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《1本の電話が自爆した彼らを救った》太田光代が明かす爆笑問題の黒歴史「掟破りの独立騒動」

爆笑問題・太田光の妻であり、タレント事務所「タイタン」の社長である太田光代氏が30年前の“忘れられない日”を語った。日大芸術学部を中退した太田と田中裕二の2人が88年に結成した爆笑問題は、当初、太田プロダクションに所属(光代氏もタレントとして所属)。当時の太田プロは、温厚な人柄で知られる磯野勉社長(当時)と周囲に「副社(ふくしゃ)」と呼ばれる副社長の妻・泰子氏が切り盛りしていた。社長と副社の了承のもと、爆笑問題は「ツービートの再来」「たけしの再来」というキャッチフレーズで売り出されることになったのだが……。(聞き手・構成=石戸諭・ノンフィクションライター)

【画像】タレント時代の太田光代氏

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太田に甘い言葉を囁いた男

《1本の電話が自爆した彼らを救った》太田光代が明かす爆笑問題の黒歴史「掟破りの独立騒動」
太田プロ所属時の爆笑問題©タイタン

(「ツービートの再来」「たけしの再来」は)すごいキャッチフレーズですが、そう名付けることでプロダクションとして爆笑問題への期待を業界の方々に伝えやすくするためだったのでしょう。それも、ツービートが所属していた事務所だから言えたこと。関係のない事務所では付けられないキャッチフレーズでした。

太田も憧れのツービートやたけしさんの名前を引き合いに出されて嬉しそうでしたが、問題は彼がそれを本気にしてしまったこと。

爆笑問題はデビュー間もない89年の段階で引く手数多になっていました。今だから言えますが、テレビ各局では彼らを中心とした新番組が一斉に企画されていたんです。

ただ、あの頃の爆笑問題はトークで目立つというタイプではありませんでした。ネタを披露すると必ず高評価でしたが、トークになると他の芸人の後ろに隠れて引っ込んでしまう。番組の演出でこの弱点をどうカバーするかについて、事務所関係者から番組スタッフまでが一緒になって、懸命に考えていたようです。

にもかかわらず、そうした提案に太田は「そんなことはやりたくない」「自分がやりたいのはこんなことじゃない」なんて偉そうに反抗していた。本人も後年、「面白ければ何とかなると思っていたし、業界のパワーバランスなんてわからなかった」と述べています。が、要は「たけしの再来」と言われて天狗になっていたんです。

その太田に甘い言葉を囁いた男がいました。当時の担当マネジャー、S氏です。爆笑問題を引き抜く形で新事務所設立を画策し、「太田君、やりたいことが出来ていないなら僕が立ち上げる新しい事務所に移って自由にやればいい。君たちは天才だ。僕も一緒に夢を見させてくれ」なんて話していたそうです。

じつは、私も彼の画策には気付いていました。S氏がテレビ局の関係者に独立の構想を語っているのを、偶然聞いてしまったんです。すでに私は太田と交際していたわけですが、仕事の後の車中で、S氏はこう言うのです。

「さっきの件、太田くんに声をかけたら来てくれるかな?」

「絶対にやめてください。だって爆笑問題は事務所のイチ押しですよ。そんなことをしたら大変なことになるのはわかっていますよね?」

私はS氏に言いましたが、彼はどこ吹く風という顔つきでした。

誰にも話せない「移籍と結婚」

事が大きく動いたのは、翌90年です。私は89年4月から、蓮舫さんや岡本夏生さんらと一緒に、テレビ東京の深夜番組『ひょっこり漂流島』に出演することになり、海外ロケや収録で家を空ける時間が増えていました。ある日、仕事を終えてグアム島から家に帰ると太田が「この前、Sさんがウチに来たよ」と言うんです。「これはやられた」と思いました。私がいないうちに、S氏は太田を口説きに来たのです。

それまで私は太田にこの話は一切していませんでした。私にしてみれば、事務所でもあまり関わりのないS氏の、個人的な問題です。何も聞いていなかったことにしようと決めていましたし、まさか家に来るとは思っていませんでした。なにより、太田は乗らないだろう、という思いもありました。

ところが、どういうわけか彼は「イエス」と言ってしまったんです。田中は田中で太田が決めたことに付いていくという話になっていて、あっという間に独立決定ということになってしまった。

私は太田に、本当にこれでいいのかと何度も確認しました。しかし太田は、「約束したことだから、裏切れない」と言うのです。

そして、今にして思えばすごいタイミングですが、ちょうどその頃、私たちの間にも結婚という話が持ち上がっていました。仕事とは関係なく、太田との生活はやっぱり楽しくて、彼といろいろな話をする時間が、私にとっては何より大切でした。「タイタン」の由来になるカート・ヴォネガットの小説を教えてもらったのも、彼がウチに居着き始めたばかりの頃。コンピューター占いで「相性100パーセント」という結果が出たりして、追い風になったことはたくさんありましたが、私がもうそろそろ26歳になるというのがいちばんの決め手でした。その頃は「クリスマスケーキ」という言葉があって、いわゆる結婚適齢期を過ぎた26歳の私は“売れ残り”。それが当時の価値観でした。日々、「離婚したくないから結婚しないんだ」なんて言い訳している自分にも嫌気がさしていました。

そして、いざ結婚となった年。7月に独立問題が勃発し、事務所と爆笑問題の契約は当面の仕事が残っている9月まで、ということになりました。占いで日付けまで決めて9月26日に婚姻届を出したというのに、1週間も経たないうちに、私だけが事務所に残り、太田が独立するということになったのです。

結局、爆笑問題とS氏は1年ほどで袂を分かつことになります。当然ながら予定されていた仕事はすべてご破算になり、爆笑問題の仕事は無くなってしまいました。そしてS氏はどこかへ去って行きました。

