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宮沢りえ50歳に 「この上ない喜びだった」18歳のヌード写真集、観客総立ちの「伝説の舞台」も…役者人生の波乱万丈

宮沢りえがきょう4月6日、50歳の誕生日を迎えた。いまや日本を代表する女優といっても過言ではないが、彼女は「役者」と自称する。その理由を訊かれると、《なんか響きですね。女が優れたと書くこの言葉の響きに違和感があるというか、恥ずかしくて、役者と言われた時のほうがスッと馴染む》と答えている(『文藝春秋』2012年5月号)。

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《役を“演じる”ことはありません。自分の肉体を通して、その役を“生きる”んです。だから、役が自分の中に誕生して、撮影や舞台が終わると葬る――いつもその繰り返しだと思っていますね》と信条を語る彼女には(『文藝春秋』2015年10月号)、たしかに女優よりも役者の肩書がふさわしい。

宮沢りえ50歳に 「この上ない喜びだった」18歳のヌード写真集、観客総立ちの「伝説の舞台」も…役者人生の波乱万丈
宮沢りえ©文藝春秋

11歳でモデルとしてデビュー

その宮沢は一昨年の2021年に、14歳のときに出演した「三井のリハウス」のCMに34年ぶりに再出演し、現在も放送中である。同CMでは宮沢演じる「白鳥麗子」が、10代のときに住んでいた街にリハウス(家の住み替え)して戻ってきたという設定で、自分の娘と歩きながら「ママもあなたぐらいのときに、初めてリハウスしたの」と語る。回想として流れる往年のCMでは、転校先の教室ではにかみながら挨拶する宮沢の姿が初々しい。

11歳のときにモデルとしてデビューした宮沢だが、このCMで一気に世に知られることになった。カメラの前で言葉を発するのは初めてで、緊張しながら撮影にのぞんだが、それがかえって転校してきたというシチュエーションにハマったようだ。このとき、彼女がこもったようなしゃべり方で口にした白鳥麗子の名は人々の耳に残り、しばらくのあいだ街で「あっ、白鳥麗子ちゃん」などと声をかけられたという。ただ、その名前だけがどんどん蔓延していくことに戸惑い、けっしてうれしいものではなかった気がすると、のちのインタビューで振り返っている(『文藝春秋』2012年5月号)。

「高校1校受けたけど落ちちゃった」

モデルになりたいと思ったのは、資生堂のCMに出ていたモデルの山口小夜子の美しさに圧倒されたからだった。三井のリハウスのCMの翌年、1988年には映画『ぼくらの七日間戦争』に主演、公開されるや大ヒットとなり、日本アカデミー賞新人俳優賞も受賞した。それでも本人は俳優になるつもりはなく、モデルを続けるつもりでいたと、上述のインタビューでは語っている。

だが、別の記事(石井妙子「宮沢りえ『彷徨える平成の女神』」、『文藝春秋』2019年5月号)では、『ぼくらの七日間戦争』の監督である菅原浩志がこんな証言をしている。映画公開後、年が明けてまもなくして、彼女は菅原のもとへやって来て、「高校1校受けたけど落ちちゃった。私、女優になります」と宣言したというのだ。受験失敗はあくまで口実で、心のなかでは演技への関心がしだいに強くなっていたのかもしれない。菅原は映画に抜擢した責任感から、女優になるのは高校に入ってからでもいいじゃないかと説得したが、彼女の決意は固かったという。

こうして1989年の春、中学を卒業して本格的な芸能界デビューをすると、ドラマや映画のほか、バラエティでコントを披露したり、歌手としてCDをリリースしたりと幅広い活躍を見せ、一躍トップアイドルとなる。1991年には、前衛的な作風で知られた勅使河原宏監督の映画『豪姫』に主演した。

同年のインタビューで、この映画の出演時を振り返り、《そのときなぜかとてもすんなりできちゃったんです。豪姫ってお姫さまのこと、台本読んだらすごくわかったような気がして。いつもはお芝居しようとか、セリフ覚えなきゃとか、そういう気持のほうが先行しちゃうんだけど、そのときは、そんなふうにはならなかった。生まれて初めてお芝居しなかったお仕事というか》と語っているのが(『広告批評』1991年12月号)、その後の役者としての片鱗をうかがわせる。

