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小5で生き別れた母が死去、手紙には「会う資格がない」と…児童養護施設出身の戦隊俳優・古原靖久(37)が語る「家族」への想い

〈4年前に突然「お母さんは病気で亡くなった」とDMが…“16歳の母”に捨てられた戦隊俳優・古原靖久(37)が語った、両親との別れ〉から続く

2005年に人気ドラマ『野ブタ。をプロデュース』(日本テレビ系)で俳優デビューし、2008年2月から放送されたスーパー戦隊シリーズ『炎神戦隊ゴーオンジャー』(テレビ朝日系)で主演を務めた俳優の古原靖久さん(37)。

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古原さんは、高校を卒業するまで児童養護施設で暮らしていた過去を持ち、YouTubeや講演会などで自身の経験を発信している。そんな彼に、母の死に直面したときの心境や、自身の生い立ちを公表した理由、家族の問題に悩む人々へのメッセージなどを聞いた。(全3回の3回目/1回目から読む)

小5で生き別れた母が死去、手紙には「会う資格がない」と…児童養護施設出身の戦隊俳優・古原靖久(37)が語る「家族」への想い
俳優の古原靖久さん©深野未季/文藝春秋

◆◆◆

母の死を受け入れられなかった理由

――お母さんが亡くなられたことを知ったとき、どのような気持ちでしたか。

古原靖久さん(以下、古原)受け入れちゃうと心が壊れちゃうような気がして、だから多分受け入れないようにしていました。「いや、だってお母さんは今まで元々いなかったじゃん」みたいな。お葬式にも行ってないし、顔を見てないから、今でも「どこかでまだ生きてるんじゃないかな」くらいに思っています。死んだことを認識してはいるけれど、受け入れていないような。

――お母さんは実際、古原さんの活躍を見ていたのでしょうか。

古原見てくれていたそうなんですよ。亡くなった後に手紙なんかがいろいろ出てきたらしくて、「やっちゃんがすごく頑張っている」みたいなことが書かれていて。「すぐそこにいるけど会えない、会いに行く資格がない」といったことも書いてあったらしいと聞いたんですけど、僕、そのへんの記憶もぼんやりしていて。

きっとその記憶が「お母さんが死んだ」という事実に直結してしまうから、思い出せないんじゃないかな。約4年前の話だから結構最近なのに、お母さんのことになるとあんまり覚えていないんですよね。

――傷つかないために、そうやって生き抜くしかなかったと言いますか。

古原そうかもしれません。僕、そういう生き抜く力みたいなのをすごく身に付けてきたように思っていて。それは育った環境がそうさせたというのも、もちろんあるんですけど。

スマホが通じないアフリカの秘境に行って“気づいたこと”

――大人になってから、ご自身の生き抜く力や環境への適応力を感じたことはありますか?

古原僕が出ている『秘境×鉄道』という番組で、これまでいろいろな秘境に行ってきたんですね。秘境って人よりも動物のほうが多くて、一度アフリカに行ったんですけど、電波が通じなかったりスマホを持っていない人たちがたくさんいる場所で。

そこで電車が来なくて、3時間、4時間、5時間と待ち時間が発生して、僕、本も持ってないし電波も通じないしで、やることがなくなって。そのとき、同じように電車を待っていた現地の人たちは何をして過ごしていたと思いますか?

――例えば、寝たりとかですかね。

古原みんな空を見上げてるんですよ、ずっと。だから「何やってるの?」と聞いてみたら「え?何もしてないよ」と言われて。「でもさっきから空を見ているよね、何かが飛んでいたりするの?」と聞いても「いや全然、何も」と。

そうしたら相手が「君は何を焦っているんだい?」と僕に言うんです。僕が、電車を待ちながらも何か焦っているように見えたみたいで。

「電車なんて来るまで何もしようがないんだから、別に焦る必要はないんじゃないか」と言われた時に、当たり前のことを言われているんだけどなんだか感動して。

考え方ひとつで生き方や人生は変えられる

――確かに、私も何か待ち時間が発生したらスマホを触ったり本を読んだりしちゃいます。何もしていないと、変に気持ちが焦るような。

古原ね。だから僕もそのとき、みんなと同じように空を見上げて時間を過ごしてみたんです。すると心が無になって、だんだんちょっとした変化が面白くなってくる。「あっ、太陽が雲に隠れたなぁ」「お、雲から太陽が出てきた」とか、ちょっとした動きが楽しくて。

