芸能ニュースなどの芸能情報から掲示板で雑談!

芸能速報チャンネル ごしっぷる

海外で賞賛、日本で批判…河?直美の評価はなぜ国内外でズレているのだろうか

2021年夏に開催された東京五輪大会の公式記録映画『東京2020オリンピック』、その第1部となる『SIDE:A』の劇場公開が6月3日より始まった。

【写真】この記事の写真を見る(5枚)

総監督を務めたのは河荑直美だ。先日発売された「週刊文春CINEMA!」2022夏号で、筆者は河荑のインタビュー記事の聞き手・構成を担当している。

海外で賞賛、日本で批判…河?直美の評価はなぜ国内外でズレているのだろうか
河荑直美©️共同通信社

この取材は、『SIDE:A』『SIDE:B』のいずれも完成していない段階でおこなわれたもので、当然、筆者もその時点では映画を観ていなかった。

インタビュー原稿をまとめる段階でようやく『SIDE:A』の仮編集版を観ることができた(さらにその後、試写で完成版を観た)が、そのかんに「週刊文春」では、河荑の過去の暴行疑惑が報じられ、昨年12月にNHK-BS1で放送されたドキュメント番組「河荑直美が見つめた東京五輪」の内容がすでに問題視されていたこともあって、日本国内では河荑に対する批判的な声が高まっていった。

一方、この原稿を書いている最中には、河荑がフランス政府から芸術文化勲章オフィシエを授与されたというニュースが報道された。

国内外におけるこのような評価のちがいを、不思議に感じるひとは多いだろう。しかし、河荑直美という映画作家のこれまでの歩みを振り返ってみると、この奇妙なねじれとでもいうべき状況が決していまに始まったことではないことがわかるはずだ。

国内外の評価のズレの正体

河荑直美は、母校である大阪写真専門学校(現・ビジュアルアーツ専門学校)の講師を務めていた際に撮ったドキュメンタリー『につつまれて』(1992年)などの自主製作映画で注目を集めたのち、最初の商業長篇作品『萌の朱雀』(1997年)でカンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少で受賞、『殯の森』(2007年)では同映画祭グランプリを獲得した。審査員もたびたび務めており、2009年には映画祭に貢献した人物に贈られる黄金の馬車賞をアジア人女性として初めて授与されるなど「カンヌの申し子」と称される評価を受けてきた。さらに、2015年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエをやはり日本人の女性映画監督として初めて受章している。

こうした輝かしい受賞(受章)歴からもわかるように、河荑はおもにフランスをはじめとするヨーロッパ圏で「現代日本を代表する映画作家」と認識されてきた。

しかし、日本国内ではどうだったかというと、河荑直美は軽視、いや、はっきり疎んじられてきた存在と言ってもよい。

『萌の朱雀』にしても、カンヌでの受賞こそ話題になったが、評価は賛否がはっきりと分かれ(おそらく否のほうが多かったと思う)、たとえば淀川長治は「映画学校の一年生のごとき脚本で、てんで人生が描ききれていない」「文字を持たぬ、目で分かる説明が必要な映画ではまったく困る」(『淀川長治究極の日本映画ベスト66』河出書房新社)と手厳しい(一応、「文句いっぱいながら、近ごろもっともみずみずしい映画」とも書いているが、基本的には認めていないことが文章の調子から読み取れる)。

日本の映画批評において、河荑の作品が積極的に語られづらい要因として、彼女自身がいわゆるシネフィル的な文脈の外にいる存在であることも大きい。実際、河荑は高校時代まではバスケットボールに打ち込むスポーツ少女であり、大阪写真専門学校に入学してからも、ゴダールを愛好するような同級生たちの会話にはついていけなかったという。筆者も河荑の特集上映のトークイベントで聞き手を務めた際、客席から投げかけられた「影響を受けた監督は?」という問いに、頑なに応えようとしなかった河荑の姿が印象に残っている。

「私を認識してほしい」という強烈な意思の発露

国内外での評価のちがいについて、河荑自身はつぎのように語っている。

「(映画に対して)個人的な話をされる方は海外、とくにヨーロッパに多いですね。日本人の場合は、あまり個人的な話をせず、客観的に批評する人が多い印象があります。映画史的にどうであるとか、過去の映画作家と比較してどうだろうとか。そう言われると、私としては『そこから始まっていないんだけどなあ』とズレを感じてしまいますね」(筆者によるインタビュー、「NFAJニューズレター」2020年1月-3月号)

