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落語家・三遊亭好楽、破門23回に『笑点』降板!亀のように歩んできた57年「毎日がその日暮らし」

落語家・三遊亭好楽、破門23回に『笑点』降板!亀のように歩んできた57年「毎日がその日暮らし」

18歳で落語界入りし、『笑点』で誰もが知る落語家のひとりとなった三遊亭好楽。酒で失敗し破門を告げられたこと数知れず。他の一門への移籍や、『笑点』の降板など人生の転機も。それでも長年、第一線で活躍を続けられたのは、家族や仲間の支え、そして亡き妻も太鼓判を押す“強運”にあった。“持ってる”男の落語家人生とは……。

【写真】好楽ファミリー他、とみ子夫人の前で子どものようにはしゃぐ三遊亭好楽

爆発的な人気があるのか?と問われれば、う〜んと首を傾げ腕組みをしてしまう。「ファンです、キャー」と熱狂的な握手&サイン攻めにあう場面も、う〜ん、うまく想像できない。

だが、誰もが知っている。仕事に出かける際には「おや、好楽師匠!」とご近所さんに気軽に声をかけられ、登下校中の小学生には「あ、ピンクのおじちゃんだ、ピンクのおじちゃん!」と無邪気になつかれる。

そんな落語家。

例えれば、都こんぶ?か。

飽きられずに長く同じ風味で売れ続ける商品に似た、いわば“ロングセラー芸人”。子どもにも大人にも好まれる。おまけにかめばかむほど味わい深いうまさ。

一見、普通っぽい。常識人にも見える。凡庸か?そんなはずはない。普通で常識人で凡庸な存在ならば、芸人という生きざまをこれほどまで長く、第一線で保ち貫くことなんてできやしない。

この春で芸歴57年目に突入する落語家、三遊亭好楽(76)のことを、

「おまえの父ちゃんってアホやな」

そう見抜いた同業者がいる。笑福亭鶴瓶(71)だ。

鶴瓶が言い放った相手は、好楽の息子で好楽とは兄弟弟子(共に五代目三遊亭円楽さんの弟子)の間柄の三遊亭王楽(45)。実の息子に向かって、「父ちゃんってアホ」って……。実はこれが、芸人にとって最高の褒め言葉であることを王楽は知っている。当時を振り返りながら、こう証言する。

「私は鶴瓶師匠にかわいがられていたんですが、鶴瓶師匠と好楽との付き合いはほとんどなかった。ある日、ほぼ初対面であれこれ話したそうですが、その直後に鶴瓶師匠にお目にかかったときに『勘違いしていた。兄さん(=好楽のこと)、もっとまじめなのかと思っていた。あの人、おかしいわ、アホや』、そう言っていましたね」

「普通」や「凡庸」ではない何かが好楽に宿っていることを、「普通」や「凡庸」からかけ離れた、というか1ミリもかすっていない芸人である鶴瓶が「アホや」と鋭く見抜いたのである。

人のよさそうな看板の下に隠されている素顔を探る。

本名が「信夫」だからかなった弟子入り

その昔、芸人には『飲む打つ買う』がつきものだった。コンプライアンスが厳しい今とは違う時代。落語の世界と共鳴しあう、芸人にとっては古き良き時代だ。

好楽の落語家人生は、そんな名残が滞っていたころに始まった。

ザ・ビートルズが来日した1966(昭和41)年のことだ。高校を卒業した18歳の春、八代目林家正蔵(のちの彦六)さんに入門を願い出た。正蔵さんは69歳。もう弟子は取らないと決めていたが、ある偶然の一致が好楽に味方した。

「(東京都台東区)稲荷町の自宅に、弟子にしてくださいとおじゃましました。1日目、2日目とダメでしたが、懲りずに3日目も行ったんです。そのとき『名前は何ていうんだい?』と聞かれ『家入です』『下の名前は?』『信夫です』と答えました」

次の瞬間、正蔵さんが台所仕事をしているおかみさん(=妻)に「おい、おばあさん、のぶおが帰ってきたよ」とうれしそうに呼びかけたという。正蔵さんには表記こそ違うが『信雄』という息子がいた。17歳で夭折した忘れ形見と同じ名前の音の「信夫」。それで入門が許された。好楽の“持っている”落語家人生の始まりだ。

