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石川ひとみ「20代でB型肝炎を発症、誤解や偏見にも苦しんだ。膠原病や神経鞘腫、人工股関節の手術…病のおかげで、命は1人のものでないと気づいた」

石川ひとみ「20代でB型肝炎を発症、誤解や偏見にも苦しんだ。膠原病や神経鞘腫、人工股関節の手術…病のおかげで、命は1人のものでないと気づいた」 (全4枚)

今年でデビュー45周年を迎える歌手の石川ひとみさん。記念アルバム『笑顔の花』を7月19日に発売し、第一線で歌い続ける姿が、多くの人を勇気づけています。愛知県で生まれ育ち、80年代を代表するアイドルの1人として一時代を築いた石川さんですが、20代でB型肝炎を発症。療養期間を経て芸能活動を続ける中、近年では変形性股関節症や膠原病の治療とも向き合っているといいます――。(構成◎上田恵子)

【写真】「本当に感謝しています」お母様とのツーショット

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前編はこちら

心の目に映るのは、マイクの前に立って歌う自分の姿

1981年にリリースされた「まちぶせ」に出会う直前まで、思い描いていた歌手活動ができなかったため、もう歌手をやめようと考えていました。ただ当時の私は、やめた先の明確なビジョンを持っていなかったんですね。どうしたって心の目に映るのは、自分がマイクの前に立って歌っている姿だけだったので。

子どもの頃は「ピアノの先生もいいな〜」なんて言っていましたが、ピアノに対してそこまでの実力も情熱もないことは、自分が一番よくわかっていました。

そんな私が、歌手の次になりたかったのが犬のトリマー。もう昔から犬が大好きで。歌手として活動することが叶わないなら、一生わんちゃんと一緒に暮らしていける仕事をしたいと思っていたのです。と言いつつ、いま飼っているのは猫なんですけどね。(笑)

本当にあの時、「まちぶせ」に巡り合っていなかったらどうなっていたんだろうと思います。もしかしたら名古屋に帰ってトリマーの専門学校に通い、転職する未来もあったのかな?今となっては想像もつきませんが。

「まちぶせ」の作詞作曲をしてくださった松任谷由実さんとは、何年か後にコンサートやイベントの打ち上げでお会いする機会がありました。楽曲についてのお話もさせていただきましたが、とにかく感謝で胸がいっぱいで……。ユーミンさんがいなければ、あの曲も生まれていない。ありがたく思う気持ちは当時も今も変わりません。

体のだるさは、心の弱さではなくB型肝炎のせい

「これ以上、歌手を続けていくのは難しいのかも……」ということは、病気になった時にも考えました。1987年、27歳の時です。

ちょうど初のミュージカル出演を控え、稽古に追われている時期でした。その少し前に頭痛か何かで病院にかかった際、血液検査で医師から「あなたはB型肝炎のキャリアですね」と告げられていたんです。また「今はなんともないけど、できれば定期的に肝臓の数値をチェックしておくこと。それと、ケガをした時に他の人に血がつかないよう気を付けてください。この病気は血液で感染しますから」とも。B型肝炎という病名を聞いたのは、その時が初めてでした。

その後、ミュージカルの稽古が始まり、私も他の出演者の方々と一緒に歌ったりダンスをしたりしていたのですが、いつまでも疲れが抜けなくて。朝起きるのもつらいし、出かけるのもだるくてつらい。ひどく体が重く、食欲もない。他の皆さんは毎日元気に稽古に打ち込んでいるのに、なぜ私だけこんなにつらいのか……。

最初は精神力の問題だと思っていました。認めたくはないけれど、舞台のプレッシャーに負けているんだ、心が弱いんだって。こんなんじゃダメだよ自分、とずっと思っていたんです。でもそんなストレスがいけなかったのか、ある日めまいで倒れてしまって。担ぎ込まれた病院で一泊することになった際、「そういえば定期的に血液検査をするよう言われていたっけ」と思い出し、「すみませんがついでに」とお願いしたんですね。

すると後日、事務所に「再検査の必要があります」と電話がきて、仕事の合間に再度検査を受けることに。そこでようやく「B型肝炎を発症しています。即入院です」と診断されたのです。尋常ではない体のだるさは、私の心が弱かったからではなくB型肝炎のせいだったんですね。

それでも私はのん気に「いえいえ、10日後にはミュージカルの幕が開くので…」なんて言っていたのですが、医師に「仕事と命、どちらが大事ですか!」と言われて観念するしかありませんでした。急遽、舞台をキャンセルして入院することになりました。

石川ひとみ「20代でB型肝炎を発症、誤解や偏見にも苦しんだ。膠原病や神経鞘腫、人工股関節の手術…病のおかげで、命は1人のものでないと気づいた」
「血液検査で医師から『あなたはB型肝炎のキャリアですね』と告げられていたんです」(提供:テイチクエンタテインメント)

なぜ私は、病院で点滴なんか打ってるの?