この場合の「個人的な話」とは、映画に対する観客の側の同調性と言い換えることができるだろう。河荑作品への批判として、「自己愛」「ナルシシズム」という表現がしばしばもちいられるが、より正確には「じぶんを認識してほしい」という強烈な意思の発露がそこにはあり、それを観客がどう受け止めるか--つまり、「私」(河荑)と「私たち」(観客)との関係を問いかけてくるところに河荑作品の特色がある。

たとえば、初期のドキュメンタリー『かたつもり』(1994年)には、河荑が空や雲や育ての親である「おばあちゃん」にキャメラを向けながら、「空!」「雲!」「おばあちゃん!」などと叫ぶ一連のショットがある。この場面について、河荑はこう語っている。

「思えば私は子どもの頃から、この世界の歯車のひとつとして人生を終えることがたまらなく寂しくて、『河荑直美』という名前を呼んでほしい、私を認識してほしい、と強く感じていました。それを埋めてくれたのが映画だったんです」(前掲インタビュー)

実際、河荑が渋谷のまちを徘徊しながら出会ったひとびとと所持品を交換していくというプライベートビデオ作品『風の記憶』(1995年)では、「私がここにいることをわかってほしい」「私を名前で呼んでほしい」というモノローグが挿入される。

河荑にとって、映画は自身の存在を肯定することであり、この世界に生きつづける意味そのものなのである。そして、そこには同時に、自身が承認されないことへの不安がつねに見え隠れしている。

河荑作品の「加害性」

河荑の身近で、もっとも彼女の名前を呼びつづけた、すなわち存在を承認しつづけた存在が、育ての親である「おばあちゃん」こと河荑宇乃さんだったことは間違いないだろう。

河荑は、生まれてすぐに実父と生き別れ、母親とも幼い頃に離別したため、母方の祖母の姉であった宇乃さんの養女として育てられた。

『につつまれて』とその続篇ともいえる『きゃからばあ』(2001年)、自身の出産を題材とした『垂乳女』(2006年)、そして宇乃さんの死を描いた『塵』(2012年)などの作品では、親に棄てられた自身のやりきれない心情や苦しみを、宇乃さんに感情的に吐露する河荑の姿が確認できる。

そのやりきれなさや苦しみは、『玄牝-げんぴん-』(2010年)にも通底している。この映画は、疑似科学的で危険といわれる自然分娩を不用意にとりあげているとして批判を浴びたが、それまでの河荑作品の流れのなかに位置づけると、彼女がなぜこの題材に惹かれたかがよくわかる。ここで問われているのは、まさしく「私」が生まれたことの意味と、その「私」を取り巻く世界との関係であるからだ。

金原由佳は、河荑へのインタビューのなかで、「(河荑作品に登場する女性たちは)世の一般的な価値観からは理解されず、批判を受けるようなヒロイン像も少なくありません。社会的な通念から外れてしまう瞬間や選択は実際にあるはずなのに、スクリーンにあまり写されず、黙殺されてきた。そんな女性の欲求を表に出してきたことをどうとらえていますか?」と訊いている。これに対して、河荑は「男性のすごく大切にしているものを自らの手で壊しちゃう、日常そのものを破壊する衝動」をもった『火垂』(2000年)の主人公に触れつつ、こう応えている。

〈「女性の中にも隠し通せない欲求、欲望があって、それを秘密裡に進める場合もあるけれど、自分の映画の中では必ずそれが第三者に露呈してしまい、その先の日常をどう生きていくのかを描いています」(「madameFIGARO.jp」2019年12月21日河荑直美監督インタビュー〈前編〉「世界の映画祭で注目される、河荑直美監督作をいま一度。」)。〉

これらを踏まえると、「週刊文春」が報じたような河荑の行動は、「私」を承認してほしいという彼女の「欲求、欲望」=承認されないことへの不安が、暴力的なかたちで「第三者に露呈してしま」った結果とも考えられる。

「私」と「私」を取り巻く世界に対する執着

「私」と「私」を取り巻く世界に対する河荑の執着は、文字通りじぶんが暮らす土地、あるいは国とのかかわりを描くことにも向けられる。

『沙羅双樹』(2003年)や『殯の森』など故郷奈良を舞台とした作品が代表的だが、より直接的な例として、2010年から始まった「美しき日本」シリーズが挙げられる。このシリーズは、奈良や宮崎の自然・風土をとらえた映像詩で、実際に日本各地の自治体と連携したプロモーションとしての性格をもつ。