もともと、家入信夫少年は、いわゆる「落語小僧」「落語少年」だった。

生まれは東京・池袋。

「当時、池袋の西口は何もなくて、原っぱがあった。私の家は東口にあって、(当時の国鉄)池袋駅までは歩いて10分ぐらい。高校時代、学校から帰ってくるとカバンをボーンと放り出して、向かった先は西口にある池袋演芸場。今のビルに建て替える前で、2階がビリヤード場、3階が寄席で4階がダンスホールでした」。原風景は好楽の脳裏に、今も鮮やかだ。

寄席に通うほどの落語好きになったきっかけは、母親が聴いていたラジオ放送だった。

五代目三遊亭円楽さんにするか、正蔵さんにするか師匠選びに迷っていた信夫少年の背中を押したのは、ラジオから流れてきた正蔵さんの『鰍沢(かじかざわ)』。山梨・身延山久遠寺へ参詣した江戸の商人が、吹雪の中で一夜の宿を確保したものの、その家の毒婦に鉄砲で撃ち殺されそうになるという初めて聞く噺に身体が震え、信夫少年は迷いを吹っ切ることができた。

8人きょうだいの6番目。警察官の父は信夫が6歳のとき、40代で急死。新聞配達で家計を支えた。母の苦労を少しでも減らそうと、兄たちが公務員や税理士など堅い職業を選ぶ中、信夫だけが落語家を志望。自分と一緒に聴いていたラジオが信夫の心を動かしたことを知り、母は許した。

入門時、親と一緒に師匠にあいさつに行くことが落語界の習わしである。その際のやりとりが、傑作小噺だ。

正蔵さん「こんなやくざな世界へ大切な息子さんを入れていいんですか」

母「ええ、泥棒になるよりましですから」師匠69歳、信夫18歳。親子以上、祖父と孫のような師弟が誕生した。

酒のしくじりで師匠から「破門だ!」

入門後、真っ先に覚えたのは「飲む(呑む)」。いわゆる酒だ。今も続く習慣で、

「毎晩飲んでいますよ。休肝日?そんなもん、新聞じゃないんだから。毎年10月に、息子の王楽が予約してくれる人間ドックを受けます。飲まないのはその前日だけ。あはははは!」と、漫画の吹き出しのように笑い飛ばす。

修業時代、酒でのしくじり(=失敗)は数知れず。

「師匠の家には、日本全国のお客さんから酒が届いていました。それをおかみさん(正蔵夫人)が、ボウリングのピンみたく一升瓶を三角形に並べて置く。夫婦で旅(=地方の仕事)に出て、何日も帰ってこないと、飲んじゃうんです。奥の一列分の一升瓶を飲んで、全体をずらす。ところが帰ってきたおかみさんが、『飲んだね』と。どうしてわかったのかというと、先頭の瓶を置いていた畳の位置が一列分ずれていたから。あれには参りましたね」

新規開店した近所のスナックで気が大きくなり、仲間と高級酒ジョニー・ウォーカーの赤を開けたところ、後日送られてきた請求書が「5万1000円」。高校を卒業して就職した友人の初任給が7000〜8000円の時代に、正蔵さんは「おまえなんか破門だ!」と雷。母親が助けてくれて事なきを得たという。

破門宣言は合計23回。そのたびに正蔵さんの総領弟子(一番弟子)の五代目春風亭柳朝さん(1991年没)が間を取り持ち、落語家を続けることができたという。

「今も毎日飲みますけど、昼間っからは飲まない。おいしい思いは夜に取っておくんです。1人じゃ飲まない。弟子を誘ったりお客さんを誘ったり。うちで1人で飲むこともないですね。毎晩へべれけで帰ってきて、そのまま寝ちゃいますから」という流儀。

