忠則氏が語るハンディを逆利用した生き方

「五感がほぼ全滅」88歳・横尾忠則氏が語るハンディを逆利用した生き方

歳を取ると若い頃の経験とは全く別の思いも寄らない出来ごとに遭遇します。まあ悩ましいことの方が多いんですが、こういうことは誰にも起こっていることで、自分だけに起こっている特別のことではないと思うべきかも知れません。

僕の場合は五感がほぼ全滅です。耳は極度の難聴でほとんど聞こえません。目は霞んで、朦朧状態で絵を描いています。鼻は花粉症で年中鼻炎に悩まされています。口は元々喘息で咽がつまっています。触覚の手は腱鞘炎で、思うように絵が描けません。残こるは第六感だけです。

今日は左下腹部が痛むので病院へ行きました。憩室炎という聞いたこともない病名です。肉体のハンディキャップによって、日替りメニューのように毎日違った症状が襲ってきます。というか朝、目覚めると同時に身体のどこかが小さい悲鳴を上げているのです。肉体の異変だけではありません。昨日のことも思い出せません。人の名前はおろか、顔も思い出せません。物を置いた場所も思い出せず、いつも神隠しに遭っている状態です。

「五感がほぼ全滅」88歳・横尾忠則氏が語るハンディを逆利用した生き方 横尾忠則さん

とにかく次から次へと面白いほど記憶が薄れていきます。何年もいるスタッフを目の前にしながら名前がでてきません。言葉や文字もでてきません。だから辞書の引きようもないです。

まあ、こんな状態を嘆くというより、どこかでこの肉体的ハンディキャップを愉しみながら、遊んでいる自分がいることに気づいています。小さい子供は大人に比べると、語彙がうんと少ないです。でも、そんな子供が時には大人でさえ太刀打ちできないような、ドキッとするようなことを言って煙に巻きます。語彙が少ないだけに、本質というか、真理のようなことを言って大人を困らせたり驚かせます。大人が理屈っぽいのは分別で物を言うからでしょうね。子供はその点無分別です。つまり思慮がないのです。

大人はあれこれ思いをめぐらす結果、損得に左右されます。挙句、理屈で物事を解決します。その点、子供は純粋、無垢で、素朴なので、知らず知らずに真理を真理と知らずに語ってしまうのです。

そんなわけで、老齢と共に語彙もどんどん消滅します。すると、どうですかね。少し子供っぽくなりませんかね。だから物忘れは子供に近づく手段として、少しは嬉しくなります。そう思えば物忘れもそんなに苦にならず、怖いことではないと思うんですが、どうですかね。

僕は補聴器も役に立たないほどの難聴です。だから人が集まる場所にはなるべく行かないようにしています。行ったって他人と会話ができないからです。まあ、そんな場合は適当にハイ、ハイなんて言ってますが、相手もその内、どこかにスーッと消えてしまいます。

家では妻が何んか言っていますが、その場の雰囲気に合わせて適当に対応していると、その内、妻も、相手にならないと思ってか、自分の用のためか、スーッと部屋から消えていきます。お互いに余計なことをしゃべって意見が対立してケンカになるなんてことは絶対起こりません。夫婦円満、和合のコツは聞こえないことです(笑)。夫が難聴で夫婦の会話が不毛になって悩んだ奥さんが人生相談をしている記事を読みましたが、ハンディはハンディと認めて前向きに生きるというのも、ひとつの生き方だと思います。

僕は商売道具の右手が腱鞘炎なので、以前のようなリアルな絵や緻密な絵は描けません。線も真っすぐに引けないで、ヨロヨロとしたシャクトリ虫みたいな線しか引けません。特に目鼻など描くと福笑いみたいに、目鼻の配置が目茶苦茶です。これじゃ困るのですが、僕はこのヨレヨレの線が今の自分の自然体と思うようにしたのです。すると意識的にデフォルメなどしなくても勝手に手が思いも寄らないデフォルメをしてくれます。そのことで、無理して作風を変えようとしなくっても勝手に手が作風を変えてくれます。修正や努力などする必要はないのです。全て腱鞘炎が勝手に描いてくれるのです。

老齢になるとハンディキャップだらけですが、このハンディに抵抗などしない方がまだ知らない未知の自分を発見して、逆に新しい自分に驚ろくことができます。老齢の新しい生き方はハンディキャップを逆利用することではないでしょうか。かつての良き時代の自分を回復したいなんて、そんなくだらないノスタルジーに浸るよりは、出来ないことを喜こぶべきじゃないですかね。

僕は五感がほぼ全滅ですが、逆に五感によって隠蔽していた第六感が活動を始めます。五感なんて知性と感性に縛られた奴隷です。五感の消滅で第六感が目覚めるのは老齢の特権です。老齢になって初めて超能力者になれるのです。努力したり考えたりしないで、努力と考え以上の領域に入って超人間になる絶好のチャンスです。ハンディキャップこそ老齢の救いであり、神です。

横尾忠則(よこお・ただのり)
1936年、兵庫県西脇市生まれ。ニューヨーク近代美術館をはじめ国内外の美術館で個展開催。小説『ぶるうらんど』で泉鏡花文学賞。第27回高松宮殿下記念世界文化賞。東京都名誉都民顕彰。日本芸術院会員。文化功労者。

「週刊新潮」2024年6月27日号掲載

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