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「プロポーズされて嬉しいと思ったことは1回もない。悪魔のささやきです」それでも神田うの(48)が、結婚式を9回も挙げた“本当の理由”

14歳で芸能界に足を踏み入れると大御所にも愛されるキャラクターと、たぐいまれなトークセンスで一躍売れっ子に。「プロポーズされて嬉しいと思ったことは1回もない」と言っていたはずの神田うのは、なぜ結婚をして式を9回も挙げたのでしょうか。(全2回の1回目/続きを読む)

【写真】 48歳になっても変わらない美しさ!神田うのを写真で一気に見る

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「まぁ、それはすごいバッシングされました」

――14歳でモデル事務所に入ったのが、この世界に足を踏み入れるきっかけですよね?

神田当時の事務所の方がすごく熱心だったし、私もお洋服が好きだし、じゃあ、やってみようかなと。あと、私も親に上手いこと言ったんですよ。お仕事だからギャラがもらえるじゃないですか。バレエのトゥシューズを何足も履きつぶすので、親にトゥシューズくらい自分で買えるようになりたいって。親も、どうせすぐ飽きて辞めるだろうと思ってOK出したら、飽きるどころかどんどんお仕事が増えて。

「プロポーズされて嬉しいと思ったことは1回もない。悪魔のささやきです」それでも神田うの(48)が、結婚式を9回も挙げた“本当の理由”
 

――その後、モデルとして活躍しながら、数年後には事務所を移籍してバラエティやドラマ、タレント活動も始まっていきました。

神田この子、喋らせたら面白いって事務所が思ったようです。最初にフジテレビに連れて行かれた時は、「わぁーっ、初めてのテレビ局だ!」とドキドキでしたね。

そこからいきなり『オールナイトフジ・リターンズ』の司会をやることになったんです。19歳になったばかりでした。生放送だったけど、最初はどこのカメラを見ていいのかわからなくて。モデルのお仕事は一つのカメラしか見ないけど、テレビだと1カメ、2カメ、3カメ、4カメ、ハンディさんも足元から体をひねって撮ったりして。こんなにカメラがあって、どこ見たらいいの!って。

そしたら司会でご一緒だったヒロミさんが、「撮られているカメラには赤ランプが点くから、そこを向くんだよ」って教えてくれました。でもこっちが点いたら今度はあっち。パッパとスイッチングされるから始めは戸惑いましたね。

それと、自分が思ってることをテレビで喋るのも初めてでしたが、まぁ、それはすごいバッシングされましたけどね。『プチセブン』っていうティーン誌の専属モデルもやっていたんですけど、ファンの子たちから、「うのちゃん、こんな性格だと思いませんでした。ファン辞めます」みたいなのが小学館にいっぱい来たようですね。

バッシングをされたと理由

――なぜ、バッシングされたと思いますか?

神田気に入らなかったんじゃないですか?「うのでーす!」と出てきて、言いたい事を言うのがいけ好かない感じだったんじゃないですかね。

――テレビ局の人は、神田さんのトークにも魅力を感じて抜擢されたんですよね。

神田私お喋りなんで、好きなことをペラペラ喋ってた感じですけどね。どうやら視聴率が上がるらしく、視聴率女って言われてました。その番組が、終わると同時に他の番組でもレギュラーって感じで声が掛かって、もう一気に忙しくなりました。自分の意志とは関係なく、テレビに出たのですがまわりがワーッと騒がしくなってしまいました。

テレビのお仕事も楽しいのは楽しいんですよ。どんどんお友達ができるし、スタッフさんたちも優しいし。ただ、テレビを観ている視聴者の人たちから、なんだあいつ生意気な…、みたいに思われてたと思いますよ。何でもはっきりズバズバ言うし。

いきなり「サブちゃん!」と呼んだら周囲が…

――テレビの現場で物怖じするとか、緊張することはありましたか?

神田全くなかったです。そもそもあんまりテレビを観て育ってなかったので、テレビ業界のことも知らなくて。みんなが知ってるような大御所の方々も知らなくて、ちゃんづけで呼んだりして上の人がポカーンとしてることとかありましたね。北島三郎さんにいきなり「サブちゃん」とか言ったりして、周りの人が「えー!!」とびっくりして、「北島さん!北島さん!」と大慌てしてました(汗)。

――(笑)。大御所と言えば、タモリさんは知っていましたか?『笑っていいとも!』にも出演されていましたが…。

神田タモリさんは、知ってました。番組からしょっちゅう声を掛けて頂いて、途中からレギュラーで出させてもらって。新宿のアルタにもよく行ってました。

――『オールナイトフジ』から始まって、今まで印象に残っている番組はありますか?

