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「もっと、ねぇお願い」ラジオでベッドシーンを生中継、俳優の演技がエスカレートして…久米宏(79)がTBS時代に犯した“大失敗”

〈視聴者から「殺してやる」と殺害予告、自宅前に動物の死体が…それでも久米宏(79)が『ニュースステーション』を18年半続けたワケ〉から続く

『ぴったしカン・カン』『ザ・ベストテン』(ともにTBS系)、『ニュースステーション』(テレビ朝日系)など、数々の伝説的な番組を担当したフリーアナウンサーの久米宏さん(79)。テレビ業界の常識や前提を覆し、革新的な手法で番組を作り上げていった久米さんはしばしば、“テレビを変えた男”と称される。いったい彼は、どのように番組作りに携わり、名番組を生み出していたのだろうか?

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ここでは、久米さんの自叙伝『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(朝日文庫)より一部を抜粋してお届けする。(全4回の3回目/4回目に続く)

「もっと、ねぇお願い」ラジオでベッドシーンを生中継、俳優の演技がエスカレートして…久米宏(79)がTBS時代に犯した“大失敗”
写真はイメージ©iStock.com

◆◆◆

『永六輔の土曜ワイドラジオTOKYO』で与えられた仕事

結核が治りかけのころだった。TBSラジオで1970年5月から始まった、永六輔さんがパーソナリティーを務める新番組『永六輔の土曜ワイドラジオTOKYO』(以下、『土曜ワイド』)で、僕は1つの仕事を与えられた。自信はまったくなかったけれど、このまま引きさがれば負け犬を絵に描いたようなものだ。とにかくやってみて失敗したらあきらめよう、と思って臨んだ。

毎週土曜、当初は午後1時から5時半の生放送。僕の仕事は、毎回の放送が始まる前に街頭や原っぱなどの屋外で人を集める“前説”のようなものだった。古今亭志ん駒さんの「街かど寄席」に向けた客の呼び込み。機材を運んだり、集まった人を整理したり、アシスタント・ディレクターの手伝いのような仕事を何カ月か続け、現場に復帰していった。

――という顛末が、僕の記憶にある「苦節2年半の闘病物語」なのだが、あらためて経歴を調べると、どうも事実関係が合わない。『パック』降板の時期と『土曜ワイド』参加の時期がほぼ重なっており、軽勤務でひたすら電話番をしていたのは、結核ではなく胃腸炎に苦しんでいた時期だった疑いがある。

身体的には明らかに胃腸炎のほうが重篤だったが、結核にかかったという精神的打撃があまりに強く、苦難の月日はすべて結核のせいだったと記憶が塗り替えられたのか。当時のことは思い出したくもないという気持ちが記憶に目隠しをしているのかもしれない。人間の記憶は時として混乱するものらしい。無理につじつまを合わせずに、ひとまずここはあいまいなままに留めておくことにする。

なんでも中継してみる

さて、『土曜ワイド』では、やがてリポーターとして単独コーナーを持たされるようになった。TBSの担当ディレクター岩澤敏さん(2歳年上ながら2期後輩のため、以下、当時同様呼びすてにします)と「とにかく今までラジオで中継したことのないものを中継しよう」ということで意見が一致した。

「誰もしたことがないということは、できないからしてないんじゃないの?」

「だから面白いんじゃないか」

常識ではラジオで中継できないものを中継するコーナー「久米宏のなんでも中継‼」が始まった。

記念すべき第1回がオンエアされたのは、その年の9月5日、上野動物園の猿山中継だった。日付まで覚えているのは、その翌日の日曜に父親が亡くなったからだ。

電信柱になって中継、ミュンヘンの街角を音で再現

スタジオと違って屋外での中継は、まったく緊張しなかった。スタジオで秒針が動いているのを見た途端、舌がもつれたのがウソのようだ。大空の下で心身が解放され、「クールな話し方」は封印。興奮して感情のおもむくまましゃべった。

たとえば「電信柱」を中継する。住宅街でコンクリートの電信柱を叩いたり撫でたり。途中から僕が電信柱になって、

「長い間ここに立っててねぇ。いろいろな人が自分の前を通っていった」などと語り、栃木の工場で自分が電信柱になった記憶をたどっていく――というような内容だった。

音声情報に限られるラジオ中継では「どういう音がするか」がカギとなる。商店街を歩いて、おばさんたちと言葉を交わし、車が通る横断歩道を渡り、角を曲がって静かな住宅街に入る。コツコツ足音をさせて上り坂を進むと、角に古い電信柱を見つける――。

