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ヒット曲ゼロ、田舎の金沢に帰ろうとしていた時期も…「夢グループに所属したことで人生が変わった」美人歌手・保科有里の逆転人生

「社長〜!」「安くして〜!」など夢グループ社長に合いの手をかけるCMで突如ブレイクした歌手の保科有里さん。今ではCM活動やコンサート、テレビ出演などで全国を忙しく駆け回る彼女だが、若かりし頃はヒット曲にも恵まれず、田舎に帰ることを考えていたことも……。

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彼女が夢グループに所属してブレイクできた理由を初の自伝『愛人!?困っちゃう・・・』(山中企画)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)

ヒット曲ゼロ、田舎の金沢に帰ろうとしていた時期も…「夢グループに所属したことで人生が変わった」美人歌手・保科有里の逆転人生
歌手・保科有里さんと「夢グループ」石田社長との出会いのきっかけとは?(画像:「夢グループ」提供)

◆◆◆

ちっともドラマチックじゃなかった社長と私の出会い

やっぱり、最初に私と石田社長との「関係」についてお話しなくてはいけませんね。CMのせいでしょうか、私と社長が「愛人関係」と思ってらっしゃる方だけじゃなくて、「夫婦」とか、漫才やコントの「コンビ」だと誤解してらっしゃる方もいるみたい。

違うんですよ。いえ、「コンビ」って言われたら、ちょっとそういうところはあるかもしれませんけど。

私がデビューしたのは1993年。でも、なかなか売れませんでした。デビュー10年経ってシングルCDも5枚、出していたんですが、ヒットに結びつかない。もうこのまま東京にいても仕方ないから、故郷の金沢に帰ってしまおうか、と考えていた時期が続きました。

今はなくなっているんですが、1997年頃から、品川駅前にあったホテルパシフィックの30階のラウンジで、月に1度歌っていました。一晩で45分が3回。

100人くらい入る会場はほぼ満席。でも照明は暗くしているので、お客様の顔はよくわかりません。歌ったのはカーペンターズやジャズなど外国の歌やポップス、日本の曲なら、山口百恵さんやテレサ・テンさんの歌とか。あくまでお酒を飲むのがメインなので、それを邪魔しないように、しっとりとしたムーディーな雰囲気を作るのが役目でした。

その日、実は前もって、レコーディングで何度もお世話になった塩入さんというレコードディレクターの方に、「キミを所属にさせてくれるかもしれない会社の社長を呼んである」と聞かされていました。

でも「どうせダメだろうな」とあんまり期待してませんでした。以前にも所属していた事務所はいくつかあったんですが、どうしてもヒット曲がないとなかなか続かないんですよね。その時はフリーで、事務所探しもうまくいっていませんでしたので、塩入さんにお願いをしていました。

エンディングで歌いながら会場を回って、後方にいた石田社長にも挨拶にうかがったんです。第一印象は「体の大きい人だな」くらい。暗くて顔もよく見えなかったし。

それで握手して、「よろしくお願いします」って言っちゃったんです。そしたら社長、「はい」って答えてくださって。他にも2人、候補だった歌手がいたのに、塩入さんに、「はいって言っちゃったから、彼女を選びます。他の人とは会わなくていいです」と言われたそうです。順番が違ってたらと思うとぞっとします。これが「運」と「縁」なんですね。

だって、海外の貿易の仕事でよくアジアに行かれて、フィリピンなどで明るく賑やかなステージばかり体験されていた社長には、私の歌は「やる気があるのかなぁ…」と魅力は感じなかったそうなんです。お酒を飲んだから帰ろうとしてた時に私と握手してからの「はい!」。

出会いはそんな感じでした。

社長に甘えるなんて、一度だってなかった!

なぜ私が夢グループに入れたのか?その頃、すでに会社は狩人さんや三善英史さんが所属していて芸能プロダクションの活動は始めていて、男性ばかりなので女性歌手も入れておきたいくらいのものだったんだと思います。最初の頃は「歌手」として活動することは少なく、自分なりにキャンペーンをしていました。

夢グループ自体、所属の歌手の方はいましたが、オフィスに行ったら、ポスターも何も貼ってない。商品を積んだ段ボールがいっぱいあったりして、完全に通販会社。それはそうですよね、通販業務がメインの会社なんですから。

社長も、入ってすぐに私が新曲を出したので、発表会だけはお祝いとして、赤字覚悟で、六本木の、200人は入れる会場でディナーライブを開いてくれました。あとは、特に力を入れてくださるということはしばらくなかったです。

