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16歳で初グラビア、「ぽっちゃり系」の先駆者に…磯山さやか40歳の「ひたむきな生き方」とは

きょう10月23日、タレント・俳優の磯山さやかが40歳の誕生日を迎えた。2000年に高校2年でグラビアアイドルとしてデビューして以来、いまなおこの方面でも活動を続けており、今月20日には新たに撮り下ろした6年ぶりの写真集『andmore』(講談社)が発売されたばかりである。

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デビューのきっかけは、ホリプロスカウトキャラバンの2次審査に落ちた帰り道、その後所属する事務所のマネージャーに声をかけられたことだった。初仕事は、新人グラビアアイドルを紹介する1ページの水着グラビアで、掲載誌が17歳の誕生日の前日、10月22日に発売されたので、本人はその日をデビュー日としている。

16歳で初グラビア、「ぽっちゃり系」の先駆者に…磯山さやか40歳の「ひたむきな生き方」とは
©時事通信社

もともと胸が大きいのがコンプレックスだったので、グラビアでデビューするのはとにかく恥ずかしくて、見られるのがいやでしかたがなかったらしい。それでも3年目ぐらいにはファンも増えてきて、写真集の発売記念イベントのたびに褒められるようになり、今後も喜んでもらえるよう、グラビアの仕事を頑張ろうと決めたという。

茨城県の実家から通勤していた

デビューしてからも数年間は、茨城県鉾田市の実家から東京の仕事場に通い、地元の高校では硬式野球部のマネジャーを務めていた。当時を振り返り、《野球部員の皆さんやクラスの男子は私のグラビアを見ているはずなのに、何も言ってこない。それが逆に恥ずかしいというか、むず痒いというか(笑)。ある意味、放っておいてくれたから、学校とお仕事の切り替えがうまくいきました》と語る(『FLASH』2020年11月3日号)。

高校で野球部のマネジャーになったのは、テレビアニメ『タッチ』を再放送で見て、野球部のマネジャーを務めるヒロイン・浅倉南に憧れたから。デビュー時も芸名を「浅倉さやか」か「磯山南」にするか事務所の人と話し合ったほどであった。

浅倉南はマネジャーと新体操部をかけもちしていたが、磯山に言わせると《部活のかけもちなんて絶対無理なくらい忙しかった》(『ダ・ヴィンチ』2012年12月号)。そもそもスカウトキャラバンに挑戦したのも、学校と部活で忙しすぎる毎日のストレスの発散のためだった。単に忙しいだけでなく、《監督と部員の板挟みにあうし、保護者の方にも気を配らなきゃいけない。練習を手伝いながら「なぜ人のためにこんなに働いているんだろう」と何度も思いました》という(『週刊朝日』2015年8月7日号)。

高校最後の野球部の試合はドラマの撮影で行けなかったものの、それでも《やり遂げられたことは自信になっています》と振り返る(前掲)。「やり遂げる」ということは、その後も彼女にとってモチベーションになっているようだ。

1ヶ月半で−30cmのダイエット

2009年にラテン系腰振りエクササイズ「コアリズム」によるダイエット企画に挑戦したときもそうだった。それまでの彼女は、グラビアでは“ぽっちゃり系”で人気を集めていただけに、企画をオファーされたときは、やせる必要はないんじゃないかと思ったという。そのため最後の最後までダイエットはいやだと言い張ったのだが、結局、説得されて取り組むことになる。それからというもの、約1ヶ月半をかけてエクササイズに励み、目標の二の腕・太もも・お尻・ウエストの合計−30cmを達成した。

《何とかやり通せたのは、一部の『どうせ続けられないだろう』という声を絶対に見返してやりたかったんです。どうだ、見たか、ちゃんとやり遂げたぞって、胸を張りたかったんです。まあでも、結果的にはやってよかったんですけどね。女性誌でも取り上げられるようになったし、仕事の幅も広がってきましたし》(『アサヒ芸能』2009年12月17日号)

ダイエットの成功で、女性のあいだでは「磯山さんのボディはダイエットしてもほどよく女性の肉感を残しているからすばらしい」などと評判が上がった。それでも、男性ファンからは「早く前の体型に戻ってくれ」の大合唱となる。彼女自身、ダイエット後のインタビューでは、《まあ、これ以上、やせるつもりはないんですけどね。極端にやせてしまうと、顔が老けちゃうし。少しポヨッとしているほうが、私らしいと思うんです》と(前掲)、この体型こそ自分の個性だと再確認した。

それ以前から、女性誌でも彼女のぽっちゃり体型は好意的にとりあげられていた。グラビアアイドルの世界も、それまでスレンダー系が主流だったのが、磯山のダイエット企画から数年後には、ぽっちゃりブームがやって来たという。

師匠・志村けんが認めた「長所」

デビュー当初よりテレビのバラエティでも活動してきた。とりわけ志村けんとの出会いは大きく、『志村けんのバカ殿様』や『志村でナイト』のほか、志村が座長を務める舞台公演『志村魂』にも出演し、間の取り方や舞台での振る舞いなど笑いについて鍛えられた。

そんな“愛弟子”について志村は《磯山のいいところは、必ず返してくるところだね。期待した答えが返ってくる》と彼女との対談で評していた(『サーカス』2011年6月号)。志村の教えはいまでも、ラジオのレギュラー『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』でメインパーソナリティーの高田文夫からの無茶ぶりに対し、とっさにモノマネで返してみせるなど、彼女のなかでしっかり生きている。

