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「別の部屋で寝よう」榊原郁恵、夫・渡辺徹さんの最後の優しさに後悔

「別の部屋で寝よう」榊原郁恵、夫・渡辺徹さんの最後の優しさに後悔 (全2枚)

2022年11月28日に敗血症で亡くなった渡辺徹さん(享年61)。俳優として活動するほか、テレビ番組の司会を務めるなどタレントとしても活躍。その親しみやすい人柄は多くの人に愛され、23年3月28日に行われた「お別れの会」には親交のあった大勢の著名人が献花に訪れました。愛妻家としても知られた渡辺徹さんは、どんな夫であり父親だったのでしょうか。亡くなって半年、妻で女優の榊原郁恵さんと、長男で俳優の渡辺裕太さんにそれぞれ話を聞きました。(構成:丸山あかね撮影:大河内禎)

【写真】家族3人、夫婦は仲良く腕を組んで…

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時は進んでいくのに私の心は過去へ遡る

お別れ会の献花の時に流れていたのは、オルゴールの優しい音色が奏でる「カノン」でした。もう一度彼に会いたいという想いから私がリクエストした、夫婦の思い出の曲です。

20年以上も前のことですが、仕事で北海道へ行っていた渡辺が、「お前が好きだと言っていた『カノン』のオルゴールがあったから買ってきたよ」と手渡してくれました。本当のことを言うと、「『カノン』が好きだなんて言ったかしら?」と思ったのです(笑)。きっと何気なく口にしたのでしょう。

そんな些細なつぶやきをキャッチして覚えていてくれたことが嬉しかったのですが、あの時、ちゃんと「ありがとう」と伝えたかしら?と気がかりで……。なんだか私、後悔ばかりしている気がします。

冬を越えて、春が過ぎて、初夏を迎えたというのに、まだまだ気持ちに整理がついていないというのが正直なところです。うまく言えないのですが、時はどんどん前へ進んでいくのに、私の心は過去へと遡っているような、奇妙な感覚の中にいます。

たとえば、明日も仕事だから早く寝なくちゃと思って支度をしていたら、何かの拍子に「本当に彼はもういないのかしら?」なんて思い始め、そうなったらもう大変。あんなこともあった、こんなことも……と次々に断片的な記憶がよみがえってくるのです。

現在と過去を行ったり来たりすることにどんな意味があるのかわかりません。自分がどっぷりと哀しみに浸っているのか、少しずつ癒やされているのかさえも。でも今はどういうわけだか、2人で歩んだ軌跡を辿ってしまうのです。

芯が強くてブレなかった

私たちは、私が司会を務める歌番組で出会いました。彼は20歳の時にテレビドラマ『太陽にほえろ!』のラガー刑事役に抜擢され、翌年には歌手デビューして「約束」という歌が大ヒットしていたのです。当時から明るくて気取らない人でしたが、私は「なんだか軽そうな人だなぁ」と感じてしまって、初対面での印象は最悪でした。

でも縁というのは不思議なものですね。その後、ドラマで共演し、彼の底抜けの明るさは、人を楽しませたいというサービス精神から生まれているのだとわかり、それからというもの、急速に距離が縮まっていきました。

3年ほどの交際期間を経て結婚したのは、彼が26歳、私が28歳の時です。2年後に長男が生まれ、その7年後に次男に恵まれました。一言で言えば賑やかな家庭なのですが、とにかく渡辺も私も仕事が忙しくて、慌ただしく時が過ぎて行きましたね。

もちろん子どもの教育に関することなどは、その都度、話し合って決めていたのですが、夫婦として足並みが揃っていたかといったら、どうだったのかなぁと思ってしまいます。

たとえば私は、息子たちの前で夫婦喧嘩はしたくないと考えていましたが、主人は「親だって人間なのだから、どんな姿も見せるべき」という考えでした。どちらが正しいとは言えません。

でも私の中には自分のほうが年上だし、ついでに言えば芸能界のキャリアも長いのだからという妙な自負があって、「そうかもしれないね」と言えるだけの器がありませんでした。そういえば散歩する時も、いつも私が先を歩いていたんですよねぇ。彼を隣で、あるいは背後から見るということをしていなかったかもしれません。

結婚生活が長くなると、何でもわかっているような気になるし、何でもさらけ出しているような気もするけれど、それは錯覚だったのかもしれない。いつしか彼が「確かにお前の言うとおりだな」と口にするようになっていたのですが、本心からそう思っていたのかどうか、今となっては藪の中です。

彼は責任感のある頼もしい人でした。仕事がどんなに忙しくても、子どもの学校でPTAの役員を務めたり、お笑いライブ「徹★座」を主宰したり。目の前にいる人が本当は何を思っているのかを感じとることに長けていて、人をまとめるのが上手だったのです。

豪放磊落なようでいて繊細でしたね。それに芯が強くてブレなかった。一緒に過ごした日々を俯瞰して眺めれば、子どもの前ですべてさらけ出すのも、私の意見に合わせるのも、彼の強さのなせる業だったのではないかと思えてきます。

もっとも、こうしたことは彼がいなくなったから思うことで、元気でいたら、日々の忙しさに追われ続けていたことでしょう。誰だって死を迎えるのだから、いつかさよならする日が来るとわかっていたのに、そんなことは考えもしなかった。

