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86歳でアコンカグアへ挑戦した三浦雄一郎 少し前まで「要介護4」だった

86歳でアコンカグアへ挑戦した三浦雄一郎 少し前まで「要介護4」だった (全2枚)

「国民生活基礎調査」(2019年)によれば、要介護認定を受けた世帯数は増えており、構成割合として「要介護4」はそのうち7.5%となっています。要介護4は、介助なしで立ったり歩いたりするのが難しい状態を指しますが、70歳を過ぎてから三度のエベレスト登頂や、86歳でアコンカグア登頂挑戦をしてきた冒険家・三浦雄一郎さんも、少し前まで「要介護4」の状況にあったそう。リハビリを続けるなか、91歳の三浦さんが目指す《次の冒険のステージ》とは――

【写真】懸命にリハビリに励む三浦さん

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難病に倒れて身体の自由を失い

新型コロナの感染拡大はますます深刻になり、テレビでは連日連夜、そのことを時間をかけて伝えていた。

2020年6月3日の明け方のことだ。苦しさに目が覚めた私は、下半身の痺(しび)れで身体を動かせないことを自覚する。

病気の経験は人並み以上にある私だがこんなことは初めてだ。自分の身体に何が起こったのか、さっぱりわからなかった。ただ、深刻な事態であることは理解できた。

その頃、脳梗塞から1年後の検診に付き添うため、札幌にある私の自宅に泊まりに来ていた息子の豪太に呼びかけ、状況を知らせた。

救急車で病院に搬送された私は、いくつかの精密検査を受けた結果「頸髄(けいずい)硬膜外血腫」と診断される。

頸髄とは首にある、手指、腕を司る神経だ。その頸髄の膜が破れ、流れた血が血栓となり神経を圧迫しているようなのだ。

苦しく、つらかったこと以外はあまり覚えていない。

頸髄硬膜外血腫は100万人に1人という珍しいもので、例が少ないだけにわかっていないことも多いらしい。100万人に1人とは、宝くじに当たるような確率だが、そんな冗談を言っている場合ではなかった。血腫を取り除く緊急手術を受け、そのまま入院生活となった。

こうして、私の新しい挑戦が始まった。

絶望の淵に立ち、人生で初めて弱音を吐いた日

私のような年齢で頸髄(けいずい)硬膜外血腫を患った場合、完全にもとの状態に戻れない可能性があるとのことだった。もう歩けないだろうと。

とにかく手足が動かない。痺れと痛みがひどい。

2020年6月、世の中では外出自粛が叫ばれていたようだが、私は外出したくてもできなかった。身体に力がまったく入らず、ステイホームせざるを得なかったのだ。

子どもの頃から野山を駆けずり回るのが好きで、大人になると《冒険家》と名乗り、世界の山々に登り、雪の上をスキーで滑ってきた。そんな私が、人生で最悪のコンディションに陥った。

手術後、私は妻に激励されると、このように答えた。「頑張りようがないんだ」。確かにそれは本音だった。身体が思うように動かないことで「頑張りようがない」という言葉が出てきたのだ。だが、ネガティブな気持ちでいた期間は短かった。

少し時間が経って、微かではあるが最悪の状態を脱した感じがした。回復の兆しを実感したのだ。この小さな小さな一歩が力に変わってきた。自分のなかに芽生えた、「ここからまた前進したい」という思いがゆっくりと成長していく、そのような状態だった

「リハビリ次第」なら、できることを全部やろう

入院してから10日間ぐらいは右半身の状態がよくなかったが、徐々に右手右足も動くようになった。そんな頃、子どもたちがリハビリの長期的なプランを練ってくれていた。少しでももとの状態に近づけようと前向きに取り組んでくれた。

私はこれまで、自分が進むべき道は自分で決めてきた。しかし、86歳で登頂挑戦をしたアンデス山脈にある南米最高峰の山・アコンカグアでは、健康管理をゆだねていた豪太や大城先生の進言により下山を決めた。それは、私がふたりを信頼していたからである。

86歳でアコンカグアへ挑戦した三浦雄一郎 少し前まで「要介護4」だった
『諦めない心、ゆだねる勇気老いに親しむレシピ』(著:三浦雄一郎、三浦豪太/主婦と生活社)

