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元SKE48・矢方美紀、乳がんと診断された5年前を回想「意を決して病院へ」

元SKE48・矢方美紀、乳がんと診断された5年前を回想「意を決して病院へ」 (全4枚)

「もし、あの頃の自分に会いに行けるとしたら『大丈夫だよ』と言ってあげたい」

5年前を振り返り、そう呟いたのは元『SKE48』の矢方美紀(30)だ。
乳がんの手術を経て、完治と言われる術後10年を目指し、1日1日を全力で生きる矢方が、闘病からこれまでを語った。

矢方が乳がんと診断されたのは25歳のときだった。思春期から30歳代までを指すいわゆる「AYA(AdolescentandYoungAdult)世代」のがんだ。最近では、AYA世代のがんに注目が集まり、支援や対策も進められているが、当時は違った。

「乳がんの治療を進めていく中で、AYA世代という言葉を初めて知りました。AYA世代のがんに関する情報がとても少なく、不安に押し潰されそうな時もありました」

情報が足りないと感じたことが、矢方が自身の経験を語るキッカケとなった。

「最初は、私が乳がんになった話をしても何の意味もないのでは……と思っていました。でも、AYA世代のがんと闘う人に少しでも私の話を参考にしてもらえればという思いで、今は積極的に話をしています」

当時の矢方は『SKE48』を卒業し、次の夢へ向かって活動を広げていた時期だった。ある日、小林麻央さんが乳がんで他界したニュースが報じられ、多くの人がその死を悼んだ。

「小林麻央さんのニュースを知り、若い人でもがんになるんだ……という驚きが大きかったです。それまでは自分ががんになる可能性など考えたこともなく、全く危機感はありませんでした」

念のため、セルフチェックをしたところ、指先に明らかに硬い何かを感じた。だが、すぐ病院に行く気持ちにはなれなかった。

「しこりだとすぐに分かりました。『まさか自分が……』とは思いましたが、乳がんかもしれないという不安が大きくなり、周りの人に相談したところ、病院に行くべきだと言われて、意を決して病院へ行きました」

ステージ1の乳がんと診断された。動揺したものの、気持ちは前向きだった。

「初期の乳がんなら治る……がんを手術で取ればいい、そう思いました。治るものだとしか考えませんでした」

ところが、手術に向けて検査を進めていくなかで、がんの状況は深刻なものとなっていった。

「検査のたびに良くない結果を知り、最終的にはステージ3Aと診断されました。正直、『死んじゃうのかな』と考えてしまったときもあって、一人になると泣いてしまったこともあります。でも、自分はまだやりたいことをほんの僅かしかできていないと思ったとき、考えが変わりました。たとえ乳がんにならなくてもいつか、死は訪れるもの。死ぬかもしれないという不安よりも、やりたいことをできずに死ぬことが一番イヤだと思いました。乳がんの治療をしながら、これからの人生はやりたいことを一つでも多く実行に移していこうと考えるようになりました」

乳がんをきっかけに自分の人生を力一杯に生きると決心。乳がんの治療にも前向きに取り組んだ。しかし、乳がんの手術に伴い、大きな決断を迫られた。矢方が受けたのは手術と抗がん剤治療。治療開始前に医師から体への影響を説明され、心が揺らいだ。

「医師から『抗がん剤治療によって生理が止まってしまうこともあり、人によっては、生理がこなくなる人もいる』と説明を受けました。でも、乳がんにならずに過ごしていたとしても将来、子供を持てるかどうかはわからない。未来に不安を持つよりも、今は乳がんの治療に専念すべきだと思い、抗がん剤治療を受けることを決めました」

ステージ3Aの乳がんでは、乳房を全摘出する必要があり、25歳の矢方にとって、事実を受け止めることで精一杯だった。術前に医師からは乳房再建の提案もあった。

「最初は乳房再建も考えていました。再建するならインプラントか自家組織かで悩み、情報を集めたり、実際に再建手術を受けた人から話を聞いたりしました。調べていくうちに『人工の乳房を作って、私は納得できるのか?』という気持ちになりました。また、再建が絶対に成功するとは限らないし、インプラントの場合、永久ではなく10〜20年経過したら入れ替えが必要であることを知り、どちらもリスクがあると思いました。片方の胸を失っても生きていく上で困ることはないし、私がこれから挑戦したいことは胸がなくてもできる。だから、再建はしないと決めました」

