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突撃!ヨネスケが今だから明かせる「最もつらかった晩ごはん」

突撃!ヨネスケが今だから明かせる「最もつらかった晩ごはん」 (全9枚)

あの名物番組の名物出演者はいまどうしているのだろうか――。晩ご飯の時間帯に、その町の見ず知らずの家庭に何の予告もなく訪問して、夕食の様子を撮影することで人気を博した「突撃!隣の晩ごはん」(日本テレビ系列)。

見どころはアポなしならではのハプニングと、なかなか見る機会がない各家庭の夕食風景。そして顔より大きなしゃもじを持ったレポーターのヨネスケこと落語家の桂米助さん(76歳)のトークだ。地上波終了から13年、その収録秘話や番組への思いについてヨネスケさんに聞いた。

田園調布では36軒断られた

「今晩のご飯、見せていただけませんか〜?」とレポーターのヨネスケさんが一般家庭の食卓に突撃する、「元祖アポなしロケ番組」だった「突撃!隣の晩ごはん」。地上波では1985年から2011年まで26年にわたり放送され、昭和から平成にかけての「日本の食卓」を伝え続けてきた。

見どころは、アポなしならではのハプニングや予想外の展開。個性的な家族との交流や家庭的な雰囲気、その土地ならではの食文化や料理の紹介も、番組の人気を後押しした。だが、それ以上に「ほかの家庭の晩ご飯」をのぞき見るという斬新な視点が面白がられ、多くの人に親しまれてきた。

そして番組の顔ともいえるヨネスケさんは、親しみやすいキャラクターと軽妙なトークで視聴者を楽しませ、番組を盛り上げた。

ヨネスケ「47都道府県はすべて連れていかれましたよ(笑)行っていない県はありません。日本だけじゃなくて海外にも行きました。アフリカ、韓国、ラオスでは首長族の村でも晩ご飯を見せてもらいました」

日本を飛び出し、海外の家庭を訪問することもあった同番組。訪れた家庭は2000軒を超えるという。その中で「印象に残っている晩ご飯」を尋ねると、意外なエピソードが語られた。

ヨネスケ「忘れられないのは東京の田園調布ですね。36軒交渉してその全部断られました(笑)。そのあとも2回か3回訪れているらしいんですが、全部だめ。それがつらすぎたからか、脳が記憶を消しています。全然覚えていないんです(笑)」

そんな過酷なロケもあった「突撃!隣の晩ごはん」。ヨネスケさんが出演することになったきっかけについて尋ねると、実は深い裏話があったのだ。

第一回目はまさかの“ヤラセ”スタート

ヨネスケ「みんな、僕が最初から決まっていたように思っているようですが、オーディションです。何を話したかもう覚えていませんが、ディレクター『面白い!』と言ってくれて採用されたんですよ。ただ。受かったものの『俺でいいのかな』って思っていましたけどね」

「覚えていない」と話すヨネスケさんに助け船を出したのは、妻の陽子さん。

陽子「私が聞いた話では、『お父さんを探したいから』ってオーディションの時に伝えたそうなんですよ」

ヨネスケ「僕ね、愛人の子だったもんですからね。父親の存在を知らなかった」

陽子「オーディションで『テレビに出てどうするの?』って聞かれたとき、『親父を探したい』って言ったそうなんです。そしたら『それが面白い』って採用された」

ヨネスケ「そうだったね。いろいろなお宅を訪ねていったら、もしかしたら父親のところにたどり着くかもしれないって、当時は考えたんだろうね」

そうして番組のレポーターに決まったヨネスケさん。

記念すべき第1回目の収録は東京・新宿にある「戸山ハイツ」という都営団地だった。

だが、記念すべき初めてのロケはヨネスケさんにとって、苦い思い出になっている。

ヨネスケ「ディレクターが事前に訪問するお宅に連絡をしていたんですよ(苦笑)。それじゃあ、“突撃”の意味がないじゃない」

いわゆる「ヤラセ」からのスタートになりかけたのだ。

突撃した家では、玄関先でその家の奥さんが「いらっしゃいませ」と言って丁寧に出迎え、ご主人はネクタイまで締めて応接室で待機していた。室内に案内されると食卓にはうなぎ、天ぷら、寿司など豪華な料理が並んでいたという。

しかし、そもそもその家は、70歳近い高齢夫婦の二人暮らしだ。

ヨネスケ「どう説明したってヤラセに見える。だから、『これはボツにしますよ』ってディレクターに伝えました。まさかの1軒目からボツ(笑)」

こうして、崖っぷち状態からヨネスケさんの「突撃」はスタートした。

ヨネスケ「2軒目からどこをどう回ったか覚えていませんよ(笑)。もうパニックでしたらから(笑)。当時、1回のオンエアでは4軒分の晩ご飯を紹介することになっていました。だからどうにかして撮らなきゃって、その一心でしたからね。もうがむしゃらですよ」

「突撃」するベストなタイミング!