舞台を降板するにあたっては、関係者の皆さまに大変なご迷惑をおかけしました。すべて事務所のスタッフが対応してくれましたが、私には一切知らせずに動いてくれたため、私は舞台降板が報道されたことすら知らなかったのです。

病状は深刻だったものの、当の私自身にそこまでの自覚はなく。入院当日も「今のうちに買っておこう」と、病院の売店で雑誌やお菓子などを買いこんで部屋に戻ってきたら、看護師さんに「何やってるんですか!あなたは絶対安静なんですよ!?病室から一歩も出ないでください!」と叱られて。とにかく動いたり、何かに集中したり、疲れることは一切しちゃダメなんです。だから雑誌やテレビもおすすめできないと。点滴を打ちながら、ボーッとベッドで寝ているしかない。

健康なら「退屈じゃない?」と思いますが、その時の私にはそれがちょうど良かった。やっぱり舞台の稽古で、相当疲労がたまっていたんですね。体が鉛のように重く、だるかったので、面会すらできない状況にあっても、退屈という意識はありませんでした。

唯一気になったのが、病室の壁にあるカレンダーです。日付を見ながら「今日は公演初日かあ。なぜ私は、独りで点滴なんか打ってるんだろう?本当なら素敵な衣装を着て、お客様の前でミュージカルを披露していたはずなのに……」とグルグル考えてしまって。看護師さんに、「申し訳ないですが外してください」と言って撤去してもらいました。

入院は40日に及び、退院直前になってようやく車いすでのお散歩が許可されました。退院してからも週に一度のペースで通院。お散歩も「今週は10分、検査の結果が良ければ翌週は20分、悪くなったら、また少し減らしていきましょう」という感じで、一歩進んで二歩下がるような状態でした。その後は1年間自宅で療養し、徐々に仕事にも復帰。現在まで体調は安定していますがウィルスはなくならないので、引き続き定期的に検査を受けています。

命は自分一人だけのものではない

B型肝炎を発症してからは、もちろんつらいことがたくさんありましたが、いつしか「それを経験したことは私の栄養になっていたんだな」と考えられるようになりました。今では「この経験は、自分の人生に無くてはならないものだったのだろう。きっとそういう時期だったんだ」と思っています。

自分が病気になった時に、案じてくれている家族がいる。自分を大事にするということは、家族を大事にすることでもある。命は自分一人だけのものではないのだ、ということにも気づけました。具合が悪いからといって投げやりになるのは一番良くないこと。自分が逆の立場になったら、ものすごい心労があるはずですしね。そして自分が優しくしてもらったぶん、人にも優しくしてあげたい――。そんなふうに思えるようになったのは、間違いなく病気を経験したからです。

石川ひとみ「20代でB型肝炎を発症、誤解や偏見にも苦しんだ。膠原病や神経鞘腫、人工股関節の手術…病のおかげで、命は1人のものでないと気づいた」
「『この経験は、自分の人生に無くてはならないものだったのだろう。きっとそういう時期だったんだ』と思っています」(提供:テイチクエンタテインメント)

療養を終えた数年後には、「私が体験をお話しすることで、少しでもB型肝炎に対する誤解や偏見がなくなれば」と、闘病について記した本を出版。それがきっかけになり、講演会などもさせていただきました。

「子どもたちに病気がうつるといけないから、一緒のプールに入らないで!」と言われたこともありましたが、B型肝炎は一緒に泳いでもうつることはありません。私の闘病について書かれた記事で、初めてB型肝炎という病名を知ったという声もありました。病気のおかげで、私も本当にたくさんのことを学ばせてもらっています。

変形性股関節症、副甲状腺腫瘍が見つかって

おかげさまでB型肝炎自体は落ち着いているのですが、年齢を重ねるにつれ、体のあちこちに肝炎とは関係のない不調が出てきました。たとえば変形性股関節症。もう10年以上前からだましだまし生活してきたものの、ある日道を歩いている時に動けなくなり、昨年10月、コンサートを終えた直後に右足に人工股関節を入れる手術をしました。

けれど術後のリハビリが順調に進んでいた矢先、突然の痛みで歩けなくなってしまって。ちょうど手術から10日が過ぎた頃でした。最初は10日ほど入院すればリハビリを経て退院できると言われていたので、「じゃあ12月にはライブができるわね!」なんて思っていたのですが、それどころではありません。

レントゲンを撮ってもなんともなく、どうやら筋肉の問題らしいことが判明。おそらく痛いところをかばって、変な歩き方をしていたせいでしょう。2週間で退院はしたものの、自然に痛みがひくのを待つしかなく、普通に歩けるようになるまで半年近くかかってしまいました。