写真集『SantaFe』でヌードになったわけ

篠山紀信撮影によるヌード写真集『SantaFe』を発表したのは、まさにこの年だった。11月の発売を前に新聞の全面広告で告知されるや、トップアイドルが脱いだと一大センセーションを巻き起こす。発売当時の篠山との対談では、撮影にいたる心境の変化として、その年の初めぐらいに大河ドラマ『太平記』や『豪姫』に出てから、芝居に対する取り組み方が変わり、長く残る作品をつくりたいと思う気持ちが強くなっていたことを挙げている(『文藝春秋』1991年12月号)。

写真集の撮影中には、毎日撮影が終わると、その日撮った写真をすべて貼り出して、スタッフみんなで意見を交換した。撮り始めた当初は「撮ってみて恥ずかしかったらヤだ」と言っていた彼女だが、ホテルの部屋の壁いっぱいに貼り出された写真を見て、「美しいな。嫌じゃないな」と感じ、「これだったらいいです」とGOサインを出したという。のちのインタビューでは、それが世間にどんな衝撃を与えるかなんてことはまったく考えになく、《今いいものが撮れることがこの上ない喜びだった》と明かしている(『文藝春秋』2012年5月号)。

貴乃花との婚約発表、そして破局

関脇・貴花田(のちの横綱・貴乃花)との婚約を発表したのは、『SantaFe』発売のちょうど1年後の1992年11月だった。若きスターどうしのカップルとあって大きな注目を集めるも、間もなくして破局。メディアではその原因をめぐりさまざまな憶測が飛び交い、彼女はバッシングにもさらされた。

1994年には、宝酒造の缶チューハイのCMに出演、このときのセリフ「すったもんだがありました」は、宮沢自身の実体験を思い起こさせ、この年の新語・流行語大賞も受賞した。CMを演出した市川準(映画監督としてものちに『トニー滝谷』で彼女を起用している)は、このセリフをどう言ってもらうか悩んだようだが、宮沢の「あっけらかんと言っちゃえばいいんじゃないですか」の一言で方向が決まったという。当人は、「すったもんだ」という言葉の意味をさほど深くとらえていなかったらしい(『広告批評』1994年5・6月号)。

このCMもあって、騒動を明るく乗り越えた感もあったが、心が傷つかなかったわけもなく、悔しい思いもたくさんした。数年後の対談では、当時を振り返ってこんな話をしている。

《いろんなことを言われたとき、インタビューに出て、一つずつ、「この記事は違いました、この記事は本当です、この記事のこの部分は本当だけれど、ここは嘘です」って反論することは簡単だったかもしれないけど、それは嫌だったんです。同じレベルになっちゃうような気がして。だったら、時間はかかるかもしれないけれど、自分が一番得意な分野で仕事をすることで、結果的に、反論できればいいんじゃないかって思ってたから》(『週刊文春』2001年8月2日号)

バッシングへの反論を思いとどまらせた人物

じつは、反論したいという彼女を思いとどまらせたのは、マネージャー兼プロデューサー的存在だった母親の光子さん(2014年に死去)であったと、のちに作家・瀬戸内寂聴との対談で告白している。「やるべきことをやり続けていたら、いつかそれが反論になる」と母から説得されたときには、まだ若かったこともあり納得できなかった彼女だが、その後、《“演じる”という自分のするべきことを誠実に続けてきたことで、母の言うある意味の「反論」はできたのかもしれません》という(瀬戸内寂聴『寂庵コレクションVol.2あなたは、大丈夫』光文社、2020年)。

母の言葉を守って演技に真摯に取り組むにしたがい、俳優としての評価は着実に高まっていった。ドラマでは杉田成道や久世光彦、舞台では唐十郎、蜷川幸雄、野田秀樹など、すぐれた演出家・劇作家との出会いにも恵まれ、おおいに鍛えられた。映画でも『たそがれ清兵衛』や『父と暮せば』などで好演し、さまざまな賞に輝く。

