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三回忌「神田沙也加さん」の生き方 「人生はワンチャンス」の言葉を胸に秘め…2011年紅白で母親と初デュエットの思い出

三回忌「神田沙也加さん」の生き方 「人生はワンチャンス」の言葉を胸に秘め…2011年紅白で母親と初デュエットの思い出

その歌声を聞いた瞬間、思わずお母さんの顔が浮かんだ人も多かったのではないでしょうか。大ヒットアニメ映画「アナと雪の女王」(2014年公開)で主人公の日本語吹替えを好演した神田沙也加さん(1986〜2021)の張りのある、そして明るい歌声は、多くの人を魅了しました。両親ともスターという家庭に生まれた彼女の人生とはいかなるものだったのか。朝日新聞編集委員・小泉信一さんが様々なジャンルで活躍した人たちの人生の幕引きを前に抱いた諦念、無常観を探る連載「メメント・モリな人たち」。沙也加さんの心の内に迫ります。

【写真】三回忌で事務所が発したメッセージと、いつまでもファンの心に生き続ける神田さんの笑顔

衝撃の一報

松田聖子さん(61)と神田正輝さん(73)の「聖輝の結婚」により生まれた一人娘。

三回忌「神田沙也加さん」の生き方 「人生はワンチャンス」の言葉を胸に秘め…2011年紅白で母親と初デュエットの思い出 抜群の表現力と歌唱力だった

その誕生を日本中の人たちが祝福したことだろう。娘は長じて舞台女優として活躍するが、札幌市のホテルに滞在中の2021年12月18日、人生の幕を下ろした。35歳の短い生涯だった。

神田沙也加さん。その訃報は師走の日本列島を駆けめぐったが、あれからもう2年になる。今年は三回忌にあたるが、まだどこかの劇場に出演しているように思えてならない(本欄では原則として敬称は略しているが、今回は「さん」づけにする)。

当時の新聞報道を振り返ると、あの日はこんな一日だった。

午前11時過ぎ、関係者から110番通報。駆けつけた警察官がホテル内を捜したところ、午後0時54分ごろ、22階建てホテルの14階屋外スペースで倒れている沙也加さんを発見。道警からの119番通報で消防隊員が駆けつけたが、沙也加さんは意識がなかったという。所属事務所は翌日、沙也加さんが18日午後9時40分に亡くなったと発表。高層階から転落したとみられ、札幌中央署は自殺と事故の両面で調べたが、真相は分からない。

沙也加さんは、札幌市で公演中のミュージカル「マイ・フェア・レディ」への出演を予定していた。元宝塚歌劇団宙組トップスター・朝夏まなとさん(39)とのダブルキャストで、ほぼ交互に主演を務めることになっていた。初日の17日は朝夏さんが主演を務め、翌18日は沙也加さんが主演、正午に幕が上がる予定だったが、いつまで経っても沙也加さんは劇場に現れず、スタッフは心配していた。もちろん公演は中止である。

21日、朝日新聞の朝日川柳にこんな一句が載った。

「女王の涙か雪降る北の街」

女王とは、2014年公開の大ヒットアニメ映画「アナと雪の女王」の日本語吹き替え版でアナ役を演じたことを意味している。ミュージカルスターでもあった沙也加さんにふさわしい川柳と言えるかもしれない。しんしんと北の街に降り積もる雪が、亡き人への想いを増幅させる。衝撃と悲しみに日本中が包まれた2021年の暮れだったと言っていいだろう。

「松田聖子の娘」という重圧

世間の動向は、父で俳優の神田正輝さんと、母で歌手の松田聖子さんに集まった。当然のことだろう。荼毘に付したあと、札幌市内の斎場で、2人はそろって報道陣の前に姿を見せた。

沙也加さんの骨壺が入った白い箱を両手で持った神田さんは、

「大変申し訳ありません。ありがとうございます。身内の近親者のみでお別れ、そして納骨というか、お骨にすることができました。みなさんご協力ありがとうございました。ただ、あまり2人とも話すようなことではないので、しばらくの間そっとしておいていただけたらありがたいと思います」

聖子さんは、

「本当にみなさんお寒い中、申し訳ございませんでした。ありがとうございます」

とあふれる涙をこらえつつ語り、深々と頭を下げた。記者との質疑応答はなかったので記者会見とは言えないが、2人にとってはこれが精いっぱいのファンへのメッセージだったのだろう。

聖子さんはこの年の大晦日に放送される「第72回NHK紅白歌合戦」に25回目の出場を予定していたが、NHKは聖子さんの辞退を発表。ファンの悲しみはさらに広がった。

私は2011年の紅白を思い出す。沙也加さんは東京体育館で行われた聖子さんのカウントダウンライブに出演。会場からの生中継出演で、母と娘で紅白に出た。白いドレスに身を包んだ2人は、坂本九(1941〜1985)の大ヒット曲「上を向いて歩こう」をしっとりと歌い上げた。親子仲睦まじく笑顔で手を握り合い、頬を寄せ合った姿をいまも鮮明に覚えている。

あのとき沙也加さんは「本当にうれしく思っております。母との初デュエットが紅白だなんて、贅沢で光栄です」と喜びを表明。「上を向いて歩こう」を選んだのは、この年、東日本大震災が起きたからだったのだろう。復興支援の意味もあり、あの透き通るような歌声で「上を向いて歩こう」を歌い上げた。

それにしても、「松田聖子の娘」といつまでも言われることが辛かったのだろうか。深刻な悩みを抱え、誰にも相談できなかったのだろうか。臆測が臆測を呼ぶが、根拠のない話で探るのはやめておこう。