だからラジオ中継は場所選びが命だ。このときは岩澤が事前にロケハンして、「いい電信柱、見つけておきましたよ」と自慢げに伝えてくれていた。

「雨」がお題のときは、雨の中で傘を畳んで自分が濡れていく様子をリポートした。「歩道橋」「山手線」「蟻塚」。どんどんエスカレートして、「ミュンヘンの街角から」という“海外中継”にも挑んだ。ミュンヘンオリンピックのころだ。

街の中を僕が足音を立てて歩く。「ミュンヘンの街角」の効果音が入ったレコードがあって、その音をラジカセで流す。雑踏やクラクション、路面電車が走る音。ガイドブックの写真で見たミュンヘンの街角を僕が実況する。「あっ、アベックがいる」。そう言うと、事前にドイツ人の男女を雇って録音した会話を現場で再生する。その前を僕が通りすぎる――。

リスナーがミュンヘンの街角からの中継だと気持ちよく騙されてくれれば、それで成功。もちろん最後に「横浜・山下公園からの中継でした」と種明かしをする。

永さんにどうしたら褒めてもらえるか

毎週、2人でとてつもなくくだらないことを考えては実行に移した。ナンセンスで実験的なコントからなるバラエティー『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』が一世を風靡した時代だ。「くだらないこと」が市民権を得ていた。

リスナーにははなはだ失礼ながら、僕たちはスタジオの永さんにどうしたら褒めてもらえるか、永さんをいかに喜ばせるか、もっと言えばいかに騙して驚かせるか、ということしか考えていなかった。よく言えば、ラジオを最もよく知る最良のリスナーである永さんをターゲットにすれば、中継のレベルは着実に上がると信じていた。

永さんは当時、30代の後半だったはずだが、僕は50代のおじさんのように思っていた。それくらい自分にとって永さんは偉くて怖い存在だった。そのときも、それ以後も、ずっと永さんの前では緊張してうまくしゃべれなかった。

篠崎敏男さんというチーフディレクターが、また輪をかけて怖かった。この2人の御大が担当ディレクターを通して毎回、鋭く的確な指摘をする。「番組全体の趣旨がわかって中継しているのか!」。お目付け役がいない中継自体は楽しくて仕方ないのだけれど、東京・赤坂にある局に戻る足取りはいつも重かった。

海に飛び込んだ瞬間、スタジオの永さんが「うわーっ」と声を上げた

永さんにひと言褒められようと、演出も次第に大仕掛けになっていった。

「特集・伊豆半島」では、西伊豆の海に浮かぶ漁船から中継した。海上の景色、潮の香り、漁師の作業などを船上からリポートし、最後に「喫水線の下はどうなっているか調べてみましょう」と言うなり、突然ドボーンと海に飛び込んだ。しばらくしてから浮上して、「この、船の、底は……」と船上から差し出されたマイクロフォンに向かって報告した。

もちろん、最初から計算ずくで水着姿のままリポートをしていたのだ。後で放送した録音テープを聴くと、僕が海に飛び込んだ瞬間、スタジオの永さんが「うわーっ」と声を上げている。「やった、やった」と岩澤と子どもみたいに喜んだ。

「神田川」の中継。紐に付けた缶を神田川にポーンと投げ入れて、水をすくう音を入れる。「うわっ、濁ってる。汚ねー!ちょっとうがいしてみます」。

ガララララとうがいして、「あ、飲んじゃった!」。

実はきれいな水がそばに置いてあり、それを使っているのだが、スタジオではわからない。

「飲んじゃったの?バカだねー!」と永さん。

永さんだって“やらせ”は先刻ご承知だろうが、そんなふうに永さんを喜ばせることができれば、それで満足だった。

映画のベッドシーンを生中継

一度だけ、永さんが「もうダメ!」と叫んで中継を途中でブチッと切ったことがあった。タイトルは「日活ロマンポルノ撮影現場生中継」。映画のベッドシーンの生中継だ。

ベッドシーンは基本的にアフレコ、つまり音声は後から映像に合わせて録音する。実際の現場では録音していないので、「頭をもっと後ろへ、上半身をそらせて!そうそう」「バカヤロー!もっと気持ちよさそうにやれ」といった監督の指示や怒号が飛び交う。

