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「私って愛人顔だから」ときには激しいラブシーンを熱演、私生活も注目の的に…鈴木京香55歳の「華麗なる人生」

俳優の鈴木京香が、主演する予定だったフジテレビ系の7月期のドラマ『この素晴らしき世界』を、今月上旬のクランクイン直後に体調不良のため降板した。同作では「平凡な主婦&悪魔のような性格の大女優」という正反対のキャラクターを、鈴木が一人二役で演じる予定であった。

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その制作発表時には、《一人二役を演じるのは初めてです。外見的な違いを工夫することも楽しいですし、それぞれの女性の生きてきた人生の違い、考え方の違い、愛情の持ち方の違いを、表情や仕草だけでも再現できたら》と意気込みを語っていた(「フジテレビュー!!」2023年4月26日配信)。

「私って愛人顔だから」ときには激しいラブシーンを熱演、私生活も注目の的に…鈴木京香55歳の「華麗なる人生」
©文藝春秋

それだけに、今回ドラマを降板して治療のためしばらく休業するに際し、公式サイトに掲載された本人のコメント(2023年5月11日付)での《「この素晴らしき世界」の撮影に参加できなくなったことは本当に残念で申し訳なく思っています》という言葉には悔しさがにじみ出ているようで、その心中が察せられる。

私生活では名作住宅を購入

そんななか、きょう5月31日、鈴木は55歳の誕生日を迎えた。先月19日には、日本建築学会文化賞に選ばれるという喜ばしいニュースもあった。同賞は建築文化の向上などに貢献した個人に贈られるもので、鈴木は今回、取り壊しの危機にあった住宅建築「ヴィラ・クゥクゥ」(東京都渋谷区)を個人で引き受け、保存再生と一般公開を視野に入れた改修を行った、との理由で授賞された。

ヴィラ・クゥクゥは、建築家の吉阪隆正が、アルピニスト仲間でフランス文学者の近藤等から発注されて設計したもので、1957年に竣工した。近藤は2015年に亡くなるまで60年近くにわたり、この家に夫人とともに住み続けた。

そのあいだにさまざまな改修も加えられたが、鈴木はこの家を引き継ぐにあたり、現代美術作家の杉本博司と建築家の榊田倫之の主宰する建築設計事務所「新素材研究所」とも相談しながら、竣工当時の姿にできるかぎり戻すと決めた。こうして復元工事が行われ、昨秋ついに完成した。

鈴木はこの家をプライベートなスペースとして使うのではなく、広く一般に公開することを前提として自らは管理人に徹するつもりだという。このことからも、このプロジェクトがもはや私的な趣味の域を超え、きわめて高い公共性を持ったものであるとはっきりとわかる。

美術コレクターという一面も

鈴木はまた美術コレクターという一面も持つ。29歳のときにサザビーズのオークションで20世紀前半のスイスの画家パウル・クレーの小品を落札してからというもの、自分の好きなアーティストの作品を家に持つ喜びを知ったという(『BRUTUS』2022年11月1日号)。

ヴィラ・クゥクゥにも自分の所有する書籍やインテリアとあわせて美術作品を運び込み、各所に配置した。もともと寝室だった2階には、ベッドの置かれていた場所のすぐ上の壁に、アメリカの美術作家シンディ・シャーマンが自らを被写体とした写真シリーズ「アンタイトルド・フィルム・スティル」の1枚が掛けられた(『CasaBRUTUS』2022年11月号)。このシリーズは、鈴木が初めて購入した同時代のアーティストの作品であり、集め続けてきたものだ。

シャーマンは同シリーズのなかで、1950〜60年代の大衆映画などのヒロインを連想させる人物に扮している。これについて、記号化したヒロインのイメージを自ら体現することで、ジェンダー(社会的・文化的な性差)の虚構性を提起したとも評される。

鈴木は俳優としてこの作品から学ぶことも多いという。《ひとつのキャラクターを形にする時、“わかりやすい、偏ったイメージに陥っていないか”と、じっくりと作品と向き合ってみる。/演じる時、抱えたいくつかの記号から的確に選び取り、磨きをかけ、私という肉体を与えられたらと願う》と、かつてエッセイに書いていた(鈴木京香『丁寧に暮らすために。myfavoritesAtoZ』講談社、2013年)。

朝ドラ『君の名は』が出世作

考えてみれば、鈴木が22歳から23歳にかけて主演し、世に知られるようになったNHKの朝ドラ『君の名は』(1991〜92年)は、1950年代に大ヒットしたラジオドラマおよび映画のリメイクだった(なお、後年のアニメ映画『君の名は。』はまったく別の作品である)。

同作でヒロインの氏家真知子に抜擢された理由のひとつは、「あの時代(作品の舞台である戦中・戦後)の顔をしている」というものであったという。これに対して彼女のなかでは、真知子は恋に積極的で、けっして古風な女性ではないと抗う気持ちもあったらしい。後年振り返ったときも、《いろんなことを勉強して役に入りましたし、「いちばん長く真知子とつきあっているのは私なのだから、彼女のことをいちばん分かっているのは自分だ」という気持ちで演じていました》と明かしている(『ステラ』2017年12月8日号)。

伝説化した作品やヒロインのイメージを忠実になぞるのではなく、自分なりに役を消化して演じるということを、鈴木は若くして実践していたのだろう。そんな彼女が先述したシンディ・シャーマンの作品に惹かれるのはしごく納得がいく。

芸能界入りのきっかけは、クラシック・コンサート

そもそも鈴木が芸術に関心を抱くようになったのは、趣味で絵を描いていた父親の影響が大きいという。芸能界入りも、高校時代にクラシックを聴きに出かけた地元・仙台のコンサート会場でモデルにならないかとスカウトされたのがきっかけと、芸術がらみだった。事務所に入るとやがて売れっ子モデルとなり、カネボウの水着キャンペーンガールにも選ばれた。それでも『君の名は』に出演するまでは、地元の大学に通いながら、仕事のため東京とのあいだを新幹線で往復する日々を送っていた。