その後のことを、太田は「カラッカラに干された」なんてテレビで話したりしてますが、「干された」わけじゃなく、「自爆した」というのが正解です。芸能事務所も業界各社も営利企業です。互いを信用して取引をしています。予定していた商品を納品できなくなったら、損害賠償という問題になります。背任行為をおかした人間は当然、責任を取らなければいけません。私は事務所の経営者になってよくわかりました。

とはいえ、私も大変苦しい立場に立たされました。タレントとしてプロダクションに残りましたが、実際は太田と結婚したことを報告できませんでした。言わなければいけないのはわかっているのですが、太田が後ろ足で砂をかけるように事務所を出ていった後に、「実は結婚しました〜」なんて、とても言えません。

「あなた、誰かと結婚した?」

しかしある日、事務所から電話があって、「副社が呼んでいる。今すぐ来られるか?」と。これはバレた!と思ってすぐに駆け付けました。事務所では社長と副社がデスクに並んでいて、私はお二人に近付いていきました。

すると副社が椅子から立ち上がって、こう切り出したのです。

「間違っていたらごめんなさいね。あなた、誰かと結婚した?」

「ご報告をせずにすみませんでした。9月に爆笑問題の太田光と結婚しました」

一瞬、場がしんと静まり返りました。

「うん、まぁ良かったじゃないか。結婚はおめでたいですよ!」

社長はそう言ってくれました。

「そう。それは、おめでとう!」

副社はそう言って、棚の中からサッとご祝儀袋を取り出し、渡してくださいました。「有り難うございます」と受け取りましたが、気まずいこと、この上ない。

これは後から聞いたのですが、その頃、社長と副社はテレビ各局へ“謝罪行脚”に奔走していたということでした。考えてみれば、S氏もそのプロダクションの人間でしたから、タレントだけでなく、社員への監督責任ということにもなっていたのでしょう。そんな折に“問題夫婦”の結婚をお祝いしてくれたのですから、社長と副社にはいくら感謝しても足りないくらいなんです。

運命の電話がかかってきた!

爆笑問題が唯一出演していたNHKの音楽番組『メガロックショー』も間もなく終わりました。田中はコンビニでバイトをしていて、いつの間にか「店長候補」と囁かれるほどハマっていました。私も同じコンビニでバイトを始めたのですが、田中の仕事ぶりは見事なものでした。本人もまんざらでもない様子で、「爆笑問題、もう無理なんじゃないかな」なんて言う。これはマズい。私はとても不安になりました。

一方の太田は、家で本を読んだり、「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」なんかのテレビゲームを一日中やっていました。稼ぐつもりがなかったわけではないと思うのですが、働く方法が見つからないという感じでした。そうして彼は、あっという間に私のヒモになりました。

私は20歳の時に親に買ってもらった宝石や着物、何かの番組で優勝記念にもらったダイヤモンドなど、お金になりそうなものはすべて質屋に入れました。最後に残ったのは太田に買ってもらった小さなルビーの指輪だけ。

そんな苦しい時期が続いたある日、私たちの命運を分ける1本の電話が鳴ります。それはNHK『メガロックショー』の担当プロデューサーからでした。彼は音楽班から演芸班に異動になっていて、結成10年以下の若手しか出られない『NHK新人演芸大賞』に出てみないか、というのです。

こんなありがたい話はない。けれど、「いまさらネタの賞レースなんて」と太田はこの話を蹴ってしまうのではないかという一抹の不安が過りました。けれど、太田に聞くと、「なんでもやる」と言う。そしてコンビニバイトで忙しく、イマイチ乗り気でない田中を説得したんです。

「みっちゃんがコンビニでバイトを始めたっていうのは大きな転機だった。ちゃんとやらなきゃな、なんとかしなきゃな、って思ったよ。自分に対する情けなさっていうのもあったしね」

太田は後になってそう言っていました。

ちょうどNHK新人演芸大賞と同じ時期に出演のチャンスを掴んだテレビ朝日の『GAHAHAキング爆笑王決定戦』でも、10週勝ち抜けばチャンピオンというルールの中で数週間勝ち抜いていました。この流れに乗れば、もしかしたら爆笑問題は復活できるかもしれない。そんな予感がありました。

結果、NHK新人演芸大賞では大賞を受賞。漫才師としては初の受賞でした。また、GAHAHAのほうも、10週をストレートで勝ち抜き、初代王者としてレギュラー出演も勝ち取ったのです。

こうなってくると、仕事がそれなりに増えてきます。マネジャーが必要ですが、当時の爆笑問題を引き受けてくれる新しい事務所なんてありません。一度ついたマイナス・イメージは簡単に払拭できるものではありません。むしろ業界では一層大ごとになっていて、噂に拍車が掛かっていました。

再ブレイクのきっかけを掴んだ爆笑問題。ここで光代氏は、彼らをもう一度、太田プロに復帰させるという“ウルトラC”に向けて動き出すことになる。だが、掟破りの独立騒動は、ここからとんでもない展開を見せるのだ。

本記事の全文は「文藝春秋」2024年2月号と「文藝春秋電子版」に掲載されています(太田光代氏の連載「お笑い社長繁盛記」第1回)。

(太田光代/文藝春秋2024年2月号)

《1本の電話が自爆した彼らを救った》太田光代が明かす爆笑問題の黒歴史「掟破りの独立騒動」 外部サイト 【画像】タレント時代の太田光代氏 榊原郁恵さんが明かした、渡辺徹さんへの「ごめんね」と「ありがとう」の40年 「ダーツ方式で…」急逝・八代亜紀(享年73)9カ月前に明かしていた五木ひろしとの“激突”秘話

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