芸能ニュースなどの芸能情報から掲示板で雑談!

芸能速報チャンネル ごしっぷる

「転職して給料下がりましたけど」…元テレ朝アナ・大木優紀「旅行会社の執行役員へ大転身」意外な理由

「転職して給料下がりましたけど」…元テレ朝アナ・大木優紀「旅行会社の執行役員へ大転身」意外な理由 (全7枚)

「はじめまして。大木です」

渋谷の中心部にあるオフィスビルを訪ね、タッチパネルで受け付けを完了させると扉が開き、大木優紀(42)が現れた。差し出された名刺には〈株式会社令和トラベル執行役員〉と書かれていた。

大木は慶應義塾大学を卒業後、’03年にテレビ朝日に入社。人気バラエティ『くりぃむナントカ』や『やじうまプラス』などを担当した看板アナ。ビビる大木(48)の親戚としてもおなじみの存在だったが、’21年12月に退社。翌’22年1月から現在の会社でPRを担当している。

局アナで、40代以後も第一線で活躍しているのは一握り。フリーに転身するか、先輩の下平さやかアナ(50)のように管理職になるか、広報など別セクションに異動するケースがほとんどだが――旅行会社、しかもスタートアップ企業への転職は極めて異例だ。

「元々転職を考えていたわけではありません。むしろ、転職を決めたのはアナウンサーの仕事にやりがいを感じていた時期でした。夕方のニュース番組『スーパーJチャンネル』で、原稿なし、自分の言葉でのニュース解説をやらせていただいていたんです」

転職のきっかけとなったのは、コロナ禍による海外旅行の制限だった。

「私は海外旅行がクレイジーなくらい大好きで、休みが3日あればニューヨークに飛んで行っていました(笑)。年に3〜4回は海外に行っていましたね。海外旅行は私にとってはかけがえのない趣味で、仕事を頑張る糧でもあった。それがコロナ禍で行けなくなって……。その鬱憤のようなものが、転職の原動力の一つになったと思います」

転職先の令和トラベルは、コロナ禍であえて旅行事業を立ち上げた。

「旅行の市場がゼロにリセットされた状況をチャンスだと捉える考え方が面白いと思いました。一方で『18年間も務めたアナウンサーをそんな簡単にやめるのか。熱くなっているだけかも』という葛藤もあった。

『1週間後にまだ同じ気持ちだったら連絡してみよう』と決め、1週間後にエントリーシートにテレビ朝日HPにある自分のプロフィールページを載せて応募しました。ビビッときた、と言うとちょっとダサいかもしれませんが(笑)、この会社で働いている姿がイメージできたし、何より、海外旅行の価値をこのコロナ禍でもう一度取り戻したいと思ったんです」

周囲の反応は、意外にもポジティブだったという。

「驚かれましたけど、先輩も同期も後輩も、みんな私が旅行が好きだというのは知っているので、『寂しいけど、ここでポーンと飛び出るのは大木らしい』と言ってくれました。夫も、『合っていると思う』と背中を押してくれました。

転職して、給料は下がりましたけど、いままで勢いで買っていた価格帯のものを、『ん?ちょっと待てよ』って吟味して買うようになったくらいで(笑)。それより、自分に何ができるのかが分からないのが一番不安でした。転職面接では、『今までこんなことをやってきて、御社ではこのような形で力を発揮できる』と自己PRするのが普通ですが、私の場合は『なんかできることありますかね?』と逆質問するありさまでしたから(苦笑)」

横文字に面食らって……

入社後は取材する側から取材してもらう側へ180度転身。慣れないことが多かったという。

「スタートアップ企業あるあるですが、業界用語や横文字に面食らいました。いままでは万人が分かるように一番分かりやすい表現で伝える仕事だったから、『なんでそこで横文字使うの!?』と戸惑っていたけど、いまはすっかり染まっています(笑)。

アナウンサーの仕事は、よく『潰しが効かない』と言われます。私も最初は偏ったキャリアだと思っていました。だけど、秘書職で入社した同僚が経理の仕事もしたり、お客様対応担当の人が人事をやったり、スタートアップの会社の特徴で部署とかはっきりしていないんですが、誰でもその人の経験値がピタッとハマる瞬間があるのを見て『潰しなんて効くんだな。むしろ、潰しまくって行くしかない』と思っています」

