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刑務所から“4度の脱獄”に成功……『ゴールデンカムイ』のモデルとなった男が使った「3つの特殊能力」

累計部数1900万部を超える『ゴールデンカムイ』の名物キャラクター・白石由竹。「稀代の脱獄王」の異名を持つ彼のモデルになったのは、「昭和の脱獄王」と呼ばれた白鳥由栄(しらとり・よしえ)である。

【画像】漫画『ゴールデンカムイ』のモデルとなった男

生涯で“4度の脱獄”に成功した白鳥が兼ね揃えていた「3つの特殊能力」とは?異色のベストセラー『つけびの村』で注目を集めた高橋ユキ氏の新刊『逃げるが勝ち脱走犯たちの告白』より一部を抜粋。(全2回の1回目/後編を読む)

◆◆◆

初めての脱獄

1907(明治40)年、青森県に生まれた白鳥は、父親の病死をきっかけとして2歳で親類の家に養子に出された。尋常小学校を卒業後、家で豆腐屋の仕事を手伝い、父親の借金を返して将来は自作農になる夢のために、寝る間も惜しんで働いていたという。

21歳の頃には地元で所帯を持ち、一男二女の父になった。しかし、白鳥は豆腐屋稼業のかたわら、賭博の金欲しさから、土蔵荒らしにも手を出すようになってしまう。最初の刑務所送りの原因となる殺人は、この流れで起こした事件だった。

仲間と雑貨商の家に忍び込み、店内を物色していたとき、同家の養子に見つかった。逃げ出すも追いつかれ、仲間が組み伏せられた際に、25歳の白鳥は養子の背中を日本刀で斬りつけ殺害したのだ。

2年後に土蔵荒らしの犯人として盛岡警察署に逮捕、のち青森刑務所柳町支所に移送。なかなか公判が開かれないことに焦れ、また看守の冷酷な扱いに耐えられなかった白鳥は28歳の頃、ここから初の脱獄を果たす。

当時の東奥日報が、脱獄を報じていた。

『午前五時二十分から三十分までの間に白鳥由栄が独房の錠前を巧みに外し裏塀を飛び越えて脱走した』

 

『兇悪なる殺人強盗犯人白鳥由栄(三十)逮捕のため、捜査当局は夜に入る前に逮捕すべく全機能をあげ一般の協力を求めて全県下に捜査網を張り特に潜伏を豫像される青森市内には文字通り蟻の這ひ出る隙もなく網を張りめぐらし彼の立寄先と覚しき個所を虱潰しに捜査したが白鳥の脱走は全然瞬間的の出来心からではなく、予てから脱走の計画をめぐらして居たものらしくために白鳥も脱走後の行動に就いては用意周到を極め居るものと見られる』(昭和11年6月19日)

同時にこの記事には、県から市民へ、白鳥確保のために協力を求める旨も記されていた。捜索のために消防手らが出動し、のどかな田園風景の中を『犬一匹も見逃さずと警戒』する事態に発展し――ポンプ車もサイレンを鳴らして出動したため――「火事だが」と近隣住民が外に飛び出し、叫び出す一幕もあった。

依然として行方が知れないなか、弘前市内で目撃された「似た人相の男」を捕まえるも、人違いの無銭飲食男であったり、挙動不審の男を確保するも、これまた人違いのバット所持男であったりと、捜査員らは躍起になるあまり、空回りした面もあったようだ。

といっても、このときの逃走生活は長くはなかった。「東奥日報に出ている白鳥由栄に似ている挙動不審の者を見た」という報告が寄せられたことにより、警察は大捜査網を敷いた。白鳥が潜伏していると推測された地域を中心に、数十名単位の捜査員を円形に配置し、徐々に円を狭めていったのだ。その結果、共同墓地付近に白鳥がいると分かった。押しかけたところ、空腹でフラフラの白鳥を発見。確保に至った。逃走から2日後のことだった。彼の確保のために6300人あまりが駆り出された。

脱獄王にくだされた判決は…

確保時の東奥日報が報じたところによれば、白鳥の脱獄は初回から入念な準備がなされた結果であった。

『脱走の数日前、便器の汚物を棄てに行つた際、廊下で長さ七、八寸の二分丸の針金を拾い、数日間を費してこれを曲げて手製の鍵を作り、それで監房の錠前を外して脱監して同裏門の扉を開け……』

白鳥由栄については、ジャーナリストの斎藤充功氏がかつて徹底的に取材し、『脱獄王白鳥由栄の証言』(幻冬舎アウトロー文庫)にまとめている。彼は、斎藤氏に対し、脱獄までの準備を明かしていた。

『汚物を棄てるため房外に出た時に、錠前の位置と食器口の位置を目測で計り、後日、看守の隙を狙って食器口から手を出して、掌が鍵穴に当たることを確かめた』

『狙った時間は真夜中で、看守の交代時間だった。その時間は看守のいちばん気のゆるむ時間帯で、巡回の空白時間が十五分あるんだ。その時間を計るには看守の足音を数えて、それで、ピタリと当てた。もちろん、何十日も試してみたよ……』