好楽に弟子入りを願う際、必ず確認されることがあるという。「酒は飲めるか?」

好楽の総領弟子、三遊亭好太郎(61)が入門したころから続く一門ならではの儀式もあるそうで、

「入門が決まったらすぐ宴会なんです。それはお約束。ただ、師匠と旅に行くと、移動中は飲まないんです。仕事の帰りは飲みますけど、きちんと線引きしていますね」と好太郎。その際に師匠は、周囲に気遣いを見せるという。

「新幹線や飛行機に乗る前に、売店でつまみから酒まで買って、弟子の分、他の芸人さんの分それぞれに袋詰めにしてもらって配るんです。飲めない人にはウーロン茶とか。普通は弟子に買ってくるように頼みそうですが、きちんと自分で選ぶ。その代わり弟子は、現地で買った大量のお土産を持たされますけどね」

お土産を持つ?その真意を好太郎が続けて明かす。

「地方で仕事が終わるとそこでお土産を買え、というのが師匠の教え。その土地で稼がせてもらったんだから、それが理由です。山ほど買います。近所に配るんです。私も他の弟子もその教えが身についていますから、地方に仕事に行くと必ずお土産を買いますね」

何と300万!勝負師として強運を発揮

酒の次に覚えたのは「打つ」。競馬だ。

「今も仕事がなければ、土日には中央競馬を買います。ケータイでやれますからね。大井競馬場などの地方競馬もやりますよ。昭和45年からやってるから、マンション3部屋分ぐらい損している。でも馬が走る姿が好きだから」と、競馬の魅力を語る。麻雀もやらなくなり、ゴルフも昔ほど頻繁ではないという好楽を勝負師にさせるのが競馬。もう一つはカジノだ。海外旅行に行けば、カジノに没頭する。戦績はいいという。

「以前ラスベガスに行ったときは、10日間連続でやりっぱなし。ルーレットとポーカー。飲みながらやると途中でいいかげんになってしまうので、カジノでは飲まない。そうしたら勝つようになりました。ラスベガスの10日間も50万円は勝ちましたね」という強運ぶりを発揮する。

昨年、こんなことがあった。

「羽田盃で3連単、あれを取ったんです。1着3着を固定して、2着は総流し。初めて大口の窓口に行きました。カードを渡されて『並んでください』って。そう言われたけど、並んでいる人なんているはずはない」

競馬の払戻金は通常、当たり馬券を機械に入れると換金されるが、大口、つまり100万円を超える払い戻しの場合は、大口専用の窓口に行く。

2022年5月12日の『第67回羽田盃』。1着が13番人気、2着が9番人気、3着が1番人気で決着。まともな予想では買えない。3連単の払い戻し金額は、301万9350円!

「帯封のついた札束をもらいましたけど、パーッとプレゼントに使いました。仕事をしてお金を稼ぐのは大事ですけど、遊びで取った金は、懐や財布に入れちゃいけない。それは守っています」

もし、SNSなどで発信すれば、すぐさまスポーツ紙の記事になっていたであろう大当たり。カジノといい競馬といい、大当たりを呼び込めるという強運の持ち主、同時に漂ってくるのは無頼派好楽の匂いだ。

尻を叩いて支えてくれた妻との思い出

若いころに覚えた酒も競馬も、今も好楽の人生を彩っているが、昔の芸人につきものの女性に関する浮いた話はまったくのゼロ。

好楽の息子で、映画好きの王楽は「もし女性関係があったならば、(ロバート)デ・ニーロばりの名優ですね」と、逆説的にたたえる。要するにありえない、ということ。

「怖かったんじゃないでしょうか、母親が。我々子どもを怒るのは当たり前ですが、父親もよく怒られていました。ひょっとすると一番怒られていたかもしれないのが父親。『こんなにぐでんぐでんになるまで飲んで!』とか、夜遅くに。父親は反論しないというかできないというか」と、王楽は夫婦間の力関係を笑顔で振り返る。

「父親は尻を叩かれないとやれない人なんで、母親がうまくやっていた。亡くなった後は(2020年4月13日、大腸がんで死去。72歳)長女が叩いています。五代目(円楽)がいない、母親がいない、昨年亡くなった六代目(円楽)は、父親に『兄さんダメだよ』とか苦言を呈してくれていたんですが、六代目もいなくなってしまった。今、父親は無敵状態ですね」