俳優たちも「あ、痛い、痛いわよ、ねぇこのひざ痛いったら」「ごめん、ごめん、これでいい?」などと打ち合わせをしながら撮影する。その現場をそのまま中継したかったのだ。

俳優たちの演技がどんどんエスカレートして…

若くてきれいな女優は前貼りをして、男優はイチモツに包帯を巻きつけて撮影に臨んだ。ところが中継が始まると、まず監督さんが緊張したのか勘違いしたのか、すっかり黙り込んでしまった。

すると俳優たちがその沈黙を埋めようと妙に気を遣って“リアルな演技”をしだした。男優が「あ、いい、いいよ〜」と叫べば、女優も「もっと、ねぇお願い、もっと、あ〜いいわ〜」。これがどんどんエスカレートしていった。

土曜真っ昼間の生放送だ。もう誰も止められない。止めることができるのは、永六輔さんただ1人。

「もうダメだ!ダメ、こんな中継やめだ!切って、切って」

痛恨の大失敗。監督たちに「いつも通りにお願いします」と伝えていなかったのが最大のミスだった。このとき日活側の窓口をしていたのが、のちに『シコふんじゃった。』『Shallweダンス?』で大ヒットを飛ばす監督の周防正行さん。当時はサードぐらいの助監督だった。後年、周防さんに会ったとき、このときのことを持ち出したら、

「久米さん、あのときは本当にすみませんでした」

はっきりと覚えていらっしゃった。

家に帰っても「次は何を中継するか」だけをひたすら考えた

「なんでも中継」のコンセプトの1つは、「とりあえず自分で体験してみる」ということだった。高所恐怖症なのに窓拭きのゴンドラに乗ったり、ヘリでローターを止めて急降下したり。シンクロナイズドスイミングにも挑戦した。

浅草の変わった料理店では、かまきりの姿揚げやマムシのぶつ切りを食べた。床の下でとぐろを巻いているマムシを釣り上げて生き血を飲んだ。おいしかったのは芋虫の唐揚げだ。外はカリカリで噛むとパリッといって、中からむにゅーっと緑色の歯磨き粉状のものが出てきて葉っぱの味がする。これが甘くて、芋虫が必死で食べた新緑が口中に広がった。

中継ではよく走った。走り終わってハアハア息をしながらリポートしていた。聴いている人は、なぜ僕が息切れしているかがわからない。「呼吸器が悪いんじゃないか」と心配する手紙まで来た。走っていることをわかってもらうために、いい音がする靴を探し求めた。

体が不自由で走れない人から「久米さんの中継を聴いていると、自分が走っているような気になって、とても楽しい」という感想を頂いてからは、下駄や雪駄も用意して、いっそう足音にこだわるようになった。

週1回、数分間のこの中継だけが、当時の僕の唯一の仕事だった。企画を考える時間はいやというほどある。毎日、家に帰っても「次は何を中継するか」だけをひたすら考えていた。

「なんでも中継」が認められて、やがて番組のオープニングも任されるようになった。団地1棟を選び、

「ラジオを聴いている奥さーん、窓を開けて手を振ってくださーい!」

と大声で叫んで何世帯が聴いているのかを調べる。この「聴取率調査」は番組の司会者としてスタジオに入る1978年まで毎週続けることになった。

〈近藤真彦は包帯を巻き、中森明菜は松葉杖をついて出演…“昭和のスター”が伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』で見せた“リアルな姿”〉へ続く

(久米宏/Webオリジナル(外部転載))

「もっと、ねぇお願い」ラジオでベッドシーンを生中継、俳優の演技がエスカレートして…久米宏(79)がTBS時代に犯した“大失敗” 外部サイト 【続きを読む】近藤真彦は包帯を巻き、中森明菜は松葉杖をついて出演…“昭和のスター”が伝説の音楽番組『ザ・ベストテン』で見せた“リアルな姿” 【秘蔵写真を見る】ラジオでベッドシーンを生中継したTBS時代の久米宏さん 中森明菜が新幹線の車内で歌い、ビートたけしは「生放送中に脱ぎ始めて…」久米宏(79)が語る『ザ・ベストテン』の“ありえない舞台裏”

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