脱獄すると決めたら絶対にやる。そんな彼の執念が初回の脱獄からすでに感じ取れる。白鳥は先の強盗や殺人などの罪で起訴され、同年8月、青森地裁にて死刑を求刑された。この時代、インターネットもテレビもないため、彼のニュースは全国区に広がってはいなかったが、少なくとも青森県下では相当な騒ぎとなっていた。

『何分にも事件は迷宮入りを伝えられ二年六ケ月振りで判明した東郡筒井村の強盗、殺人事件をはじめ青森市内及び青森市附近の土蔵破り犯人、刑務所破りだけに傍聴人は約五百名法廷前に群がつた(…)裁判所では整理のため傍聴券百五十枚発行したが、我も我もと押しかけ、入廷した傍聴人は約三百名』(『東奥日報』昭和11年8月19日)

傍聴希望者500名は、2020年に東京地裁で開かれた歌手・槇原敬之の覚醒剤取締法違反等の公判に集まった人数とほぼ同じである。

この公判に白鳥は『傍聴席を見廻してニヤニヤと不敵な笑いを浮かべ』るなど、不遜な態度で臨んでいたようだ。

後日行われた判決公判で白鳥は無期懲役を言い渡され、この判決は宮城控訴院で確定した。青森刑務所から宮城刑務所、小菅刑務所に身柄が移されたのち、最終的に秋田刑務所に移監されたのが1941(昭和16)年10月だった。

“ヤモリ”のように天窓によじ登り

だが、そこから1年も経たないうちに、白鳥は2度目の脱獄に成功するのである。その執念には、秋田刑務所における処遇の劣悪さが関係していたようだ。刑務所側は、特別に作った「鎮静房」という独房に、白鳥を収容した。

「鎮静房」には昼間でもほとんど陽が射さず、高い天井に薄暗い裸電球が一灯あるのみ。三方の壁は銅板が張られ、扉は食器を出し入れする小窓もなかった。秋田刑務所なりに、脱獄を警戒してのことだろう。しかしこの“やりすぎ”な対応がかえって白鳥の怒りに火をつけてしまったのだ。

のちの判決文には「手錠をかけられた儘で置かれたのでこのままでは到底耐えられないと考え、再三担当看守にその房から出してくれるように取り計らってもらいたいと申し出たが聞き入れられなかった」とある。

過酷な環境で一冬を過ごした白鳥はしびれを切らし、青森と同様に綿密な計画を立て、入念に準備を進めてふたたび脱獄を果たすことになる。

『せまい独房の両側に足をかけて“ヤモリ”のようによじのぼり天窓にとびついて、ブリキ板の一片とクギ一本を手に入れ、この材料でノコをひそかにつくり、看守の眼をのがれてはわずかの時間に壁をのぼり明り採り窓の木ワクを切り、数日でこれを切断し、これにより十七年六月、この窓の鉄格子をたたきはずして脱走』(『北海道新聞』1947年4月3日)

2度目の脱獄の目的は、秋田刑務所での処遇改善を司法省に訴えるためだったと白鳥は主張している。刑務所内から看守に向けて直訴しても、処遇は一向に改善されない。ならば直訴するしかない……。脱獄当日の夜は前日からの雨がひどくなり、暴風雨となっていた。物音をかき消してくれる天候、午前0時に行われる看守交代の15分のタイミングを狙い定め決行したのだ。

しかし、そうはいっても脱獄の第一ステップの“天井によじ登る”行為すら、常人にはなかなかできるものではない。白鳥はこれを『直角の銅板の壁を両足でふん張り、両手を壁にピタッと吸いつけて、一歩一歩せり上り、予め取り外しが出来るように仕込んでおいた天窓を頭突きで外してから、屋根瓦に飛び移った』(『脱獄王』より白鳥の証言)というから、その身体能力には驚かされるばかりだ。

皮膚を吸盤のようにできる特異体質

彼の“特異体質”は、単に運動神経が良いというだけではない。ほかにも大きな特徴があった。ひとつは、手足の裏の皮膚を伸縮させ吸盤のようにできること。もうひとつは、身体中の関節を自由に外せることだ。首さえ出入りできる場所があれば、猫のようにそこから全身を出すことが可能だったという。秋田の脱獄は、彼の執念と特異体質あってこそできる離れ業だった。

刑務所から“4度の脱獄”に成功……『ゴールデンカムイ』のモデルとなった男が使った「3つの特殊能力」
写真はイメージです©iStock.com

こうして脱獄に成功した白鳥は3ケ月かけて東京にたどり着き、小菅刑務所時代にお世話になった主任なら自分の訴えに耳を傾けてくれるのではという一心で、主任の官舎を訪ねた。ドアを開けて白鳥の顔を見た主任はもちろん驚いたが、すぐになかに白鳥を招き入れ「腹が減ってるだろう」と、熱いお茶と蒸し芋でもてなした。泣きながらこれを食べた白鳥は、鎮静房での過酷な日々を告白したのち、主任に付き添われて自首した。そして、秋田刑務所はこの一件で鎮静房を廃止したのだった。

「生きてる人間にも蛆が湧くことをはじめて知ったね」脱獄のプロも死を覚悟……網走刑務所で受けた“むごい仕打ち”へ続く

(高橋ユキ)

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