酔っぱらって帰ると怒られるとわかっていた好楽は一時期、酒のしくじりを取り持ってくれた兄弟子・柳朝の総領弟子で、先日『笑点』の新メンバーになった春風亭一之輔(45)を育てた春風亭一朝(72)を、防波堤代わりによく連れて帰っていたという。

好楽が記憶をひもとく。

「一朝は毎晩泊まっていたんだけど、あいつはくさいんだよ。かみさんに向かって『おねえさん、どうして女優にならなかったんですか』って。こっちはばかばかしくなって先に布団に入っちゃうんだけど、かみさんも悪い気はしないんだね。『だってそんなこと言われても』って言いながら『もっと飲む?』って。ひとりで帰ってくると不機嫌だから、一朝には助けられたね」

誰しもが認める愛妻家だ。

「今、月に2回はお墓参りに行っています。祥月命日の13日ともう1日。いつもひとりで、ゆっくりね」としみじみ語る好楽は周囲に気遣いをさせまいと、とみ子夫人の闘病をしまいまで隠し通した。

「亡くなる前の年、師匠に『具合悪いんですか』と聞いたら『夏バテ夏バテ』って。痩せてはなかったんですが、髪型でわかるじゃないですか。本当に仲がいい好楽一門ですが、病気のことだけは弟子にも心配かけまいと言いませんでしたね」と振り返るのは総領弟子の好太郎だ。

「亡くなった日の朝5時に、電話が来ました。『誰にも言うな、おまえと家族だけだ』と師匠に口止めされたのですが『そういうわけにはいかない。せめて一門には言わないと』と説得しました。葬儀も、家族と総領の私だけでした。おかみさんが亡くなってしばらくは、抜け殻みたいになっていましたね」

“生きたお金”で手に入れた理想の寄席

お金への執着が薄く、右から左へと使い倒してしまう好楽の手綱をぎゅっとにぎっていたとみ子夫人。好楽に「生きたお金を使いなさい」と口を酸っぱくして言い続けていたという。

「元来、父親はお金がなくてもいい人で、住むところだって四畳半で大丈夫。売れなくても落語界にいることが好きな人だから。今のようになれたのは正蔵と、円楽両師匠と母親のおかげですね」と王楽も母親なしの好楽は成立しなかったと断言する。

2013年1月2日、東京・台東区の池之端に、好楽が席亭を務める寄席『池之端しのぶ亭』が開場した。

「かみさんに打ち明けたのはその10年前。寄席をつくりたいんだよ、って。候補物件が出ると見に行きました。日暮里駅近くにある、というので行ってみたらラブホテルで、ピンクのベッドにピンクのシャワー室。

いくらあたしがピンクの着物だからってこれは無理だ。その後、お寺さんが持っている土地に建てる、と話が進んだんだけど借地だったのでこれも諦めた。そんなときに池之端の物件情報が来ました。南側は神社で家は立たない。日当たりもいい。理想的でした。先に交渉していた人が下りたので、店を閉めていた中華屋さんを壊して地鎮祭をして」ととんとん拍子で話は進んだ。

その一切を支えたのがとみ子夫人。元銀行員という才気と長きにわたる家計の裁量のおかげで、好楽は借金をすることもなく理想の寄席を手に入れることができたのである。

1階に寄席、2階に好楽、3階には22歳と20歳の2人の孫娘が住み、好楽を見守る。

「孫娘の次女が器用で、ごはんを作ってくれる。掃除も洗濯もやってくれる。ありがたいですよ」と「家事は一切できない」(王楽)好楽を、とみ子夫人の代わりに支える。

「私がやることは、月水木のゴミの日に出すことと、食器の洗い物。私が酔っぱらって帰ってお金を投げ出しておくと、『生きたお金を使ってね』ってかみさんと同じことを言う。やな孫だね」

と好楽は嘆くが、その表情はおじいちゃんそのものだ。

1階の『池之端しのぶ亭』の収容人員は35人。一門の弟子をはじめ、落語協会、落語芸術協会、立川流の芸人も垣根なく出演できる。鶴瓶が「今日、貸してください」と急に連絡をよこし、サプライズ落語会を開催したことも。