名古屋で開いた私のコンサートでは集客が心配だったので、開演前に、一般の方にもステージに上がって頂き、私の曲をカラオケで歌うコーナーを作ったんです。15人くらいの方に歌って頂くかわりに、一人5枚ずつチケットを買ってもらうって。この私のアイデアを、社長は、「それ、おもしろいね」って言っただけ。手助けはほとんどしてくれなかったですね。

私も入ったばかりでお願い事はしづらかったのもあるけど、そもそも私は、人に甘えたりするのが苦手な「甘えベタ」なんです。甘えたことがないから、CMで「安くして〜!」なんて甘えた声を出すと棒読みになっちゃうし、見ている皆さんに、「わざとらしい」って思われちゃったりする。

しかも、これまでの人生の中で、値切るということは恥ずかしくてできませんでしたから。つまりテレビのCMでは、本来の私とまったく逆のことをやっているわけですね。

これまで所属していた事務所では、マネージャーの方に付いて頂いたこともありましたよ。でも、なぜかどの方もみんな厳しくて、「自分でやれることは自分でしなさい」と言われてきました。

だからデビューしてからずっと、ライブやコンサートを開くのでも、集客からチケット代の管理、お客様の席決めもすべて、私がやらざるを得ませんでした。たとえば前の方のお席が好きなお客様には前もって電話して、「今回は少し後方になってしまいました。申し訳ありません」って謝っておいたり。

他の方に頼んでも、謝るのは私ですから、自分でやって自分で責任を持とうって思っていました。

夢グループに入ってすぐは、社長とお話するチャンスもほとんどなかった。「仕事ください」なんて口が裂けても言えませんし、社長もとても忙しくて、私の話なんか聞いてくれるヒマ、なかったですもん。

「大丈夫、大丈夫」って社長は言うけど…

2010年くらいからかな。社長がコンサートに力を入れ始めて、どんどんスターの方が夢グループに入ってくるようになったんです。それまで狩人さんと三善英史さん、私くらいだったのが、チェリッシュさん、千昌夫さん、それに松方弘樹さんや小林旭さんのような大御所の方々が「夢グループ所属」になりました。

マイクの中にカラオケが内蔵されたがヒットして、夢グループは音楽関連の会社、というイメージが強くなっていた頃でした。だからミュージシャンの方が増えてくるのも、あまり違和感はなかったかな。

社長はもうイケイケです。もともと、若い頃には、歌手を夢見てテレビの『スター誕生!』に応募したくらいの歌好き。かつての憧れのスターたちを集めてコンサートをやるのが楽しくて仕方ない。またそれを通販事業の方にも結び付けていくわけです。

それでようやく私に来た、社長お声がかりの仕事が「歌」ではなくて、「CM」でした。しかも、最初は、あの松方弘樹さんと共演でパジャマやピンクのブルゾンなどのシルク製品を売るという。

 

緊張で固まりました。無名の歌手があんな大スターの方といきなりご一緒させて頂いて。別に私が特別、社長に目をかけられていたとかでは、ぜんぜんなかったんですよ。なのにいきなりですから。私で大丈夫なのかしらと不安しかありませんでした。

でも後になってわかりました。松方さんでCMを作りたいけど、横に女性がいた方がいい。ちょうど保科有里が社員として会社にいる。ギャラを別に払う必要もないし、そんなに仕事も忙しくなさそうだから、やらせてみよう、そんな感覚のようでした。

同じ2012年頃です。社長は「夢コンサート」をスタートさせました。ただ、今の夢コンサートとはメンバーはだいぶ違うんです。小林旭さんや松方さん、それに島倉千代子さん、新沼謙治さん。チェリッシュさんも参加されてました。山本リンダさんや黒沢年雄さんもいらっしゃいましたね。

「社長はいつもそうなんです…」

そこにまた、なぜか私もまぜて頂いたのです。ありがたいですよ。皆さん、たくさんのビッグヒットをもつスターの方ばかり。その中で、1曲といえども、私が歌わせて頂くんですから。社長からしたら、一人人くらいは夢コンサートをきっかけにスターになっていく人間を作りたかったんだと思います。

しかも歌だけではなく、司会の仕事も任されるようになりました。社長は、「曲名を紹介するくらいだから大丈夫」なんて言ってたけど、そう簡単にはいかないって!もしお名前や曲名を間違えたら大変なことになります。

社長はいつもそうなんです。「大丈夫、大丈夫」って。言われた方はちっとも大丈夫じゃないのに…。でもそれも今はずいぶん慣れてきて、先輩の方々とのコミュニケーションのひとつになったことは間違いないと思っています。

〈「コンサートの格が下がる」「社長の愛人だから優遇されるんだ」と言われたことも…夢グループCMでブレイクした保科有里が語った「社長との“本当の関係”」〉へ続く

(保科有里/Webオリジナル(外部転載))

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