乳がんの治療には、女性としての将来を考えるべきことが複数あり、AYA世代のがん患者にとって精神的な負担も大きい。さらに抗がん剤による副作用が、矢方を持ち受けていた。

「治療に関しては初めてのことばっかりだったので、どういう症状が出るのか、治療しながら仕事ができるのか、などいろいろな不安がありました」

名古屋の夏は暑さが厳しく、その中での治療開始は「体調を崩しやすく大変な面もあった」と当時を振り返る。

「抗がん剤による副作用で髪の毛が抜けました。抗がん剤を始める前に説明を受け、納得していたので脱毛に関してはウィッグを被ればいいと思い、それほど気にしてはいませんでした。ただ、脱毛よりも髪の毛が抜けていく過程で肌がヒリヒリしたり、頭皮から出る汗が増えて、頭皮がとても臭く感じてしまって……『周りの人が臭いと感じてるのではないか』と不安になってしまい、そのせいで人に近づきたくない、会いたくないと思った時期がありました」

自分に合うウィッグが見つからず、ストレスを感じたこともあった。

「最初は市販の安価なウィッグをいくつか試しましたが、なかなか自分に合うものが見つかりませんでした。ただ、医療用のウィッグは非常に高価で気軽に買えるものではありません。アピアランスケアの人に相談したり、いろいろ思考錯誤していたところ、番組でウィッグを作るNPO法人の方と出会い、医療用ウィッグよりも安価で作れることを知り、闘病中は自分の頭に合うウィッグを作って使わせていただきました。そういったことも『体験しないと知ることができないな』と思いました。多くの方が抗がん剤の脱毛に悩んでいると思いますが、現状、ウィッグに関しては、あまり知られていません。『アピアランスケア』の大切さを知り、もっと充実させる必要があるなと感じました」

アピアランスケアとは、アピアランス=外見の変化が起きた際に行うケアを意味し、美容目的ではなく、がん治療に伴い生じた外見の変化を補い、患者の苦痛を軽減するためのケアである。実際に経験した矢方が、アピアランスケアの重要性を発信することは、さらなる充実を促すだろう。

現在は、1年に1度の検診を受け、ホルモン療法を続けながら完治を目指している。経過は良好だが、ホルモン療法に伴う副作用に悩まされる日々だという。

「『ホットフラッシュ』が大変です。撮影の時などに汗で髪がずっと濡れた状態になってしまうこともあります。ホルモン療法の副作用だと知らない人から『なんでそんなに汗かいてるの?』と言われてしまうこともあります。30歳を迎え、一般的には女性が体調が変わりやすい年代とも言われるので、ストレスに感じることもありますが、年齢的な体の変化もあるかもしれないと思い、あまり深刻にならないようにしています」

矢方は、乳がんになったことをきっかけに死に対する捉え方が変わったと話す。

「乳がんと診断された時、それまで遠く感じていた『死』が、急にリアルに感じられました。人生はあっという間に終わってしまうのに、経験できていることはほんの僅かだと気づき、それからは、興味があることはすぐにでもやってみたいと思うようになりました。まず始めたのは、一人暮らしです。抗がん剤が終了したタイミングで実家を出て、一人暮らしを始めました。当初、親は反対しましたが、今は応援してくれています。一人暮らしをしたことで、健康管理も自分の責任なので、健康を考えた料理もするようになりました」

乳がんを乗り越え、現在は声優、タレントとして幅広い仕事に挑戦している矢方は、AYA世代のがんの支援に貢献していきたいと考えている。

「仕事はもちろんですが、がんに関するイベントなどに呼んでいただくことがあり、同じ病気と闘う人を応援できればと思っています。AYA世代のがんも増えているといわれているので、少しでも不安を感じることがあったら病院へ行って欲しいなと思います」

2人に1人ががんになると言われる時代。政府は、AYA世代のがんの啓蒙に力を入れ、早期発見、早期治療を呼びかけている。矢方が自身の経験を伝えることは、がんと闘うAYA世代にとって希望となるだろう。

取材・文:吉澤恵理(薬剤師/医療ジャーナリスト)

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