「近くに忍岡小学校があるんですが、子どもたちがここで落語を聞くんです。うちの若い弟子2人がしゃべるんですが、私が最初に出て行って『好楽おじちゃんだよ』ってあいさつする。近所を歩いていると、みんな手を振ってくれますよ」

昨年12月に文化庁長官表彰に選ばれたが、長年にわたり落語家として活動したことと同時に、『池之端しのぶ亭』を開場し後進の育成に努めていることなどが評価された。

長年支えられ、存在感を示す『笑点』

長い落語家生活を支えた要素のひとつに、日本テレビ系の長寿演芸番組『笑点』の存在がある。

好楽の次女で、東京・雑司ヶ谷の鬼子母神前で甘味処『ひなの郷』を経営する吉田つぎ子さん(48)は「『笑点』がなかったら、私たち、生きていけなかった」と明かすが、1979年、33歳のときに林家九蔵として出演し始めた『笑点』を、1983年に一度降板になったことがある。

「三波伸介さんが司会をしていたころですね。確かキャッチフレーズは“下町の玉三郎”だったかな。今も、見えを切ったりするのは、そのころの名残です」

そう証言するのは、テレビ番組制作会社『ユニオン映画株式会社』のエグゼクティブプロデューサーで1982年から『笑点』のプロデューサーを務める飯田達哉さん(71)だ。

「誰とでも大丈夫だから楽屋が個室なら、山田(隆夫)くんと桂宮治くんと一緒になってもらってます。私に対する態度も若手ADに対する態度も一緒。まったく裏表がない」と好楽の人柄をたたえる。

好楽は前名の林家九蔵として1981年に真打ち昇進。その翌年、正蔵さんが亡くなった。

前座・二つ目時分に師匠が亡くなれば、新たな師匠に身を寄せ真打ちに昇進するのが落語の世界。真打ちに昇進していればその必要はなく、師匠なしで活動を続けることができる。

しかし九蔵は1年間喪に服した後、三遊亭円楽さんに弟子入りを願い出る。所属する落語協会から五代目円楽一門会(当時は大日本落語すみれ会)に移籍したのである。

落語協会所属であれば、都内の定席(浅草演芸ホール、池袋演芸場、上野鈴本演芸場、新宿末廣亭)に出演できるが、円楽一門はそこから締め出されていた。好楽の移籍は「大企業から町工場へ行くようなもの」と仲間内に揶揄された。

さらに降りかかったのは、移籍直後の『笑点』降板劇。「腐ったとか、そういうことはない。降ろされたのは不徳の至りだからしょうがない」と割り切った好楽だったが、強運が離れることはなかった。

1988年4月に番組復帰。司会の五代目円楽さんが、好楽の自宅へわざわざ足を運び(好楽は不在。とみ子夫人が応対)、直談判し、復帰への道筋をこしらえた。師匠のわざわざの来訪に、もどれるか!と決めていた好楽も態度を改めた。

回答者を一度降りて、復帰した落語家はこれまで2人。1人は五代目円楽さんだが、司会者として復帰した。再び回答者として復帰できたのは好楽ただ1人。強すぎる運だ。
『笑点』で好楽に助けられていると、昨年新メンバーに加入した桂宮治(46)はありがたみを実感する。

「私が緊張していると、小声でやさしく話しかけてくれる。隣で寄り添ってくれるから、私が生意気な掛け合いができる」と“チームマカロン”に感謝。「チャーシューやスイカ、メロンなど子どもたちに送ってくれるし、好楽師匠のお孫さんからは、『じーじを頼みます』と手紙をもらいます」

一緒に地方公演に行った際のエピソードが、人を短時間で虜にする好楽師匠を物語る。

「ホテルのロビーに2人でいたら、『好楽師匠!』と呼びかける人がいる。師匠は全国各地にお客さんがいますから、仲のいい人なんだなと思っていたら、『さっき、朝食で隣になったんだよ』って。岡山の人で、今度近くに行ったらごはんを食べる約束をしていた。その約束をちゃんと守るのが好楽師匠なんです」