ここで思い起こされるのが、河荑直美と同時期に映画界で頭角を現し、やはり海外での評価を足がかりにキャリアを築いてきた是枝裕和の存在だ。

『萌の朱雀』の脚本執筆に際しても助言をおこなった是枝は、1996年に河荑との「映像による往復書簡」という触れ込みの短篇『現(うつ)しよ』を共作している。この作品では、両者ともに身の回りの物質や風景を8ミリキャメラで撮影し、そこに自身の心象を語ることばをかぶせているが、映像にもことばにも決然と迷いのない河荑に対して、是枝のそれはつねに迷い、揺れ動いている。のちに是枝は「河荑さんが、『私はこういうふうに世界を愛している』と伝えようとしていたのに対して、『僕はそういうかたちでは世界を愛せていない』って送り返している」(「河瀬直美ドキュメンタリーDVD-BOX」ブックレット所収の対談)と語っているが、これはそのまま現在の二人の作風のちがいにもつながっているように思う。

というのも、是枝の作品の根底に「世界を美しく切り取る」ことへの懐疑の念がつねに横たわっているのに対して、河荑にとっては、「私」を取り巻く世界の「美しさ」を自身のまなざしをとおして切り取ることこそが映画を撮ること、つまりいまここに生きている意味そのものだからだ。

四方田犬彦は、この河荑の性質を1999年の時点でいち早く言語化している。

〈みずからの物語の起源にして中核にある映像の欠落から出発した彼女の探求は、ファミリーロマンスに出発し、自伝的な格闘を経過したのちに、アニミスティックな世界観の樹立へと向かおうとしている。それが定住者の教義に陥って、ツーリスティックなノスタルジアへと風化してしまうか、それとも新たに歴史という問題を抱え込むかは、今後彼女に与えられた課題であろう〉(『日本映画のラディカルな意志』岩波書店)〉

そしていま、河荑は、まさしくこのかんの「歴史という問題を抱え込」まざるをえない題材、東京オリンピックの記録に挑んだ。

『東京2020オリンピックSIDE:A』における「私」と「私たち」

『東京2020オリンピックSIDE:A』では、何人かの競技選手に焦点が絞られ、彼らの置かれた環境、裡にかかえる迷いや悩み、五輪に出場することの意味などがとらえられている。

なかでも来日するにあたり、幼いわが子を同行させる権利を主張したバスケットボール女子カナダチーム代表のキム・ゴーシェ選手と妊娠出産を経て五輪出場を断念し、現役引退を宣言した元日本代表チームの大崎佑圭選手らに密着した一連のシークエンスには、自身も出産や子育てと映画製作を並行しておこなってきた身であり、かつてバスケットボール少女でもあった河荑の思いがにじみ出ているように感じられる。つまり、ここには選手である「私」とそれをまなざす「私」がはっきりと存在しているのだ。

その合間を埋めるのは、「美しき日本」シリーズと同様の--まさしく四方田犬彦が指摘したところのツーリスティックなノスタルジアに彩られた--諸所のインサートカット(外苑の水面に散る桜、木洩れ日、戯れる子どもたちなど)、つまり「私」を取り巻く美しい世界の断片である。

しかし、ここには決定的な他者の存在が欠落してはいないだろうか。

前述したNHKのドキュメント番組で、河荑はつぎのように語っている。

「日本に国際社会からオリンピックを7年前に招致したのは私たちです。そしてそれを喜んだし、ここ数年の状況をみんなは喜んだはずだ。これは今の日本の問題でもある。だからあなたも私も問われる話。私はそういうふうに描く」

この発言を受けて、とくに今回の五輪開催に反対の意を表明していたひとびとからは、大きな批判の声が沸き起こった。「オリンピックを7年前に招致したのは私たち」と言うが、日本国民のなかには当初から五輪招致に反対していたひとが大勢いたはずである。まして今回の東京大会招致に至る過程では、福島第一原発の汚染水の状況について安倍晋三元首相が語った「アンダーコントロール」ということばに象徴される欺瞞的言動が多々見られた。開催が決まってからも、新国立競技場をめぐるゴタゴタや森喜朗元組織委員会会長の女性蔑視発言など、「ここ数年の状況をみんなは喜んだ」とはとても言いがたい出来事が相次いでいた。

