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小中高、大学と学費は自分の給料から…さくらまやが明かした当時

事務所解散も、21歳で9LDKの大豪邸を購入…天才演歌歌手“さくらまや”が語る、デビューから15年の現在地〈写真多数〉から続く

2008年、“史上最年少の演歌歌手”として10歳でデビューシングル「大漁まつり」を放った、さくらまや(24)。

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バイオリン少女だった幼少期、演歌の道に進んだ経緯、“テストは教師との対決”だと学業に打ち込んだ10代の頃などについて、2020年に購入したという茨城県取手市の自宅で話を聞いた。(全2回の2回目/最初から読む)

◆◆◆

姉がきっかけで3歳からバイオリンを習い始める

ーー10歳で演歌歌手としてデビューしましたが、どういった経緯だったのでしょうか。

さくらまや(以下、さくら)7歳上の姉がずっとバイオリンをやっていたことから、私も3歳頃からバイオリンを習うようになったんです。で、ずっとやっていたんですけど、小学校に上がるすこし前に演歌と出会って惹きつけられて。

演歌教室に通って、いろいろな大会に出ていたところを事務所にスカウトされて、10歳で「大漁まつり」でデビューしたと。ザッと話すと、こんな感じです。

小中高、大学と学費は自分の給料から…さくらまやが明かした当時
さくらまやさん©三宅史郎/文藝春秋

ーーご両親もなにか楽器を弾くような家庭だったのですか。

さくらいえ、姉がなにかのきっかけでバイオリンをやりたいと言い出して、私も教室についていって、姉が弾くのを眺めていたんですね。そこの先生から「バイオリニストになる人は、3歳ぐらいから始めるんだよ」と言われたそうで、親も私にやらせてみようと思ったらしくて。

両親としても憧れがあったんじゃないですかね。姉妹でバイオリンをやっている、みたいな。姉がバイオリンを始めるにあたっていろんな機材や教材を買っていたので、それを妹にも使わせなきゃもったいないと思っていたんだと思います。

お琴やハープなど、習い事は音楽系が多かった

ーーさくらさん自身としては、あくまで習い事としてバイオリンをやっていたと。

さくら習っていたのは3歳から小学校前までの話ですから、さすがに「バイオリニストを目指す!」とはならなかったです。夢を追うという形じゃなく、あくまでお稽古として習っていたんじゃないですかね。

とにかく私はヤンチャな子供で、あっち行ったりこっち行ったりして親がヘトヘトになってしまっていたそうで。なので、暇な時間を作らせない目的もあったようですけど、バイオリン以外にもいろいろと習い事をさせてもらっていましたね。

バイオリンと並行してピアノもやっていましたし、小学校に入ってからは、お琴とかハープもやらせてもらったりとか。

そろばんも日本舞踊もやらせてもらいましたけど、音楽系が多かったですね。日本舞踊は「踊りの才能はない」って言われました(笑)。実際、いまだにダンスは苦戦しています。

ーーお姉さんは、ストイックにバイオリンを続けていたのでしょうか。

さくらバイオリン一筋ではなかったです。お茶やお花とか、姉のほうがいろいろ習い事をしていました。どっちかというと、花嫁修業的な感じで習っていましたね。

お茶とかお花って優雅じゃないですか。それもあって姉がお茶会に行くときは必ずついていって、お菓子だけを食べていました(笑)。

演歌の伴奏に魅了され、バイオリンから演歌へ

ーー姉妹でバイオリンはお金がかかりそうですけど、裕福な家庭だったのですか。

さくらそうでもないんですけれども、やっぱり子供のためにいろいろと節約しながら頑張ってくれる家庭ではありましたね。だから、せっかくお金をかけているんだからバイオリニストを目指してほしいなという気持ちはあったようです。完全に裏切っちゃいましたけどね(笑)。

ーーバイオリンから演歌へのシフトはどういったきっかけが?