特に渡辺は大きな病気を繰り返していたので、「もしかしたら……」という不安がなかったわけではありません。悪い予感を追い払いたくて、「まだまだ夫婦としての歩みは続く」とポジティブに捉えていた節もあるのです。

でももっとお互いの様子を観察して気遣えていたらと、今さらながらに思ってしまう。このやりきれない気持ちを乗り越えるには、少々時間がかかりそうです。

「別の部屋で寝よう」榊原郁恵、夫・渡辺徹さんの最後の優しさに後悔
「私の複雑な想いとは裏腹に、記憶の中の渡辺はいつも笑っています」

弱音は一度も聞いたことがない

思えば夫婦喧嘩の原因のほとんどが食事をめぐることだった、というのも、私たちらしいのかもしれませんね。渡辺は食べることが好きだったうえに、お料理番組にレギュラー出演したり、食レポをするような仕事が増えたことで、みるみるうちに太ってしまったのです。

ダイエットしなくちゃと言ってはいましたが、サービス精神旺盛な彼にとっては、簡単なことではありませんでした。お料理を作る人の気持ちを考えて完食する、というのが彼の流儀。

旅公演に出ればおつきあいもあって食べてしまうし、飲んでしまうし。周囲の人に気を使わせたくないということもあったと思います。

せめて家にいる時はと、栄養士の資格を持っている母に教わりながら、食事管理を心がけるようになりましたが、その頃から喧嘩が絶えなくなって。「こんな味の薄いもの食えるか!」「文句言わないで!」といった具合に。(笑)

渡辺はダイエットとリバウンドを繰り返しながらも、意欲的に仕事に取り組んでいました。大きな病に倒れたこともたびたびありましたけど、いつも不屈の精神で立ち上がり、仕事を再開して。「しんどい」とか「つらい」といった弱音は一度も聞いたことがないんです。傍らにいた私は、「この人は不死身だ」と思っていたほど。

戒名の一文字に込めた家族の想い

「心臓病とともに元気に生きる」をテーマにした秋田大学医療フォーラムに参加したのが、最後のお仕事になりました。彼らしいなぁと思います。自分の体験を、同じ病気で不安な思いをしている人のために役立てたいと、いつも話していましたので。

秋田の会場まで行ったものの熱があるということで、コロナの抗原検査の結果は陰性でしたが、念のため別室からリモート出演することになりました。帰京し、翌朝病院へ行ったところ、そのまま入院することに。その日の夕方に容体が急変した時も、きっとまた不死鳥のように蘇ってくれると、一縷の望みをかけていたのですけれど……。

家で過ごした最後の日に限って寝室を共にしなかったことが心残りでなりません。日中は別々に過ごしているのに、夜まで離れていたら夫婦でいる意味がわからなくなってしまうと、私は同じ部屋で寝ることにこだわっていたのです。とはいえ、新婚時代にはくっつけていたベッドを途中から離してはいましたが。(笑)

あの日は、コロナ禍でもあるし、大事をとって別の部屋で寝ようと提案されて。あれが彼からもらった最後の優しさでした。

なんて皮肉なのだろうという私の複雑な想いとは裏腹に、記憶の中の渡辺はいつも笑っています。戒名は「陽光院賢徳徹真居士」。菩提寺の住職さんがご家族で一文字だけ選べますと言ってくださり、息子たちと相談した結果、「陽」という字を選びました。『太陽にほえろ!』でデビューしたのだし、なにより太陽みたいに家族を照らしてくれたのだからと。

葬儀の前、生前、渡辺がお世話になった方々がわが家に集ってくださったのですが、さすがにみなさん、彼の大好物をご存じで。祭壇にはマヨネーズが特大サイズからチューブタイプのものまでズラリと並びました(笑)。大好きな人たちに囲まれ、笑顔に満ちた彼の人生は素晴らしいものだったと確信できて、心が温かくなりました。

実はまだお骨は家にあります。離れるのが寂しくて……もう少し一緒にいたいのです。「お線香なんて似合わないわねぇ」と語りかけながら、つくづく素直な人だったなぁと思います。遺影を見つめていると、「ありがとう」「嬉しいよ」という弾んだ声が聞こえてくるようです。

「好きだよ」も言ってくれたし、「愛してる」も言ってくれたのに、私はいつも「はいはいはい」とか言って照れながら逃げて、悪いことをしてしまいました。でも今なら私も素直に言えるのです。「めぐり合えてよかった。ありがとう」と。

「別の部屋で寝よう」榊原郁恵、夫・渡辺徹さんの最後の優しさに後悔 外部サイト 渡辺裕太「10年前に父・渡辺徹が心筋梗塞になった時から、会う時は大切に過ごそうと決めていた。仕事も結婚も気長に見守ってほしい」 渡辺徹子どもが家を出て、夫婦二人「なに話そうか」と思ったりして。夫婦というのはまた二人きりに戻るように神様がつくってくれているもの 渡辺徹結婚して初めてケンカした理由は「ウインナー」!?「俺はもう出ていく!」と言い放って向かった先は家の庭でした

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