神田たくさんありますね。木梨憲武バレエ団(『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』)とか。ノリちゃんともプライベートでも一緒に遊んでたから、プライベートとお仕事がもう一緒みたいな感じでした。当時は仕事を仕事と思ってないというか、遊びの延長みたいな感覚でしたから、今考えると本当に失礼だったかなって思うんですけど。

ニューヨーク帰りのデヴィ夫人に言われたひと言

――神田さんは仕事でもプライベートでも変わらなかったですか?

神田ほとんど変わらなかったですね。なんでもズケズケ言うタイプだったので。たぶん、そういうところがケンちゃん(美川憲一)も私のことをすごく好きになってくれて可愛がってくれてると思うんですけど。ケンちゃんは特に大御所だから、皆さん気も遣うと思いますが、私は、お洋服にしても、「ケンちゃんこれ似合わないよ。こっちの方がいいよ」って言うんです。

ケンちゃんも「うのは正直だから、うのに聞くわ」って色々聞いてきたりして。一緒に旅行に行ったり、本当に仲良くなって、一生の母であり姉でありというような存在ですね。

――美川さんに対しても、出会った当初から「ケンちゃん」と呼ばれていたのでしょうか。

神田ケンちゃんとは私が19歳のときに『なるほど!ザ・ワールド』で出会ったんですけど、話をしていてこの人の感覚好きだなって思いました。その時に美川さんから「ケンちゃんって呼んで」って言われたんですよね。それからずっと「ケンちゃん」です。

――たぶん、芸能界でもそう言える人が少なそうな感じもしますが…?

神田だからその後、デヴィ夫人がニューヨークから帰ってきたとき、デヴィ夫人とケンちゃんは仲良かったので、私が「ケンちゃん」って呼んでる姿を見て、「あら、こんな若い子が」って思われたようです。夫人はケンちゃんのこと、「美川さん」って呼ぶんですよ。「ケンちゃんって、ちょっとそんなこと言わせちゃダメよ」って。ケンちゃんは「いいのよあんた。私がケンちゃんって呼んでって言ったんだから」って夫人に言ってましたね。

「世界の一流ブランドを見たり着たり持ってたりするから、わかるんです」

――テレビで活躍されながら、ストッキングやウエディングドレスのデザインもされていきました。

神田デザインをするようになったきっかけは、はじめにグンゼさんのストッキングのコマーシャルを私がやらせてもらったんです。私はそのときのトレンドとか、自分が気に入った服を着ていないと気が済まないタイプの人間だったので、いつもお洒落な恰好をしていたんですね。

イタリアとかヨーロッパにもよく行っていて、柄のストッキングをたくさん買ったり、仕事現場にも穿いて行ったりして。そこでグンゼさんが、あ、この子いつもお洒落だから…って、「ストッキングのアドバイスをもらえませんか?」って。いくつかの足形とストッキングを持って来て、意見を聞かせてほしいと。

正直それらの柄ストッキングは、私の感性とはちょっと違うなって思ったので、たとえばこの花柄の部分をもっとこうした方がいいですよとか。同じストライプでも太い細いの強弱をつけたり、こういう柄だともっと素敵になりますよって描いて、教えてあげたんです。そしたらデザインもしてほしいと言われました。

長い歴史のある会社さんで、それまでナチュラルな感じのストッキングが多かった時代に。Tuche(トゥシェ)というブランドから「うのコレクション」として毎シーズン出していこうという話になっていったんです。CM契約からスタートしたグンゼさんとのお仕事でしたが、そこからデザイナーとしてのお仕事が始まりました。

――ストッキングはかなり売れましたよね。

神田当初300万売れたら大ヒットっていうところをいきなり初回で500万足売れたんですね。その後が800万足売れて、1,000万超えしちゃったんですよ。それでグンゼさんも大喜びで、「ありがとうございます!」と感謝され、さらにランジェリーもTucheUNOcollectionでやりたいと言われて、それも私がデザインすることになりました。

結局グンゼさんとは10年くらいの長いお付き合いで、私が妊娠してストッキングを穿けなくなるまで続きましたね。

――元々デザインをするのがお好きだったのですか?