さくらずっとクラシックをやっていたので、演歌の伴奏を耳にして衝撃を受けたのかもしれないです。クラシックと演歌って、まったく違うものですから。

小学校にあがる1、2週間前に、なにかのパーティーに連れていってもらったんですよ。アマチュアの方だったと思うんですけど、そこで演歌を歌っている方がいて、歌よりも伴奏に魅せられたのを憶えています。それと子供心に、おひねりをもらっているのを見て「いいな〜」とうらやましくなって演歌を始めたところもありますね。

それからすぐに「演歌を歌いたい、習いたい」と両親に言ったら、演歌を教えてくれる先生を探してくれて教室に通うことになりました。

人のことを褒めない祖父が「歌はうまいね」と

ーー通ったのは、“歌のレッスン”的な教室ですか。カラオケがうまくなりたい方が教わるような。

さくらそうだったと思いますね。私以外に幼い年齢の子はいなくて。だから、先生にもほかの生徒さんにも可愛がられましたよ。

先生はキティちゃんのお人形を持って「こぶしっていうのはね」「ヴィブラートっていうのはね」なんて教えてくれて。ほんと試行錯誤しながら指導してくださっていましたね。とにかく優しくて、わかりやすく教えてくれた先生でした。

ーーそこから演歌だけに打ち込んで、めきめきと上達していったと。

さくらほかのお稽古も続けていたので、単純にやることが増えたという程度ではありましたね。上達に関しては自分ではピンときていませんでしたけど、いろんな大会に出るようにもなって、あんまり人のことを褒めない祖父が「歌はうまいね」と言ってくれたのは憶えています。

ーー小学校の学級会などで歌を披露したりは。

さくら学校で目立ちたい子供ではなかったので、小学校、中学校、高校と、あんまり歌を聞かせることはなかったですね。

親から「ほんとにやる気なの?」と

ーー「いろいろな大会にも出るようにもなって」とのことですが、そうしたなかで事務所にスカウトされたわけですね。

さくらそうです。なにかの大会に出ていたところを見てくれて、連絡をいただいたんです。10歳になったくらいに声をかけてもらって、10歳の後半でデビューしました。

事務所からの連絡を受けて、親と教室の先生が「どうしようか?」と話し合いをしていて、私はよくわかってもいないのに「ふんふん」と聞いていました(笑)。

そこからトントン拍子でデビューが決まっていきましたね。

ーーご両親からデビューの意思確認みたいなものは?

さくらありました。「ほんとにやる気なの?うまくいくかわからないし、こっち(北海道)にいたほうがいいんじゃないの?」とは聞かれました。子供なんてキラキラした世界に惹きつけられちゃうから「やりたい」っていいましたけどね。

北海道から浅草の公立小学校に転校

ーー「こっちにいたほうがいいんじゃないの?」と聞かれたとのことですが、デビューの条件として住んでいた帯広から東京に出てくるように言われていたのですか。

さくらデビューしてすこし経ってから東京に出ました。やっぱり、イベントやツアーに出ている間はホテル暮らしになってしまいますし。東京でテレビの収録があったりしたら、北海道だと行き来が大変ですから。そういうなかで学業もおろそかにならないようにするのなら、東京に移って、東京の学校に通いながら活動したほうがいいのでは、という話になりまして。

それでもデビューして1年くらいは、北海道からの通いで頑張っていましたね。金曜や土曜のお昼に学校が終わったら飛行機に乗って仕事に行って、月曜日になる前に帰ってくるんですけど、なかなか大変で。私としては時間的にもったいなくて、事務所のほうも経費の面でもかさんでいただろうし。

ーー移ったのは、東京のどのあたりでしょうか。

さくら事務所のあった浅草です。事務所が借りてくれたマンションが浅草で、そこからいちばん近い公立の小学校に通いました。小4くらいのときに移ったんですよね。

ーー転校は緊張しませんでしたか。ただの転校生とは違うじゃないですか。

修学旅行先で騒がれると、みんなで守ってくれた

さくらこれがすぐになじめちゃったんですよ。浅草の小学校で出会って、ずっと仲良くしている友人がいるんですけど、ガキ大将というか、けっこうヤンチャな性格で。で、その子が「校長室に呼び出されて、校長先生から『今度こういう子が転校してくるからなにもするなよ』って釘を刺されたんだよ」って教えてくれたんです。

これは卒業してだいぶあとになって聞かされた話なんですけど、学校のほうでも配慮してくれていたんだなって。おかげで、ほんとうにのびのびとした学校生活を送れましたから。その友人には「迷惑かけたね」と言いました。