司会を務める春風亭昇太(63)は、最近の好楽を「存在としてキャラが立っている」とたたえる。「一番ナチュラルな人。素の部分が見えて、リアルな感じがしている。作らない人。(やりとりは)楽じゃないですけど、流れとか一切考えていないことで番組を予定調和にしない。そのあたりが際立っていますね」と、たくらみのない姿勢に共感を示す。

裏表がないと同時に「足をすくわれる心配がない」(前出・飯田さん)という安堵感を発信する好楽の人柄。50年来の付き合いという「三遊亭好楽後援会会長」の米谷靖夫さん(82)は、「よく言えばざっくばらん、悪く言えばチャランポラン」と、短いフレーズで好楽の飾らなさを端的に表現する。「お弟子さんが全員真打ちになるまで、師匠としての役目を果たしてほしいですね」と期待を寄せる。

毎日がその日暮らしの落語家人生

2023年2月11日から20日まで、東京・浅草演芸ホール昼の部で『五代目春風亭柳朝三十三回忌追善興行』が開催された。好楽が林家九蔵時代に所属していた落語協会の定席。そこに他団体の好楽が出演することは異例中の異例だが、落語協会の理事会が特例として認めた。しかも全会一致で、だ。

初日から満員札止めという盛況ぶり。同演芸場の松倉由幸社長は「お正月以来ですね、札止めは」と大入りに経営者の笑顔を見せる。

主任を務めた六代目春風亭柳朝(52)は、「好楽師匠目当てもあるんじゃないでしょうか。初日は不思議な客席の雰囲気でした」と振り返り、「以前、先輩落語家に『九坊は一門だから、円楽党に行っちゃったけど』と言われたことがあります。初日には、前座やお囃子さんにも『柳朝さんから』と気遣いもしてもらいました」と感謝する。10日間、連日満員御礼で、追善興行は幕を閉じた。

所属協会が違っていても、同業者に好かれる。「人にはよくして、頼られると何とかしてあげたい」(好楽)という性格に加え、「お世話になると倍返しをする」(好太郎)という義理堅さ。王楽も「落語協会の師匠と会うと『兄さんのせがれか』と仕事をもらったりします。父が付き合いをしてくれていたからで、それは感謝ですね」と、父の存在のありがたみを、落語家になってから実感する。

たくらみもなく、人を押しのけることもなく、とみ子夫人に導かれるまま今へと至った人生。『池之端しのぶ亭』が完成したとき、好太郎はおかみさんの言葉を聞いていたという。

「うちのおとうさんは、運でここまで来たんだもんね」

それを聞いてニコニコしていた好楽。まさに運も芸のうちを地でいく、幸せすぎる芸人人生だ。とはいえ運は、それ相応の生き方をしていない人には寄りついてこない。

昨年12月、今年7月に錦笑亭満堂として真打ちに昇進し、来年1月21日に日本武道館で真打ち昇進披露興行を開くことになっている三遊亭とむ(39)。会見に同席した好楽は、弟子育成法についてこう語っていた。

「私の教育法は、兎と亀。亀でいかなければダメだよ。長い年月をかけてしっかり芸を追求するんだから、亀がいちばん。早く売れると途中でくたびれちゃう。長い職業ですからね」

好楽という生き方は、まさに亀の歩み。76歳の今、落語界の前方で歩み続け、同業者や後輩に頼りにされ、周囲を接着する存在になった。

五代目円楽一門会には、三遊亭円生襲名などいくつかの課題が横たわっている。

「1、2年で決めます」ときっぱりと意気込む好楽は、枯れていながらも枯れていられない重要な立場だ。「76歳だけどまだまだだから、という心持ち。毎日毎日がその日暮らしだと思っています」

取材・文/渡邉寧久
わたなべ・ねいきゅう演芸評論家・エンタメライター。文化庁芸術選奨、浅草芸能大賞などの選考委員を歴任。ビートたけし名誉顧問の「江戸まちたいとう芸楽祭」(台東区主催)の実行委員長。東京新聞、デイリースポーツ、夕刊フジなどにコラム連載中。

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