神田子供のころから好きでした。バービー人形のお洋服を自分流にアレンジしたり。特にデザインの学校に行ったわけではないですけど、世界の一流ブランドを見たり着たり持っていたりするから感覚的にわかるんですよね。

その後、ウエディングドレスのクラウディアさんからもお声が掛かって。ここでもヒョウ柄のドレスを提案したら始めは難色を示されたんですけど、結果的にそれが断トツで一番売れましたね。

ケンちゃんに言われて建てた「パンスト御殿」

――2005年に青山にご自宅を建てられて「パンスト御殿」と話題になりました。

神田29歳のときですね。(美川)ケンちゃんに言われたんですよ。独身だったし、全く建てる気なんてサラッサラなかったんだけど、ケンちゃんに「あんた、家建てなさい」ってアドバイスされました。「マンションの家賃をずっと払ってるのももったいないし、こんなジャラジャラジャラジャラお金使わないで(笑)、若いうちに土地を買って家を建てなさい」って。ケンちゃんに言われたから、分かった、そうするねってことで。

――ところで結婚について。23歳でご主人様と出会い、31歳で婚約されて32歳で結婚されました。当時、プロポーズが50回あったと聞いています。

神田もっとあったかもしれない。100回くらいあったかもしれないけど、私、プロポーズされても気づかないときがあって。「僕の命をあげるね」って言われて、ワーイ!くれるんだって(笑)。「一生君に時間を捧げます」みたいなのも、やったー!働いてー。ワーイワーイみたいな(笑)。

――ご主人様とは、お友達期間が長かったと伺いました。

神田灯台下暗しというか。呼び出せば来るし、便利屋くん?じゃないけど(笑)。私は過去に婚約破棄をしたこともあって、彼はその様子もずーっとずーっと見ているし、私に結婚願望がないことも全部わかっていたんです。

今だから話せる「1度婚約を破棄したワケ」

――お付き合いされる前から、ずっと結婚願望がなかった?

神田全くなかったです。過去に違う人にプロポーズされたときも、プロポーズされて嬉しいって思ったことが1回もないんですよ。とうとうプロポーズされちゃったかって、悪魔のささやきにしか聞こえない。だって、独身で自由気ままにやって幸せだし、ストッキングもバンバン売れるし、デザインしてても楽しいし。結婚したら今の状況より幸せでいられなくなるというマイナスイメージしかなかったですね。

だけど、当時真面目にお付き合いしていた方からプロポーズされたときは、とうとうきちゃった…って思いながら断る理由もないし、特別嬉しいわけではないけど、私は頬骨骨折で入院して心が弱っていたし…。そのときに一応…、一応、婚約指輪を頂いて、「はい…」と。でも、今すぐじゃなくてちょっと様子をみようねって相手には言ったけど、時間が経ってもやっぱり結婚したいってならなかったんです。なんでここで結婚しないといけないのかなって。

(美川)ケンちゃんからも、いつまでも引き伸ばしてると可哀そうだから、きちっとお別れした方がいいわよって言われて。プロポーズされた1年後に指輪も返して、ちゃんとお別れしました。

――そういった経緯を見てきてもなお、旦那さんはプロポーズをされてきたと?

神田だからみんな、彼は頭いいよねって言ってます。作戦勝ちみたいな。「僕は結婚しなくてもいいんだよ」って言うんです。え?しなくてもいいの?って。「でも、一生そばにいるからね。だから結婚はしなくて大丈夫」って。あ、嬉しいな。彼は結婚したいだろうに、そうやって言ってくれてって。彼は、やり方がまっすぐじゃなくて、なーんか上手いんです。だからプロポーズって気付かなかったし。あとから、実はあのときプロポーズだったんだよ、何回も言ってるんだけどねって言われました。

「結婚式が趣味」で9回も挙げました

――当時「結婚式が趣味」という言葉も話題になりました。結局結婚式はトータルで8回行ったのですか?

神田9回です。はじめは明治神宮で和装して。あとは、グアム、ハワイ、サイパン、モルディブ、バリ、ケアンズとか。

――当初から何回かやる予定でしたか?

神田全くないです。1回目の明治神宮とニューオータニの披露宴は招待客が777人で、披露宴というか、「感謝祭」と呼んでいて、しっかり準備してやりましたけど。でも私の感覚では披露宴っていう感覚ではなかったですね。披露宴でウエディングドレスのファッションショーもやっているし、大きいファッションショーと盛大なパーティーって感じかな。

私のドレスが各国支店に置いてあって、海外で挙式をする方々が着てくださったりするんですね。ニューカレドニアとかハワイ、グアムにサイパンとか。それで、私もしょっちゅう海外に行くので、旅行気分で海外に行くならついでに自分のウエディングドレスで式もする?って感じで招待客も基本的にいないです。一緒に旅行に行ったお友達が参加するっていう感じのイベントでした。

でも娘が生まれると、そんな生活も変わりはじめました。

撮影佐藤亘/文藝春秋

「ブランド品80点も盗まれました」“総額1億円”の窃盗被害、3回の流産、そして夫の脳梗塞…神田うの(48)が味わった“どん底の日々”へ続く

(松永怜)

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