いじめなんかもまったくなかったですね。修学旅行先で「あれ、さくらまやじゃない?」なんて騒がれたりすると、みんなで守ってくれたくらいだったし。

ーー東京ではお母さんと一緒に暮らしていたのでしょうか。

さくらそうですね。姉も頻繁に来てくれてました。姉とはけっこう仲が良くて、大学生になった姉が休みになると、その間じゅう東京にいてくれて。7歳も離れているから、もうひとりの母って感じで。

ファンの方から貰ったのはおひねりではなく…

ーー「大漁まつり」でブレイクされるわけですが、当時のスケジュールはどういった感じだったのでしょう。

さくら普段の日だったら、放課後から仕事でした。あとは土日と夏休みとかにやっていましたね。小学生だったので、働く時間の制限もあって、すごく苦しかったというのはあまりないんですよね。事務所も学校の行事には参加できるように予定を組んでくれていたので。もしも不満があったとしたら、私の性格からいってすぐにやめていましたね。

ただ、歌うのは大好きだったけど、しゃべるのは得意ではなかったので、トーク番組のお仕事が入ると不安になったりしていました。

ーー“おひねり”は投げられました?

さくら子供だったからなのか、おひねりよりも食べ物系のほうが多かったです。デビュー曲が「大漁まつり」だったので、漁港とかお祭りを回らせていただいていたんですけれど、そこで大きい牡蠣をいただいたり。あと、私は読書が大好きなので「これで本を買って勉強しなさい」とファンの方から図書券をよくいただいていましたね。

ーー夏休みにツアーに出ると、宿題を終えるのが大変だったのでは。

さくら夏休みの宿題は先生との戦いだと思っていて、休み前に範囲を予測して早々とやっていました。でも宿題が終わって安心しきって、日記を忘れちゃうんですよ。最終日に「あっ」となって、ガーッと書いていました。四苦八苦していたのは、日記と自由研究くらいですね。

高校では単位が足りず、卒業を断念

ーー成績は常に上位だったりしました?

さくら悪くなかったと思います。中学後半くらいから勉強をがんばりはじめて、テストも先生との戦いだと捉えていました。ほかの生徒との順位を争うのではなく、先生と1対1の戦い。テストって、先生からすると平均点を下げたくないけど、100点も取らせたくないって気持ちがあるんですよ。もう、絶対に「満点取ってやったぜ!」といえるように頑張っていましたね。

ーー演歌の天才少女的なイメージがあったからこそ、勉強もがんばっていたところは。

さくらいろんな天才がいるとは思うんですけれども、私のなかでは天才って言われたいのは勉強だけでしたね。あくまで歌は好きだからやり続けていたものだったので、「歌手としてダメになったら学業のほうにシフトすればいいや」って考えていました。だから、歌手としてのプレッシャーを感じたことがないんですよ。

ーー中学、高校は公立ですか?

さくらそうです。高校は仕事が忙しくて単位が足りなくなって、卒業を断念して高等学校卒業程度認定試験を受けて高卒認定を取りました。

ーー単位のある高校って、どこでしょう。

さくら白鴎です。都立の中高一貫校で、私は高校から入りました。

小中高、大学の学費は全て自分の給料から捻出

ーー高卒認定を取って日大の法学部へ進んだ。車の事故をきっかけに法律に興味を抱いたとおっしゃっていましたが、事故に遭ったのはこの頃ですか。

さくらそうですね。それまでずっと理系で、大学も理系に進んで生物学を学ぼうと考えていたんですけど、受験の2ヶ月くらい前に急遽法学部に進路変更して。国語や社会を勉強しないといけないんで大変でしたよ。

ーー生物学から法律ですか。

さくら生き物が大好きで、生物学の先生と仲良くさせてもらっていて。数学も好きだったので、数学系か生物学系のどちらかがいいなと思ったんですけれど、先生から「芸能人をやってたら、放課後に残って実験なんてできないでしょ」と言われて「そうか」と思ってやめました。

うちのワンちゃんが長生きできるようにも、いろいろ学びたかったんですけどね。

ーー家を購入したお話をうかがって、自立心旺盛すぎるといいますか。ひょっとして、学費なんかもすべて自分で?

さくら小中高、大学と、学費は自分のお給料のなかから払ってきました。

ーー自分の進みたい人生を確実に進んできたように思えます。

さくらいや〜、青春の後悔みたいなものはありますよ。友達と夜中まで遊んだりしたことがなかったので、それだけはやってみたかったなという気持ちはありますね。

撮影=三宅史郎/文藝春秋

(平田裕介)

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