あれが、高齢の私がさらに前に進むための分岐点だったのかもしれない。

そして、頸髄硬膜外血腫に倒れた87歳の私は、子どもたちや周囲の人たちに多くをゆだねた。

我が家のホームドクターであり、スポーツ整形外科の第一人者であるNTT東日本札幌病院(以下:NTT病院)の井上雅之先生をはじめ、信頼できる人にゆだねつつ、自分自身が前向きに頑張れば、再び立ち上がり、また歩いていくことができると信じていた。

ドクターは「リハビリ次第」だという。ならば諦めずにリハビリに励もう。今の状態をなんとか脱して、ともかく富士山にでも登れるぐらいに復活したい。一方で、歩くことはおろか、立つこともできない状態で、回復までは相当長くかかるのだろうという覚悟もあった。長い時間、この状態と向き合う必要があるのだろう。

長丁場になってもいい。とにかく、できることはすべてやっていこうと決めた。

「起き上がること」「歩くこと」が最大の目標に

リハビリにやる気十分だった私だが、やはり頸髄硬膜外血腫というのは甘い相手ではなかった。

手の指先の感覚、足の感覚はしばらくなかった。足に力が入らない。動かすことはできるが歩くことができない。また、上半身を90度曲げることができないのも堪(こた)えた。

寝ている姿勢から起き上がることができない状態は1か月半程度は続いただろうか。

1年半ほど前には標高6961mのアコンカグアに挑戦した私だったが、そのときは「起き上がること」「歩くこと」が最大の目標となった。

コロナ禍もあり、家族に会えなかったり、病院から抜け出すことができなかったり、まあ状況はそれなりに厳しい時期であったかもしれない。

しかし、この先、自分で歩けるようになれば、いろいろとやりたいことがある。再び歩けるようになるという可能性を心から楽しみ、期待した。

そんな思いがリハビリを頑張る活力の源になった。「可能性」を楽しむことで、コロナの状況はあまり苦にはならなかった。

介護を通じてまた新たなスタートを

リハビリには、札幌の北東、美唄(びばい)市にある北海道せき損センターの環境がベストだということで、子どもたちがそこに移る段取りを進めてくれた。

ただ、ここでひとつの壁があった。北海道せき損センターが私を受け入れるには、心臓の状態に不安が残るので、ペースメーカーを埋める必要が生まれたのだ。

そこで、7月に大野病院に戻りペースメーカー手術を受けた。不整脈を患い、心臓手術歴は人一倍豊富な私だが、ペースメーカーを埋めることには抵抗があった。自分の身体のなかに機械を入れるというのは想像ができなかった。

しかし、いざ手術を受けてみると、なんだか、我が心臓が普通の自転車から電動アシスト自転車になったような気分になった。ものは考えようなのだ。

8月に北海道せき損センターでのリハビリに励んだ私は、9月にはNTT病院に移り、日常生活に戻るためのリハビリを強化し、11月には仕事に復帰した。といっても、病院から外に出たのではない。オンラインで講演をしたのだ。

2020年は、リモートワーク、テレワークが推奨された年である。便利な世の中になったもので、会社に行かなくても自宅で仕事ができるようなったらしい。

頸髄硬膜外血腫で倒れてから5か月。私は文明の進化により入院中に講演することができた。仕事復帰できたことは大きな自信となった。

その後はNTT病院から有料老人ホームらくら宮の森(以下:「らくら」)に移り、12月には連日のようにリハビリを重ねた。これは社会復帰に向けての一時的な手段であり、終の棲家として老人ホームを選んだのではなかった。

そのとき、私は5段階ある要介護度のうち、上から2番めに重い《要介護4》に認定された。

だが、介護を受けることにまったく抵抗はなかった。むしろ、ありがたく思った。

自分の能力や行動範囲がどんどん小さくなってしまったが、介護を通じてまた新たなスタートをきることができる。要介護の状態とは、「なにかをやってみよう」という希望につながるものだと考えたのだ。

※本稿は、『諦めない心、ゆだねる勇気老いに親しむレシピ』(主婦と生活社)の一部を再編集したものです。

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