――本気のデジタルデトックスのような。

古原徐々にスマホも何もない環境に適応していきました(笑)。そのときの経験は人生の中でも学びになっていて、例えばSNSで見たくないことがあるときは、僕はアプリをアンインストールしたりするし、デジタルデトックスするようにしていて。考え方ひとつで生き方や人生は変えられるんじゃないかな、と今は思ったりしてます。

児童養護施設で育った経験を発信するワケ

――古原さんはご自身の生い立ちを公表されていますが、いつからお話しするようになったんですか。

古原僕、最初から隠していないんです。ただ表立ってわざわざ言わないというだけで。以前所属していた事務所は「会話の中で出ちゃったら仕方がないけど、施設出身だということを押していくのはやめよう」というスタンスでしたけど、僕としては「もう、別に隠したりする時代じゃないな」と思う部分もありました。

むしろ僕が話してみんなに知ってもらったほうが、僕のあとに同じような経験をする人々のためになるでしょう。

――自分と似た経験をした人がいる、という事実だけでも救いになることがありますよね。

古原そうですね。今は事務所を辞めてフリーになったので、これまでよりも表立ってそうした活動を行えるようになりました。最近はYouTubeで自分の経験を話したり、講演会に呼んでいただいたりしながら、裾野を広げています。

僕が苦しんでいた時代は、頼れる人がいなかった。本当は自分のことを話せる人や、相談できる人がほしかったんです。そうしたらもっと、気持ちが楽だったんじゃないかなと。

当事者の人の講演会なんかにも僕は行ったことがなかったから、心を和らげる方法を自分で作り出すしかなかった。なので、そういう生き抜く道を知ることができる機会は、重要なんじゃないかと。

マイナスなことから離れるのは、負けでも逃げでもない

――多分このインタビューを読んでいる人の中には、家族関係や過去の傷のことで悩んでいる人も多いと思いますので、何かメッセージをいただけないでしょうか。

古原僕は基本的に「自分が何かに対して大きな責任を抱えている」と思い過ぎないほうがいいと考えています。色々なことに関して。例えば家族の問題ですけれど、親やきょうだいと関わることが自分にとってマイナスになるのであれば、離れてしまってもいいと思います。「離れられない」というのは互いに「依存」しているケースもある気がしていて、なかなか難しい問題でもあるんですが。

――いわゆる「共依存関係」にあるケースですね。

古原でもそれでずっと何年も心を病んでしまうくらいだったら、少しだけ勇気を出してその場を離れる決断をするのも大事なことだと思うんです。これは会社を辞められない人にも当てはまりますけど、別にそこから離れることが負けでもないし、逃げでもない。

家族や他の人に対して責任を感じてしまうと思いますが、僕は「別にこの人が抜けても代わりがい(あ)る」ことのほうが多いと考えていて。責任感が強いからこそ、行動できない人が多いわけだし、人ってもっと自由に生きていいと思うんです。

家族に対してもどこか「自分がそばにいてあげないと」とか「育ててもらった恩に報いないと」という気持ちになることはあると思いますが、どうしても苦しいなら一度「付き合わない」決心をしてみる。

いつかまた付き合わないといけない時が来るかもしれないけれど、一度距離を置いてみることで、自分や相手の意識が変わることもあるし、関係性が変わることも多い。そういう風に「離れて」生きてみるだけでも、生活ってすごく楽になると思います。

虐待をしてくる親や相手のためにも、一度離れること大事

――日本的な価値観で言うと「家族と距離を置く」ということに対してすごく抵抗を感じる人が多いような。「育ててもらったのに恩をあだで返すの?」という目を向けられることもありますし。

古原ありますね。でも僕は「私には私にしかわからない事情があるし、あなたにはあなたにしかわからない事情がある」という考え方に尽きると思っています。私が生きやすい方法は私にしかわからないと言いますか。そういう心の逃がし方をしてあげてもいいのかなと。

例えば、虐待をしてくる家族と距離を置くことに対して、罪悪感を持つのではなくて「私が離れることによって家族が変わるかもしれない」と少しずつ気持ちを変えていったり。もしかすると「一緒にいるから」そういう関係性になってしまうのかもしれないじゃないですか。だから自分だけじゃなく、虐待をしてしまう親や相手のためにも、一度離れる。

――離れるための理由を作るというか、大義名分みたいなものがあるだけでも自分が救われますよね。

古原そうです。離れることに対して、マイナスではなくプラスの面を見つける作業が大事。「私が家族と距離を置くことで、こんな良いことがあるんだよ」というのを見つけて、自分に言い聞かせることで意志が強くなると思うので。

そうやって自分が生きやすくなるための大義名分を作ってあげると、心が楽になるんじゃないかな、と僕は思っています。

撮影=深野未季/文藝春秋

(吉川ばんび)

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