転職して1年あまりの今年4月、執行役員に昇格。業務の幅が広がった。

「SNS運用全般や社内のカルチャー調整などにも関わっています。私にしかできないことって何だろう、という悩みは今もある。今日、こうして取材に来ていただいていますが、これは他社の広報さんだとないことかもしれません。だとしたら、私が会社のために作れる価値の一つだと思うと、ありがたく感じます」

元人気アナとして、週刊誌の取材を受けることに迷いはなかったのか――。そう問うと、笑顔が弾けた。

「事実と違うことを書かれたり、家の前で待ち伏せされたこともあり、嫌な思いもたくさんしましたが、FRIDAYさんはそうでもなかった気がする(笑)。顔と名前を出してメディアに出るということは、並大抵の覚悟ではやっていけません。

そういう意味で、テレ朝を辞めて身軽になった気持ちもあったんです。けど今、令和トラベルの大木優紀として、顔と名前を出してメディアに出させていただく機会があって、覚悟を持ってやらなければいけないと思っています。その重さは他の方たちよりも知っているはずです。効果の大きさと、何かあったときに突き落とされるリスクを肝に銘じて生きております」

覚悟の重さは充実度の裏返し。大木ちゃんスマイルが、そう語っているように見えた。

『FRIDAY』2023年6月30日号より

「転職して給料下がりましたけど」…元テレ朝アナ・大木優紀「旅行会社の執行役員へ大転身」意外な理由 外部サイト 【未掲載カット!】充実感たっぷり…!笑顔でインタビューに答える「元テレ朝アナ・大木優紀」 【オーラ全開!】《結婚後初のツーショットをキャッチ》加藤綾子がセレブ夫と一緒に高級ホテル テレ朝・弘中アナ第1子妊娠発表!「資産17億円ベンチャー社長」夫と早まる「独立のタイミング」

この芸能ニュースに関連する芸能人

  • +お気に入り登録

関連芸能ニュース

退社の関口メンディーへエール?ELLYの投稿に反響「泣いた」

退社の関口メンディーへエール?ELLYの投稿に反響「泣いた」

【モデルプレス=2024/04/30】三代目JSOULBROTHERSのELLYが4月30日、自身の公式X(旧Twitter)を更新。同日グループ卒業、LDHJAPAN退社を発表したGENERATIONSの関口メンディーへのメッセージと思われる投稿をした。 【写真】関口メンディー、包帯姿の写真で「入院しました」 ◆ELLY、関口メンディーにメッセ...
ひろゆき&東出コンビで話題『世界の果てに、○○置いてきた』シリーズ第2弾が放送決定「前回はちょっと優しすぎたかなと反省したので、今回はもうちょっと酷いところに置いてきました」高橋弘樹プロデューサーのコメント到着

ひろゆき&東出コンビで話題『世界の果てに、○○置いてきた』シリーズ第2弾が放送決定「前回はちょっと優しすぎたかなと反省したので、今回はもうちょっと酷いところに置いてきました」高橋弘樹プロデューサーのコメント到着

ABEMAにて、2024年5月18日(土)夜9時より『世界の果てに、誰か置いてきた』と題し、『世界の果てに、○○置いてきた』シリーズ第2弾を放送することを決定した。 【映像】「世界の果てに、ひろゆき置いてきた」ダイジェスト 昨年8月に放送した『世界の果てに、○○置いてきた』シリーズ第1弾の『世界の果てに、ひ...
認知症公表の蛭子能収と太川陽介が5年ぶり再会 ファン「涙なしには見られない」

認知症公表の蛭子能収と太川陽介が5年ぶり再会 ファン「涙なしには見られない」

タレント太川陽介(65)が1日までにYouTubeチャンネルを更新。テレビ東京系「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」のパートナーだった漫画家の蛭子能収(76)と5年ぶりの再会を果たしたと明かした。 蛭子は20年、出演した番組内で軽度の認知症と診断されており、現在は施設に入所しているという。再会した太川のこ...
神田正輝が73歳で“無敵モード”突入?「元妻・松田聖子」言及は完全回復か達観か

神田正輝が73歳で“無敵モード”突入?「元妻・松田聖子」言及は完全回復か達観か

今年1月に長期休養から復帰した俳優の神田正輝(73)が、「ある種の“怖いものなしモード”に突入しつつあるのか」(制作会社関係者)と業界をざわつかせた。唯一のレギュラー番組であるテレビ朝日系「朝だ!生です旅サラダ」(土曜午前8時)では、難解なシャレや独特なおやじギャグを快調に連発。不測の生放送...

コメント(0)

名前
コメント
※必須
http://scoopire.net