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【田中好子の生き方】今も胸を打つ葬儀で流れた本人メッセージ 女優として成功した背景に“苦闘のキャンディーズ時代”

【田中好子の生き方】今も胸を打つ葬儀で流れた本人メッセージ 女優として成功した背景に“苦闘のキャンディーズ時代”

今も熱狂的なファンがいるキャンディーズ。親しみのあるキャラクターはもちろん、抜群の歌唱力も魅力でした。メンバーはコメディエンヌとしても秀逸で、ザ・ドリフターズとのコントはじめ多くのバラエティ番組でも活躍しただけに、田中好子さん(1956〜2011)の訃報に驚いたのはキャンディーズのファンだけではなかったはず。グループ解散後、女優として多くの作品に出演した彼女が抱いていた人生観とは何か。朝日新聞編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。伝説となったアイドルの素顔に迫ります。

【写真を見る】懐かしのキャンディーズ時代と葬儀の様子

「年下の男の子」

高校時代は受験勉強一色だった――。

【田中好子の生き方】今も胸を打つ葬儀で流れた本人メッセージ 女優として成功した背景に“苦闘のキャンディーズ時代” 愛くるしい笑顔は最後まで変わらなかった

懐かしそうに、そう語る後輩がいる。灰色の3年間。第1志望の大学も、第2志望も、第3志望も立て続けに不合格となり、浪人生活を送ったそうである。

ある晩、ラジオから明るい歌声が聞こえてきた。キャンディーズの「春一番」。歌詞にあるように、「泣いていてばかりいたって、幸せは来ない」のだ。そう思い直し、頑張ろう、頑張るしかないと自らを鼓舞し、翌春、見事に第1志望に合格した。

まさに「彼の青春時代はキャンディーズとともにあった」と言えるだろう。「春一番」は青春の思い出なのである。

そしておそらく、キャンディーズに励まされた人は、男女を問わず、また年齢も問わず、この日本には大勢いるだろう。

メンバーの1人で2011年4月21日に乳がんのため55歳で早世した女優・田中好子が今回の主役である。でも、「田中好子」と呼び捨てにはできない。やはり「スーちゃん」で行きたい。

私は年齢的にも少しだけ年下。いわゆる「年下の男の子」なだけに、スーちゃんには格別に親近感が湧く。あの飛びきりの笑顔に何度励まされたことだろう。

ランちゃん(伊藤蘭=68)、ミキちゃん(藤村美樹=67)とともに、3人娘で構成されたキャンディーズ(活動時期1973〜1978年)は、70年代の日本社会に元気と明るさをもたらしてくれた貢献者でもあった。しかも、スーちゃんも含めキャンディーズの3人娘は、ただ歌を歌うだけのアイドルではなかった。人気テレビ番組「8時だョ!全員集合」(TBS)では、ザ・ドリフターズの面々に引けを取ることなくコントを演じた。コメディの才能も持ち合わせたアイドルでもあったのである。

その魅力は今もまったく色あせていない。中でもスーちゃんは、亡くなったという気すら12年経った今でもしない。どこかで生きているのではないか。そう思ってしまう。

病床からのメッセージ

一体どんな人柄だったのか。逝去から4日後の4月25日、東京・青山葬儀所で営まれた葬儀で流れた本人メッセージを読むと、ぼんやりとだが素顔が浮かんでくる。

少し長くなるが紹介しよう。

「こんにちは、田中好子です。/きょうは3月29日、東日本大震災から2週間たちました。被災された皆様のことを思うと、心が破裂するような……、破裂するように痛み、ただただ、亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。/わたしも、一生懸命病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時には、必ず天国で被災された方のお役に立ちたいと思います。それが、わたしの務めと思っています。/きょう、お集まりいただいている皆様にお礼を伝えたくて、このテープを託します。/キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間、お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています」

そして、このメッセージはこんな具合で締めくくられた。

「特に蘭さん、美樹さん、ありがとう。2人が大好きでした。映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。/お礼の言葉をいつまでも、いつまでも皆様に伝えたいのですが、息苦しくなってきました。いつの日か、妹・夏目雅子のように、支えてくださった皆様に、社会に少しでも恩返しができるように復活したいと思ってます。カズさん、よろしくね。その日までさようなら」

「もっともっと女優を続けたかった」という言葉が胸を打つ。カズさんとは、夫の小達一雄さん(女優・夏目雅子の実兄)のことだ。

当時の新聞報道によると、会場には約2100人のファンや関係者が参列した。一種独特な熱気に包まれたに違いない。

紡ぎ出されるメッセージから、スーちゃんの万感の思いも伝わってくる。

当時、テレビ報道で見たのだが、霊柩車による出棺を告げるクラクションが鳴り終わったとき、キャンディーズの曲が突然、大音量でかかったのを覚えている。1973年9月に発売された明るいテンポのデビュー曲で、スーちゃんがリードボーカルをとる「あなたに夢中」である。

