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ZARD・坂井泉水さん、最後の最後まで「謎に包まれた生きかた」

ZARD・坂井泉水さん、最後の最後まで「謎に包まれた生きかた」

朝日新聞の編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。今週は音楽ユニット・ZARDのボーカル・坂井泉水さん(1967〜2007)です。「揺れる想い」「君がいない」、そして「負けないで」……多くのヒット曲は、閉塞感が漂う90年代を生きた若者の心を捉えました。あまりにも突然だった彼女の死の背景にあったのは何だったのでしょうか。

【写真を見る】突然のお別れに呆然。通夜や偲ぶ会にかけつけた多くのファンたち

孤独や沈黙に弱い人間

坂井泉水さん(本名・蒲池幸子)が入院していた東京都内の大学病院に、私は14年間通っている。詳細は伏せるが、昨年は5回入院した。

ZARD・坂井泉水さん、最後の最後まで「謎に包まれた生きかた」 逝去から3か月後に発売された追悼アルバム

夜9時。病室の電気を消す。就寝時間である。でも、なかなか眠れるものではない。こっそり病室を抜け出し、院内をぶらぶら歩いたこともあった。

昨年春。そのときの思いをパソコンに記録していた。

「昨夜もあまり眠れなかった。どうやら自分は孤独や沈黙に弱い人間のようだ」

気分転換に病棟最上階に行く。エレベーターホールからは東京の高層ビル群の夜景がよく見える。手前に鬱蒼とした木々に囲まれた森。夜は真っ暗だ。闇と光のコントラストを楽しむのも、東京の夜景の楽しさだろう。

「あの明かりの下で、今夜はどんな人間模様が繰り広げられているのか」

担当の看護師さんが教えてくれたのだったか、この病院に坂井さんが入院していたことを知った。そして亡くなった場所も、それとなく教えてくれた。

坂井さんが亡くなったのは2007年5月27日。翌日の朝日新聞夕刊社会面は「ZARDボーカル・坂井泉水さん転落死がん闘病中の病院で」という見出しでこう伝えている(具体的な病院名は伏せる)。

《「ZARD」のボーカルで作詞家の坂井泉水さん(40)=本名・蒲池幸子(かまちさちこ)=が27日午後、脳挫傷のため、東京都内の病院で亡くなったことが28日わかった。坂井さんは昨年6月、子宮頸がんを患い、入退院を繰り返していた。

所属事務所などによると、26日早朝、日課の散歩後に病室に戻る途中、病院の非常用スロープの踊り場から転落したという。

四谷署の調べでは、26日午前5時40分ごろ、病院のスロープ近くに坂井さんが倒れているのを通りがかりの人が見つけた。手すり(高さ約1メートル)に残っていた指紋などから、高さ約3メートルのところからスロープ外側に転落したとみられ、詳しい状況を調べている。

坂井さんは、モデルとして活動していた91年、「Good-byeMyLoneliness」でデビュー。「揺れる想い」「君がいない」など、次々と大ヒットをとばした。164万枚(オリコン調べ)を売り上げた「負けないで」は、94年の選抜高校野球の入場行進曲になった。

一方、作詞家として人気アーティストに楽曲を提供、テレサ・テンの「あなたと共に生きてゆく」やDEENの「瞳そらさないで」などのヒット曲を生んだ。経歴を明かさず、テレビ出演を控えて限られた映像しか公開しないなど、独特の露出手法で話題を集めた。》

たしかに、1994年春の選抜高校野球大会の行進曲に選ばれた「負けないで」など、坂井さんが作詞した曲をいま改めて聴くと、一つの基本パターンのようなものが浮かんでくる。開かれた未来に向かって、控えめながらも、明るくけなげに向き合っている姿というのだろうか。

社会が先行き不透明な時代に…

当時の朝日新聞の声欄。53歳の女性は「私の葬儀の時には『負けないで』をかけて」と冗談まじりで家族に言っていたという。澄んだ歌声とともに、歌がストンと心に入ったそうである。結婚、子育て、子どもの受験、経済への漠然とした不安……。「学校に受かることも大切だけれど、受かる受からないより、負けないで。自分に負けないで」とエールを子どもたちに送っていたという。

悲しいニュースが日本列島を包んだ。所属していた東京・六本木の事務所と大阪の関連レコード会社には献花台が設けられ、数千人のファンが訪れたという。バブルが崩壊し、日本が閉塞感に包まれていた1990年代の若者たちを励ました「負けないで」。制服姿の高校生やネクタイ姿の会社員、赤ちゃんを抱いた女性らが次々と花束を持って訪れ、記帳した。遺影の前で嗚咽する女性。坂井さんの存在の大きさを改めて知らされた。