『SIDE:A』では、五輪反対を叫ぶ一般市民の姿も映し出されるが、この映画において、彼らはどこまでも彼岸の群衆でしかない。そこに「私」はいない。では、「私たち」とはいったいだれのことを指しているのか。

そんなことを思いつつ、エンドクレジットを眺めていると、藤井風の主題歌「Thesunandthemoon」の歌詞に虚を突かれた。そこにはまさしく「私たち」の問題が示されていたからだ。

第2部となる『SIDE:B』において、河荑は、「私」と「私たち」をめぐるこの乖離を乗り越えることができるのだろうか。筆者は見とどけるつもりでいる。

河荑直美(かわせ・なおみ)●映画監督。奈良市生まれ。大阪写真専門学校(現ビジュアルアーツ専門学校)卒業。1997年、映画『萌の朱雀』で長編監督デビュー。同作が、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを史上最年少で受賞。2007年、映画『殯の森』で、第60回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞。13年、『カンヌ国際映画祭長編コンペティション部門』の審査委員に就任。15年、フランス芸術文化勲章“シュヴァリエ”を受章。

(佐野亨)

海外で賞賛、日本で批判…河?直美の評価はなぜ国内外でズレているのだろうか 外部サイト 「拳で顔面を殴打」東京五輪公式記録映画・河瀬直美監督が事務所スタッフに暴力 東京五輪公式記録映画・河瀬直美監督撮影中の暴行でカメラマンが降板 「残念ながら裏がない、というのが今の結論です」…NHK字幕捏造問題説明会で露呈した“深刻すぎる危機” 「河瀬直美」をもっと詳しく

河瀬直美監督の五輪記録映画チケットが1枚も売れていない回も? 河荑直美監督、相次ぐ「文春砲」もノーダメージ?驚きの声も 「希望感じて」と河瀬直美監督カンヌで東京五輪映画を上映

この芸能ニュースに関連する芸能人

  • +お気に入り登録

関連芸能ニュース

久代萌美の「大胆イメチェン」に賛否「一般人臭が強くなってる」

久代萌美の「大胆イメチェン」に賛否「一般人臭が強くなってる」

元フジテレビの久代萌美アナウンサーが4月29日までに更新されたInstagramで“大胆イメチェン”写真を投稿した。 【写真】「一般人臭が強くなってる」賛否となった久代萌美アナの“大胆イメチェン” 久代アナは「火曜よる10時は華大さんと千鳥くんに出てます」と、古巣であるフジテレビの番組出演を告知。「写真は...
那須焼死体事件巡り元俳優を逮捕 出演作品の「配信止まりそう」ファン悲鳴

那須焼死体事件巡り元俳優を逮捕 出演作品の「配信止まりそう」ファン悲鳴

栃木県那須町の河川敷で夫婦の焼かれた遺体が見つかった事件で、死体損壊の疑いで新たに逮捕された若山耀人容疑者(20)が、NHK大河ドラマ『軍師官兵衛』に主人公の幼少期役を演じた元子役俳優であることが判明し、衝撃が走っている。 夫婦の遺体発見からこれまでに2人が逮捕されていたが、遺体損壊現場に行っ...
藤森慎吾、結婚を報告!妻の好きなところ&お気に入り料理も明かしノロケ連発「愛くるしいというか」

藤森慎吾、結婚を報告!妻の好きなところ&お気に入り料理も明かしノロケ連発「愛くるしいというか」

5月1日、オリエンタルラジオ・藤森慎吾が自身のYouTubeチャンネルを更新。一般女性と結婚したことを報告し、妻についても語った。 【関連】藤森慎吾、40代突入で結婚願望に変化「何を俺はそんな焦ってたんだろう」 動画冒頭、藤森は、「平穏な暮らしを手に入れました」と切り出すと、「この度、皆さんにご報告...
MBS「ごぶごぶ」次回ゲストは山口智子 ネットで驚きの反応相次ぐ

MBS「ごぶごぶ」次回ゲストは山口智子 ネットで驚きの反応相次ぐ

MBS「ごぶごぶ」が次回予告で、金髪の大物女優が登場し、浜田雅功が「うわぁぁ!」と驚き、「いやいや、よう出て来たな…えっ、怖わっ、ええーっ!」とびっくりしている様子が告知された。 山口智子(59)の登場が予告され、驚く浜田に「あれ?浜ちゃんだ!?本物?本物?すげえ」と指さしてイジり、2人...

コメント(0)

名前
コメント
※必須
http://scoopire.net