決まっていたのは、番組で訪問するエリアや地域だけ。訪問する家庭は当然、その場で選ばれた。

ヨネスケ「収録に行くとまずロケハンをするんです。八百屋さんや魚屋さんなど地元の人に『このへんで面白い奥さんいませんかね』って聞いて、情報収集していました。お願いできそうな家を選ぶポイントは一つは、ベランダにおむつが干してあったり、庭に子ども用の自転車がバーンと投げてある家です。そこはOKになる可能性が高かった。

お子さんがいる家庭は意外と許可が取れやすかったんです。ただね、お子さんがいてもきちんと自転車が並んで止めてある家は断られる(笑)」

「突撃」の成功率が高かったのは、意外にも大雑把にしているお宅だったそう。

ヨネスケ「おおらか、というんでしょうね。細かいことは気にせず『どうぞ、どうぞ』と入れてくれましたね。入れてくれる家、ダメな家の見極めはロケを重ねるごとに徐々にわかってくるようになったんです」

そしてもう一つ、忘れてはいけない重要な点があった。番組の「肝」と言える食事の時間を逃さないことだ。

ヨネスケ「漁師、農家、サラリーマン…職業によって食事の時間は違うんです。そして季節や地域でも異なりました。

例えば漁師町の場合、漁師さんの晩ご飯は早い時間。農家は季節によって変わります。冬場は日の入りが早いので5時か6時。夏は日が長いので7時か8時ごろ。北海道では日が沈むのが早いため、『早めに現場に入ろうかな』。南は日が長いから『遅い時間でもいい』とか。

肝心の晩ご飯を取り逃さないためにも現場に入る時間は大切でした。長く続けていると経験則でそのタイミングも見極められるようになりました」

早すぎても調理中、反対に遅すぎると今度は食べ終わってしまう。「突撃」するベストなタイミングをつかむためにはキッチンの換気扇から漂うにおいも重要な手がかりになっていた。

そしてインターホンを鳴らすのもヨネスケさんの仕事だ。訪問先が承諾してくれると、家の中に上がり込み、晩ご飯の風景と家族の様子を撮影する。

晩ご飯の取材に入る前、ヨネスケさんには必ず行うことがあった。

ヨネスケ「仏壇があれば必ず手を合わせていましたね。手を合わせることは御先祖様にご挨拶をするということ。やっぱりそのお宅にお邪魔するので、礼儀が必要ですからね」

乱雑な冷蔵庫のお宅は料理上手!

しかし、なんの予告もなく、突然現れたヨネスケさんとテレビクルーたちに、家の人たちは当然驚く。悲鳴をあげたり、呆然としたり。ときにカメラから逃げ惑うおばあちゃんを追いかけたり、有名人に遭遇して大興奮の子どもがいたり。そうしたパニック風景も番組の醍醐味。入浴中のご主人のもとに「ヨネスケです」と挨拶したこともあったという。「今ではとてもできない」ロケのスタイルだった。

ヨネスケ「最後のほうは3人くらいでコンパクトに取材できていましたが、始めた頃は大所帯でしたよ。僕以外にはカメラマンと音声さん、照明さん、ディレクターの5人。狭い家に入るともう窮屈で(苦笑)」

そして訪問先では晩ご飯だけではなく、「冷蔵庫チェック」も恒例となっていた。

ヨネスケ「奥さん方はみんな忙しいから、結構乱雑になっているお宅も多い。でもね、そういうお宅の料理がまたうまいんですよ」

あまりにも大胆なスタイルの番組作り。だが、訪問先で怒られたことや、その後、局にクレームが入ったことは一度もなかったという。

ヨネスケ「それは僕たちのチームワークと訪問先のおおらかさがあったからだと思います。自分たちで車を運転し、いつも同じメンバーで現場に行っていましたからね」

番組は30年近く続いたが、ヨネスケさんは「毎回、収録に行くのが嫌だった」とその胸の内を明かす。

後編記事『「3軒連続で吉野家の牛丼」だったことも…!26年で2000軒「隣の晩ごはん」ヨネスケさんが見てきた「日本の食卓」の変化』に続きます。

「3軒連続で吉野家の牛丼」だったことも…!26年で2000軒「隣の晩ごはん」ヨネスケさんが見てきた「日本の食卓」の変化

突撃!ヨネスケが今だから明かせる「最もつらかった晩ごはん」 /img/cmn/btn_share_x.svg /img/cmn/btn_share_fb.svg リンクをコピーする みんなの感想は? 外部サイト 「3軒連続で吉野家の牛丼」だったことも…!26年で2000軒「隣の晩ごはん」ヨネスケさんが見てきた「日本の食卓」の変化 桂枝雀と桂雀々、師弟の「奇跡的な類似」と独特な「距離感」…似ていたのは口調だけではなかった! 《幇間と巡る浅草》世界に6人しかいない「太鼓持ち」が激推しする「最高の名店」 関連情報(BiZPAGE+) 海, 法要, 神事, 老人ホーム, 鎌倉, デイサービス, 仏壇, 在宅医療, 工場, 徳島

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