それにしても、坂井さんは生前、メディアにほとんど露出しなかった。女性特有のがんを患っていたことが明らかになったのも亡くなってからのことだった。

なのに、多くのファンの心をとらえたのは、先行き不透明なあの時代、軽やかな歌声と普遍的な歌詞に、だれもが自分の体験を重ねることができたからではないだろうか。阪神・淡路大震災、オウム真理教による一連の凶悪な事件、就職氷河期……。東京社会部の駆け出し記者だった私は、世の中がどんより沈んでいた感じだったことを覚えている。

唐突かも知れないが、ノストラダムスの予言によると、人類は「1999年7月に滅びる」とあり、それに向けて世の中全体がひた走っているようなムードすら私は感じた。もちろん、何も起きなかったし、人類は21世紀を迎え、今日に至っている。

90年代後半は「TOMORROW」(作詞・岡本真夜ほか)、「I’mproud」(作詞・小室哲哉)など、前向きな生き方や励ましを訴える「前向きソング」が若者の心をとらえた時代でもあった。あのころのポップスのキーワードを「がんばれ」「大丈夫」「元気」の3つとみていたのが作詞家の阿久悠さん(1937〜2007)だった。

《元気がない時に、元気という言葉を求めたくなる。『がんばれソング』に群がりながら、実のところ何をがんばっていいのか分からない。そんな現代の若者の姿を象徴している》(朝日新聞:98年5月17日朝刊)

70年代後半に大ヒットしたピンク・レディーの「UFO」や「ペッパー警部」とは決定的に違った。あのころ高校生だった私は、歌詞の中にドラマを見つけ、そこにひたる想像力を楽しんでいた。だが、阿久さんは「いまは、こういう曲を出しても売れないだろう」と生前お会いしたときに言っていた。「時代の飢餓感にボールをぶつける」ことを自分に課していた阿久さん。90年代に相次いだ「がんばれソング」について本当はどう思っていたのだろう。

派手な振舞いを避けた私生活

話を戻す。坂井さんは子宮頸がんを患い、全摘出手術を受けて回復の兆しを見せていた。だが、肺への転移が見つかり、入退院を繰り返していた。実は私も14年前から前立腺がんを患い、都内の病院で治療を受けている。前述したように、事故現場の非常階段は「ああ、あそこだな」と大体分かっている。

コロナ禍後は入院患者といっても病院の外を歩いたりすることはできないが、コロナ前は病院の敷地内であればある自由に散歩することができた。坂井さんにとっても非常階段付近は、日課としていた散歩コースだったようだ。スロープ状になっている非常階段に腰掛けていて、何かの弾みで後方に転落してしまったのだろうか。警視庁四谷署は事故と自殺の両面で捜査したが、死の真相はいまだに判然としない。まあ、この話はこれ以上、言及するのは避けよう。

振り返ると、坂井さんはミリオンセラーを連発しつつも、その生涯は最後の最後までミステリアスだった。「謎に包まれた歌姫」とも言われた。派手な振る舞いを避け続け、テレビなどメディアへの露出も控えた。ファンの前に初めて生の姿を見せたのは、デビューから8年後の99年8月。アルバム購入者を対象にしたクルーズ客船でのライブだったといわれる。住まいも東京の都心でなく、郊外。人気が出てくるとおごりが見えているアーティストもいるが、坂井さんは違った。

さて、2年前の11月、「天国から呼び出してもう一度飲みに行きたい昭和・平成の著名人ベスト16」という企画記事が週刊朝日に掲載された。1位は美空ひばり(1937〜1989)、以下は樹木希林(1943〜2018)、志村けん(1950〜2020)、松田優作(1949〜1989)、忌野清志郎(1951〜2009)、高倉健(1931〜2014)、渥美清(1928〜1996)。そして8位は同票で夏目雅子(1957〜1985)、尾崎豊(1965〜1992)、そして坂井泉水だった。

坂井さんに勇気づけられた国民はいまも多い。

次回は、来年秋から始まるNHK連続テレビ小説「ばけばけ」のモデルとなる作家のラフカディオ・ハーン(小泉八雲=1850〜1904)。ドラマの主人公は妻・小泉セツ(1868〜1932)だが、「怪談」などで知られる八雲の数奇な生涯をたどる。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴36年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

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