いまでこそ30代に入ってもグラビアで活躍する人はざらだが、彼女がデビューした2000年代には、20歳を過ぎれば女優やバラエティ方面に軸足を移していくというのが当たり前だった。磯山も当初は《グラビアは2〜3年くらいでやめるのかなって思っていたら、年上の「お姉さん系」の人たちがワッと出てきたんですよ。その時は「あっ、私もまだいけるかな」みたいな感じで》(「Asageiplus」2020年12月6日配信)、グラビアアイドルを続けていくことになる。

グラビア人生をめぐる悩みも

先に引用した志村との対談時、磯山は20代後半になっていた。対談では、「まだまだ(グラビアで)現役を続けていきますか?」という司会者の質問に対する彼女の答えから、志村と次のようなやりとりが展開された。

磯山そうですね、見てくれる方がいらっしゃるなら続けたいです。
志村そういうジャンルをつくっちゃえばいいんだよ。年取ってもグラビアっていう。
磯山見たいですか?
志村見たかねぇよ!(笑)
磯山志村さんは、こうおっしゃってますが、見たい方がいるなら続けたいです!

「そういうジャンルをつくっちゃえばいい」という志村の言葉に導かれるように、磯山は30代に入ってもグラビアの仕事を継続する。

もっとも、本人は「結婚したらグラビアは辞める」と、ある時期からずっと公言してきた。《でも、結婚の機会がなくて続けてきたら、いつの間にか40歳が見えてきて。30代に入ったときも「やっていいのかな」っていう気持ちがあったんですが、このタイミングで、すごく悩んでいるんです》とは、今年のインタビューでの発言だ(『週刊大衆』2023年7月3日号)。悩んでいる理由は、《私のグラビア人生において、40代のプランまで考えたことがなかった》からだという。

とはいえ、ここまでグラビアを辞めずに来たのは、先の対談で彼女が言っていたとおり、それを見たい人がいたからだろう。グラビアに限らず、仕事を頑張る動機として《見てくださる方や、今まで支えてくださった人たちのためにやっています。自分のためにやっている意識は、かなり低いですね》と語っているように(『週刊朝日』2010年3月12日号)、他人あってのこの仕事という意識は強い。

大河ドラマで見せた好演

グラビアやバラエティの仕事の一方で、俳優としても活動を続けてきた。そもそも茨城の実家を出て東京に住むようになったのも、20歳の頃、早朝から撮影の始まるドラマの仕事が入ったのがきっかけだった。

20代半ばには、茨城出身だけに子供の頃から馴染み深かったという『水戸黄門』の第39部(2008〜09年)に出演、里見浩太朗扮する黄門様の一行とともに旅をする水戸藩の元家老の孫娘を演じた。昨年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』にも、鎌倉を追われた同幕府の初代執権・北条時政を隠遁先で世話する女性の役で出演している。ワンシーンだけではあったが、坂東彌十郎演じる時政の尻を叩きつつも、愛情の深さが伝わってくる好演であった。

今年に入ってからも、3月放送のローカルドラマ『君が、おにぎり好きだから。』(中京テレビ制作)で山崎樹範演じる主人公の妻を演じたのに続き、6月公開の『愛のこむらがえり』では18年ぶりに映画で主演を務めた。そのストーリーは、磯山演じる香織が、映画監督を夢見る恋人・浩平(吉橋航也)の才能を信じ、彼の書き上げたシナリオを映画化するため奔走するという内容であった。

監督の郄橋正弥からは出演依頼にあたり、プロットとともに、なぜ香織が磯山でなければならないのか、その思いをしたためた手紙が送られてきたという。監督は磯山のなかに、香織という人物に備わった優しさ、無私の情を見出したらしい。《“姉(あね)さん”のように叱咤するのではなく、浩平をその気にさせるため上手にやる気を刺激しながら支えてきたのが香織さんです。私の話し方、雰囲気がその像に合っていたのだそうです》と磯山は明かす(『週刊文春』2023年6月29日号)。まさに、自分よりもファンや周囲の人たちのために仕事を頑張ってきた彼女にふさわしい役どころであったといえる。

「ブレイクはしたくない」

振り返ってみると、磯山のこれまでの仕事には、プロ野球・東京ヤクルトスワローズの公認マネジャーや、故郷をPRする「いばらき大使」「鉾田大使」など、誰かを応援するものが目立つ。そういう役目が回ってくるのも、他人に尽くす磯山の姿勢を信頼してのことなのだろう。デビュー20周年を迎えた2020年に、今後について語った次の言葉も、いかにも彼女らしい。

《ブレイクはしたくないんです。いつも現状維持で。運やタイミングもあると思うんですが、この業界でとりわけ目立つポジションではないけど、イヤな感じがするわけでもない。このポジションにいたからこそ、20年も芸能界にいさせてもらえたと思っているんです。だから、あまり期待せずに、いただいた仕事を自分なりに一生懸命やるだけです》(「Asageiplus」前掲)

とかく移り気な大衆が相手の芸能界で、現状を維持することはある意味、トップに立つよりも難しい。それは体型についても同様だ。最新の写真集『andmore』でも、やせすぎず、太りすぎず、あいかわらず健康的なボディを披露しているが、きっとこれも彼女が人知れず努力を重ねてきた賜物に違いない。

(近藤正高)

16歳で初グラビア、「ぽっちゃり系」の先駆者に…磯山さやか40歳の「ひたむきな生き方」とは 外部サイト 【画像】16歳で初グラビア…磯山さやか(40)の写真を見る(全8枚) 「必死に頑張ったのに…」マイナス30センチ痩せたらファンから「なんで痩せたんだ」と言われ…20年以上グラビアを続ける磯山さやか(39)が思う“自分の個性”とは 「辞めます。撤回はない」20年以上活躍を続けるグラドル・磯山さやか(39)が「結婚したらグラビアを辞める」と決めている理由は

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