ただ、伸びやかで艶のある高い声は舞台女優として、ミュージカルスターとしてとても魅力的だった。明るい笑顔は「お嬢さん」のイメージが重なる。

1986年に生まれた沙也加さんは、2001年にCMで芸能界にデビューした。当時、中学生である。歌手のほか映画やドラマとさまざまな世界で活躍したが、何かが飛び抜けてできたわけでもなく、熾烈な芸能界で生き抜く自信がなくなったこともあったらしい。高校を卒業すると1年半ほど活動を休止する。

飲食業界でのアルバイト。注文取りのほか掃除や調理場の手伝いなど、朝から晩までがむしゃらに働き、正社員になろうとも考えた。そんな矢先、舞台「夏の夜の夢」のオーディションの話が舞い込んだ。

人生の転機とは、突然訪れるのだろうか。よく舞台を見に行っていた女優の大地真央さん(67)が、沙也加さんが働いていた店に来た。沙也加さんは矢も盾もたまらず店を飛び出し、大地さんの車の中で相談。「人生はワンチャンスよ。つかみなさい」と大地さんに励まされた。

そしてオーディションに合格。妖精役の1人として出演した。その後もチャンスを逃さず、14年には前述したディズニー映画「アナと雪の女王」の日本語吹き替え版でアナ役を勝ち取った。

三回忌にもたらされた嬉しいニュース

芸能界は一見華やかだが、その陰でひっそりと消えていく人も多い。辛いときは大地さんの「人生はワンチャンス」という言葉を思い出したという。そのための努力を怠らないのが沙也加さんだった。完璧主義というのか、いつもブツブツとセリフや歌詞を口ずさみ、役を染み込ませたらしい。

「舞台では汗をかいて恥をかいてボロボロになりながら、答えにたどりつきたい」(朝日新聞:18年8月30日夕刊be)

こんな言葉も残していた。真面目で真っ正直で頑張り屋だったのだろう。

庶民派でもあった。学園ドラマに出演していた16歳のとき、共演者の男の子たちに教えてもらったのがきっかけでラーメンが大好きに。お気に入りが、原宿にある九州ラーメン店。ニンニクたっぷりのスープに、卵、角肉、チャーシュー……麺の硬さは必ず「粉落とし」。麺の表面についた粉を落とす程度、さっとお湯にくぐらせるだけである。バリ硬よりも硬いのかもしれない。

こってり系の豚骨味が好きなのは、聖子さんの出身地である「九州の血」を引いているからなのか。いまもその店はあるが、沙也加さんが店の隅でズズズーッと麺をすすっているのではないかという錯覚さえ起きてしまう。

その死を想えば想うほど悼まれる。あなたの舞台をもっと見たかった。あなたの歌声をもっと聞きたかった。40代、50代、60代と年齢を重ねつつ芸能界で活躍するあなたを応援したかった。だが、あなたはもう帰ってこない。

とはいえ最近、ファンにとってはうれしいニュースもあった。沙也加さんの三回忌を機に公式インスタグラムが更新され、「今後も可能な限り神田が遺したままの状態で継続したい」と事務所が文書を発表したのである。

インスタグラムでは「神田沙也加の3回忌に際し、お悔やみのお言葉、励ましのメッセージを頂戴しましたこと、心よりお礼申し上げます。本来であればお一人お一人にお礼をお伝えしなければなりませんが、こちらでのご挨拶となりますことをお許しください」とファンに感謝のメッセージを送った。その上で「なお、神田のSNS等は今後も可能な限り神田が遺したままの状態で継続したいと考えております。多くの皆様にご覧いただけましたら幸いです。株式会社ファンティック」とした。公式Xにも同様の文書がアップされた。

沙也加さんは今でもファンの心の中に生きている。忘れまい。その優しい笑顔を。

次回は元朝日新聞記者でTBS「NEWS23」のキャスターとしても活躍したジャーナリストの筑紫哲也(1935〜2008)。どこかで平和が脅かされれば飛んで行き、どこかで民主主義が危うくなれば「多事争論」で訴えた。がんが骨に転移しても、その反骨精神は揺るがなかった。その生涯をたどる。

***

■相談窓口

・日本いのちの電話連盟
電話0570・783・556(午前10時〜午後10時)
https://www.inochinodenwa.org/

・よりそいホットライン(一般社団法人社会的包摂サポートセンター)
電話0120-279-338(24時間対応。岩手県・宮城県・福島県からは末尾が226)
https://www.since2011.net/yorisoi/

・厚生労働省「こころの健康相談統一ダイヤル」やSNS相談
電話0570・064・556(対応時間は自治体により異なる)
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/hukushi_kaigo/seikatsuhogo/jisatsu/soudan_info.html

・いのち支える相談窓口一覧(都道府県・政令指定都市別の相談窓口一覧)
https://jscp.or.jp/soudan/index.html

小泉信一
朝日新聞編集委員。1961年、神奈川県川崎市生まれ。新聞記者歴35年。一度も管理職に就かず現場を貫いた全国紙唯一の「大衆文化担当」記者。東京社会部の遊軍記者として活躍後は、編集委員として数々の連載やコラムを担当。『寅さんの伝言』(講談社)、『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)『絶滅危惧種記者群馬を書く』(コトノハ)など著書も多い。

デイリー新潮編集部

三回忌「神田沙也加さん」の生き方 「人生はワンチャンス」の言葉を胸に秘め…2011年紅白で母親と初デュエットの思い出 外部サイト 松田聖子、ツアーで語った沙也加さんへの思い「彼女を思わない時間はありません」 【当時の写真も】35年前、松田聖子が沙也加さんと共に退院した際、病院前に3000人、お宮参りには1000人のファンが集まった 「デビュー前の松田聖子の声」が秘蔵カセットテープに!44年ぶりに再生して聴いた、驚異の歌声

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