舞台に本格的に携わるようになったのは30代に入ってからで、このとき「40歳にちゃんと舞台に立っていられる人になろう」と決め、映像の仕事はちょっと休んで、舞台出演はすべて引き受けるようにした。

急な代役を見事にこなした「伝説の舞台」

まさに40歳になった2013年、役者としての力量を試されるような出来事があった。三谷幸喜作・演出の舞台『おのれナポレオン』で、ヒロイン役の天海祐希が本番直前に病気で降板したため、急遽、主演の野田秀樹を通じて代役を依頼され、引き受けたのだ。わずか2日間の稽古で初日を迎え、膨大なセリフのある役を見事演じきり、終演後には観客から5分間にわたり総立ちの拍手喝采を送られた。

ただ、このとき、演劇界での恩人のひとりである蜷川幸雄には「あなたがいま負うべき責任ではない。それにともなうリスクをちゃんと考えたのか?」と止められた。そう言われて、宮沢は自分が代役を果たせなかったときのことなどまったく考えていなかったと思いいたる。しかし、その上で「もう決めてしまいました」と伝えると、蜷川は、何かにつけて火中の栗を拾いたがる彼女の性分を知ってか、「じゃあ、誰よりも応援してます」と後押ししてくれたという(『SWITCH』2015年10月号)。

さまざまな騒動を経て、一時期、見るからにやせ細ったため心配されたが、その後、ジムでトレーニングをするようになり、“肉体改造”に成功する。それも、演技するに際し、いつまでも身体が動く人でありたいと思ったからだった。50歳を目前にしても、《役者にはリミットがない。それぞれの年齢で新しい挑戦が待っているから、その挑戦に臆病にならずにいるためには、健康でいること、ひとつひとつのお仕事をオーディションだと思って臨むことが大切》と、役者は身体が資本だという意識は強い(『GINGER』2021年12月号)。

「40代は楽をせず、もがかなきゃいけない」

「役者にはリミットがない」と話すだけに、いつまでも演技に満足することはない。10年ほど前、41歳のときの対談でも、《今まで経験した役柄のいろんなところをつまんで、縫って、一枚の布にするみたいなことは40歳までにできていました。けど、舞台で共演した大竹しのぶさん(中略)が自由な肉体と心をもっているのを見て、この「自由」を手に入れるには、40代は楽をせず、もがいて、たくさん引き出しを見つけなきゃいけないと感じました》と語っていた(『AERA』2014年11月3日号)。

昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、鎌倉幕府の初代執権・北条時政の後妻・りくを演じた。りくは、史実では「牧の方」という名で、実の息子に権力を継承させるため、夫の時政とともにさまざまな陰謀を巡らし、それが結果的に彼を追放へと追い込んでしまったゆえ“悪女”として伝えられる女性だ。

しかし、脚本の三谷幸喜からは「悪女としては描きたくない」と言われ、引き受けた。たしかに、このドラマにおいてりくは、ちょっと頼りなげな時政の尻を何かにつけて叩き、京生まれのプライドから夫の連れ子である政子や義時らに憎まれ口を叩くこともしばしばであったが、それでいてチャーミングで憎めない女性として描かれていた。

乗り越えようとしている「壁」

自由奔放な役どころのりくを、宮沢は楽しみながら演じている印象を受けた。しかし、本人のなかではまだ、先に語った「自由」を獲得したという境地にまでは達していないようだ。最近のインタビューでも、《40代前半の頃、尊敬するプロデューサーから、「もっと力が抜けるようになったら、あなたはもっと素敵になるよ」と言っていただいたんです。正直、その壁はまだ乗り越えられていません》と語っていた(『婦人公論』2023年2月号)。

自ら肩の抜けた演技ができたと思ったときこそ、宮沢りえは役者として「自由」を手にするのだろう。しかし、彼女のことだから、そこにいたってもなお新しい目標を見つけ、さらなる挑戦を続けているに違いない。

(近藤正高)

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