病気自慢のように受け取ってもらいたくはないのですが、ほかにも疾患を抱えています。今年の3月には副甲状腺に腫瘍が、そして骨盤の内側に神経鞘腫(しんけいしょうしゅ)が見つかりました。2012年には、膠原病(シェーグレン症候群)も発症しています。

石川ひとみ「20代でB型肝炎を発症、誤解や偏見にも苦しんだ。膠原病や神経鞘腫、人工股関節の手術…病のおかげで、命は1人のものでないと気づいた」
「自分が病気になった時に、案じてくれている家族がいる。自分を大事にするということは、家族を大事にすることでもある」(提供:テイチクエンタテインメント)

実は、副甲状腺の腫瘍はたまたま見つかったもの。私は人工股関節を入れていますし、骨粗しょう症になった知人もいるので、念のために骨密度の検査をしてもらったんですね。そしたら「ちょっと気になることがあります。もう少し詳しく検査をしてみましょう」と言われ、見つかったんです。本当に偶然のたまもので。ただ私は現在歯の治療中であるため、薬との兼ね合いでそちらが終わり次第、甲状腺の治療を開始することになっています。

神経鞘腫については、随分前から毎日のように左足が痛かったのは、それが原因の可能性があることがわかりました。とはいえ場所的に手術できるものではないそうなので、このまま付き合っていくしかないのかなと思っています。

膠原病も、最初は手の指がパンパンに腫れているとしか認識していませんでした。原因が分からなかったのでとりあえず病院に行き、血液検査をしたときに判明したんです。手の腫れの他にも、唾液を作るところに炎症が起き、唾液が出なくてのどがすごく乾いてしまったり、身体のいろいろな部分が痛くなったりもして。この病もB型肝炎と同じく、完治することはありませんが、今は薬で対処できています。

できないことを数えるのではなく、今の自分ができることをやろう

あちこちに不調が出て満身創痍の私ですが、それでも元気にコンサートをしたり、アルバムを出したりしています。そんな私を見て「ああ、自分も大丈夫。まだまだやれるわ!」と思っていただけたら、頑張っている甲斐があるというものです。(笑)

私も痛みで歩けない時は落ち込みますし、時には絶望感に潰されそうにもなります。B型肝炎を発症した際も「なぜ私なの?」「どうして今!?」とネガティブな思いばかり感じていました。

でも、なってしまったものは仕方ない。時間はかかりましたが、徐々に現状を受け入れ「自分なりにできることをやればいいじゃないか」と思えるようになってきたんですよね。できないことを数えるのではなく、今の自分ができることをやろうと。

人間、当たり前のように「明日は普通にやって来る」と思ってしまいますが、実際はそうじゃない。明日なんて本当に来るかどうかわからないし、コロナ禍の今は特にそうです。だからこそいつまでも後ろを向いていないで、今日できることを精一杯やることが大事なのではないか、と思うのです。

私は父をかなり前に亡くし、6年ほど前に5歳上の兄を、4年前には母を93歳で見送りました。子どもの頃に着ていた洋服は基本母の手作りで、美味しい料理もたくさん作ってくれて。既製服を着たことも、外食をしたこともほとんどなかったです。

小学生の頃、母が体調を崩したことがありました。後から聞いたら、肝臓の不調が原因だったらしいので、今思えば母もB型肝炎で、私の発症も母子感染だったのでしょうね。病気をしたりいろいろ大変な中、育ててくれたんだなと本当に感謝しています。

私は今、夫と猫と暮らしています。公私ともに支えてくれる夫には心から感謝しています。いろいろ心配もかけているなか、何でも話せる相手がいるのは本当に幸せなこと。健康な方もそうでない方も、つらい時、悲しい時、痛みがある時に、一人でもいいのでその気持ちを打ち明けられる、分かち合える人がいるといいですよね。そういう相手がいないという方には、福祉保健センターや「いのちの電話」のような相談窓口もあります。自分だけで抱え込まず、誰かに打ち明けることで心をフラットに保つことが健やかに生きる秘訣なのだと思います。

石川ひとみ「20代でB型肝炎を発症、誤解や偏見にも苦しんだ。膠原病や神経鞘腫、人工股関節の手術…病のおかげで、命は1人のものでないと気づいた」 外部サイト 石川ひとみ「親の反対を押し切って上京、『まちぶせ』を最後に辞めるつもりだった。今年でデビュー45周年、まだまだ歌手としては通過点」 五木ひろし「芸能生活60年目に突入!働きづめだった母を楽にしたくて。酒も飲まず、いつチャンスが来てもいいように準備をしていた」 ジブリで歌手人生が激変…井上あずみ「〈ラピュタ〉〈トトロ〉を歌ってもバイトの日々。紆余曲折のデビューから40年。〈あと一歩でうまくいかない〉歌手生活だった」

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