俳優としてのデビュー作は大学在学中、1989年に出演した映画『愛と平成の色男』である。上京したときに事務所の勧めでオーディションを受けたところ、その場で役が決まった。このとき、監督の森田芳光が「君はモデルという感じじゃないね。女優という感じだね」と言ったので、自分は女優に向いていると言われたような気がしてうれしかったという。ただ、実際に女優でやっていく決心がつくまでには時間がかかり、そのたびにこのときの森田の言葉を思い出して気持ちを奮い立たせた(『キネマ旬報』臨時増刊・2012年5月11日号「映画作家森田芳光の世界」)。

「私って愛人顔だから」

その後も、新たな監督や作品と出会うたび転機が訪れる。竹中直人監督の映画『119』(1994年)の現場では、俳優の仕事を初めて面白いと感じた。1995年に出演したドラマ『王様のレストラン』の脚本家・三谷幸喜との出会いも大きかった。それまで正妻の役が多かった鈴木だが、同作ではレストラン経営者の愛人であるバルマン(女性バーテンダー)を演じた。

のちに対談で三谷に自分に愛人役を当てた真意を訊くと、彼は鈴木について《本質は正妻タイプですよ》と断ったうえで、脚本執筆にあたり彼女のイメージをつかむため初めて会ったとき、《見た目から、愛人役を演じたら面白いなと思った》と告白された(『文藝春秋』2014年1月号)。

これを受けて彼女は《「私って愛人顔だから」なんてセリフまであって。相当インパクトが強かったようで、今でもあのセリフは面白かったってよく言われるんですよ。おかげさまで、私はあれから愛人の役も増えて役が広がりました》と語っている。

ときには激しい官能シーンも熱演

実際、これ以降、役の幅は広がり、映画『血と骨』(2004年)やドラマ『セカンドバージン』(2010年、翌年には映画化もされた)などでは、デビュー当時の清純派イメージを覆すかのように激しい官能シーンを演じた。そのたびに男性週刊誌で興味本位に書き立てられ、鈴木は体当たりで演技しながらも脱いだ姿をほとんど見せないといちゃもんをつけられたりもした。

当人としてみれば、濡れ場ばかりに話題が集中するのは本意ではなかっただろう。それでも、これら作品は手応えのある仕事ではあったようだ。『血と骨』では、もともと仕事とプライベートの切り替えはスムーズなほうだったのに、この撮影期間は役に引きずり込まれてしまい、役との新たな付き合い方を学んだ大きな転機にもなったという(『週刊文春』2011年4月14日号)。

鈴木は、演じる役に自分を重ねて考えたり、自らの経験や感情を投影したりすることはまずないという。『セカンドバージン』でヒロインの出版プロデューサー・るいを演じた際もそれは変わらなかったが、ひとつだけ自分がしていることをるいにさせた。

それは「ペディキュアは常に赤」ということだ。彼女いわく《手は自然のままだけれど、足先はいつも真紅に染めているというのがるいらしいかなと思ったんです》(『25ans』2011年10月号)。

視聴者にはなかなか気づかれなさそうな工夫ではあるが、そう言われてみると、離婚後20年ものあいだ男性を知らずにきたヒロインが、17歳年下のエリート官僚と出会い、不倫の恋に燃え上がるというドラマの展開にふさわしい設定に思えてくる。ここでもわかりやすい偏ったイメージを排した、彼女なりの役のつくり方が垣間見える。

三谷幸喜に贈った言葉

『王様のレストラン』以後も、三谷幸喜の作品にはドラマだけでなく映画に舞台にと数多く出演し、ほぼ常連となっている。昨年も、NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』、舞台『ショウ・マスト・ゴー・オン』と、三谷作品にあいついで出演した。

『鎌倉殿の13人』で描かれた、伊豆の一豪族だった北条氏が鎌倉幕府で権勢を振るうまでの物語を、三谷は昔から書きたいと思い続けてきた。かつての『王様のレストラン』での鈴木の役名も三条政子と、北条政子にちなんだものである。

三谷が昨年暮れに菊池寛賞を受賞したとき、鈴木は『文藝春秋』誌面に寄せたお祝いの言葉のなかでこのことに触れ、《あの頃からずっとお書きになりたかった、北条義時とその周りの個性豊かな面々のお話を、『鎌倉殿の13人』で実現するなんて。とても感慨深いです》とつづった(同誌2022年12月号)。長らく付き合ってきた盟友ならではの祝福といえる。

「80歳ぐらいまで続ける気持ちで…」

三谷からは10年ほど前の対談で、このとき二人で取り組んでいたジャン・コクトー作の一人芝居『声』について、《八十歳ぐらいになって、まだやってるというのもいいじゃないですか》と言われ、彼女も《そのぐらい続ける気持ちで精力的に取り組みたい》と返していた(『文藝春秋』2014年1月号)。この作品にかぎらず、鈴木京香には俳優として息長く活動をしてほしい。

昨秋、吉阪隆正のヴィラ・クゥクゥの復元が実現したとき、その感想を問われて鈴木は《〈ヴィラ・クゥクゥ〉がまた花開く季節になったって感じですね。息を吹き返すというとちょっと大げさで、休眠していたのだけど、目を覚まして、2度目のお花を咲かせたみたい》と答えた(『CasaBRUTUS』2022年11月号)。鈴木もまた、いずれ必ずや復帰して、新たな花を咲かせてくれるものと信じたい。彼女自身もそれを期して療養を続けているのではないか。

(近藤正高)

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