沿道には多くの男性ファンらが集まり、スーちゃんのイメージカラーである青色の紙テープを一斉に投げた。「スーちゃん!」と叫ぶも、涙声でよく聞き取れない。ファンにとっては、自分の家族を亡くしたような大きな悲しみだったに違いない。

チャンスをつかむために努力してきた

ここでスーちゃんの経歴について、ごくごく簡単だが振り返ろう。

1956(昭和31)年4月、東京・足立区で釣具店を営む両親の次女として生まれた。荒川の川岸に「田中釣具店」という大きな看板があったのを私は覚えている。

小学生のころから歌がうまく、町内の民謡研究会に入り発表会で「ソーラン節」などを披露した。69年、渡辺プロダクションが経営する東京音楽学院に入学。スクールメイツのメンバーに選ばれる。72年、NHKの歌番組「歌謡グランドショー」のマスコットガールのオーディションに伊藤蘭、藤村美樹とともに合格。3人組は「キャンディーズ」と命名され、73年に「あなたに夢中」で歌手デビューした。

その後の華々しい活躍については読者の方々がよくご存じだろう。キャンディーズは78年に解散したが、スーちゃんは80年に女優として復帰する。当時を振り返り、こう語っている。

「キャンディーズのころは周囲が敷いてくれたレールを夢中で走り、1人で復帰してからは、その名に恥じぬようにと、がんばってきました。私はチャンスをつかむために努力してきた人間、その積み重ねがあったからこそ今まで乗り切ってきたと思う。一生懸命の25年かなあ」(朝日新聞・98年10月29日夕刊芸能面)

テレビドラマに、映画に、ドキュメンタリー番組のナレーションに才能を発揮し、フル稼働していたスーちゃん。「休みの時間をどう使っていいか分からないぐらい仕事が楽しい」とまで語っていた。だが、乳がんのため19年もの長きにわたって闘病生活を強いられていたとは。

振り返ると、「普通の女の子に戻りたい」と発言しキャンディーズ解散を表明したときは、心身ともに相当疲れていたのではないだろうか。自分が仕事だけをこなすロボットのように感じられ、なぜ自分は歌うのか、なぜ自分は芸能界で働くのか、本当の生きがいが見出せなかったのではないか。

そうした彼女自身の苦闘の過去が「生きるバネ」となり、復帰後は味のある演技もこなせる女優として大きく羽ばたくことになったと思える。でも、「大女優」という言葉はスーちゃんには似合わない。生前こんなことも言っていた

「こんな女優になりたいとか、こんな役をやりたいとか、と気張るのはあまり好きじゃありません。自然に続けていきたいんです」(朝日新聞・89年11月25日夕刊経済特集面)

どこまでも自然体で

自然体だったのだろう。1991年に結婚して家庭を持つようになってからは家計簿をつけていたといい、近所のスーパーで買い物をしてもレシートをきちんともらっていたという。

日常の買い物もマネジャー任せの芸能人がいる中、なかなか立派な家庭人だったのではないか。庶民として普通の生活感覚を忘れたくなかったのかもしれない。

スーちゃんと誕生日が同じコラムニストの泉麻人(67)は、キャンディーズ時代の雰囲気をこう分析する。

「サークルで一緒に活動している女の子みたいな身近さが最高の魅力だった。普通の女の子に戻りたいと引退したが、最初から『普通の女の子』キャラを演出し、学生運動後のエネルギーをもてあましていた大学生らは、サークルのノリで応援した」(2010年2月6日朝日新聞夕刊be)

1977年、国民的アイドルグループとしての絶頂期、コンサートで突然、解散を宣言してから46年。ランちゃんが今年、NHK紅白歌合戦にキャンディーズを代表してソロで出る。きっとどこかで、スーちゃんも見守っているに違いない。今から舞台が楽しみだ。

次回は作詞家・阿久悠(1937〜2007)。歌謡曲から演歌、アニメソングまで、生涯に5000の詞を世に出した「歌謡界の巨人」だ。さまざまな歌謡賞が発表される12月、阿久の軌跡をたどってみる。

小泉信一(こいずみ・しんいち)
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)、『絶滅危惧種記者群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

【田中好子の生き方】今も胸を打つ葬儀で流れた本人メッセージ 女優として成功した背景に“苦闘のキャンディーズ時代” 外部サイト 「キャンディーズ」は売れるずっと前から解散を口にしていた! 【天地真理が激白】「週6000円でやりくり…」──誰でも危ない「老後破産」 「国民的美少女コンテスト」グランプリ受賞者が大成しないワケ――「米倉涼子」「上戸彩」は審査員特別賞

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