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元日本代表・武田修宏 高校3年生のときに広瀬すずの叔母と交際していた

〈「おばあちゃんが漏らしたモノを掃除していた」小学生で“寝たきりの祖母”を介護…元日本代表・武田修宏(57)が明かす“ヤングケアラー時代”〉から続く

黎明期のJリーグを牽引し、引退後もタレントとして活躍しながら日本サッカー界の向上に努めてきた、元日本代表の武田修宏(57)。

【貴重画像】イケメンすぎる…“広瀬すずの叔母と付き合っていた”高校時代の武田修宏さんを写真で見る

そんな彼に、越境進学で受けたバッシング、恩師である清水東高校の監督・勝沢要の指導ぶり、広瀬アリス・広瀬すずとの意外な接点などについて、話を聞いた。(全3回の2回目/3回目に続く)

元日本代表・武田修宏 高校3年生のときに広瀬すずの叔母と交際していた
元日本代表の武田修宏さん©釜谷洋史/文藝春秋

◆◆◆

越境進学で受けたバッシング

――静岡県立清水東高等学校には越境進学しましたが、そこまでしても入りたかったわけですよね。

武田修宏(以下、武田)全国高等学校サッカー選手権大会で清水東高校の優勝を見て、「すげえ、絶対にここに行くんだ」と思ったんですよ。清水東高は進学校で、そこも「文武両道、かっこいい」って。

――でも、越境進学したことでバッシングが。

武田当時は、「浜松で育ったら浜松」って考えだったから。学区を越えて清水東に行くのって、あんまりいいことではなかったんですよ。静岡は西部とか中部とか、ライバル同士で火花をちらしてたんです。浜松、清水、藤枝あたりはバチバチだったけど、それがあったから強くなっていったんでね。

浜松から清水に行っちゃったら、浜松の人たちは、そりゃあ気分がよくないわけですよ。「浜松で育って、浜松の小学校、中学校に通ったのに、なんでライバルの清水に行くんだ」っていうね。で、新聞に学区を越えて清水東高に行く奴がいると書かれて。俺、中学3年生だったけど「新聞でもこういうこと書くんだ」って傷つきましたね。

――本来だったら、浜松のどこへ進むことに。

武田浜松北高とか浜名高校ですね。通ってた中学校に、清水東高の勝沢(要)監督が俺に会いに来てくれたんだけど、みんなに反対されて追い返されたという。それくらい、浜松は清水をライバル視してましたからね。

――追い返すって、すごいですね。

武田中学だけじゃなく、地元のみんなからも反対されたからね。ただ、なにか悪口を言われるとか、白い目で見られるとかは一切なくて。ただただ、清水には渡さない、という感じで反対されたんです。

勝沢監督が中学に来た件も、最初は噂みたいな感じで聞かされたんですよ。「清水東の先生が来たけど、追い返されたらしいよ」って。それで会えなかったんだけど、勝沢監督は俺に渡してくれって色紙を置いていったんですよ。その色紙に「自信を持って逆境に勝て。厳しい環境の中で揉まれて強くなってください」って書いてあって。

――状況が状況だけに、その言葉にはグッと来ますね。

武田それで、俺は躊躇なく清水東に行った。そのままだと越境進学になるから、家族に協力してもらって、ちゃんと清水に引っ越しましたよ。母親も働いていた浜松の病院を辞めて、清水の老人ホームに転職して。俺は清水東のOBの家に下宿して、そこから高校に通いましたね。兄貴は浜松の家に残りましたけど。

下宿先に「調子乗ってんじゃねえぞ」と嫌がらせの電話が…

――下宿先には、武田さん以外の方も。

武田OBの人の子供が大きくなって独立したので、部屋が空いてるってことで。空き部屋が2つあって、俺と愛媛から来た部員でそれぞれ下宿して、3年間住んでましたね。朝飯を作ってもらって、学校に行って、練習して、帰ってきて、0時に寝て。まあ、寮みたいな感じでしたね。

やっぱり、人様の家だから迷惑掛けるわけにいかないから、規則正しい生活を送っていたけど、嫌がらせの電話とか掛かってくるんですよ。それが申し訳なくてね。

――電話で、どんなことを言ってくるのでしょう。

武田「調子乗ってんじゃねえぞ」って、他の高校の人から。俺、1年生の時点で全国大会の得点王になったから、すごい人気があって、そういう電話が下宿先に来るんですよ。中学の時も注目されてたから、1年の時に相手チームの人から思いっきり肘打ちされたり、「おまえ、ふざけんな」とか言われて試合中に殴られたりしてたしね。そういう嫌がらせとかちょっかいは、いっぱいありましたよ。

でも、しょうがないんじゃない。有名になっちゃうとさ。今はそういうのはダメだけど、俺らの頃はプロでもすごかったけどね。昔は応援歌とかひどかったから。

――どんな応援歌ですか。

武田Jリーグ開幕の時に浦和レッズとやったんだけど、『大きな古時計』の替え歌を歌われて。「♫大きなノッポのでくのぼう♪読売の武田♫今はもう使えない読売の武田♪浦和レッズ!」と大合唱だよ。いまだに歌詞を覚えてるよ(笑)。

――逆に燃えますよね。

武田燃えた。それ聞かされて「絶対に点取ってやる」って、2点取って勝った。親父や家のことで、ハングリー精神が培われてたから燃えたね。俺、カズ(三浦知良)のことが好きなのは、カズも若い時にいろいろあって苦労してるから。なので、とんでもなくハングリーだし、真っすぐな性格なんだよ。そんな2人が一緒だったから、ヴェルディ川崎って強かったんじゃないかな(笑)。

人間力みたいなものを叩き込んでくれた勝沢監督

――勝沢監督には、サッカー以外でもいろいろと教えられたところが。

武田人間力みたいなものを叩き込まれましたね。挨拶とか基本的なことはもちろん、授業中に寝てたなんて聞くと呼ばれて怒られるし。勝沢監督は東京教育大学を出ているから、勉強もちゃんとやって、文武両道じゃないとダメだって考えだったんですよ。

あと、面倒見も良くて。身体の調子が悪かったら、鍼に連れて行ってくれたりとか。「なんだ、調子悪いのか?じゃあ、鍼行くぞ」って。僕らも逆らわなかったけど、大事にしてくれましたからね。昔の監督って、そんな感じじゃない?

――勝沢監督から父性みたいなものを感じたりは。

武田そういうのは、まったくないです。とにかく厳しかった監督で恩師ですよ。あの厳しさがあったからこそ、高1で全国高等学校サッカー選手権の得点王になれたし、大会優秀選手になって高校選抜のメンバーに選ばれてヨーロッパに行けたし。

背番号10番を、1年生で背負わされたことでも鍛えられましたしね。名古屋グランパスで監督をしている長谷川(健太)さんも清水東で、先輩なんだけど、いまだに冗談で言われますよ。「俺はお前が入ってくる前の年に清水東高で優勝してんのに、なんだって1年のお前が10番を付けるんだ」って。10番ってそういう背番号だから、相当なプレッシャーですよ。

勝沢さんからの厳しい指導、1年生で名門校の10番のプレッシャー。それに耐えうるメンタリティを鍛えられたよね。

「こんなこと、やるな!」荒れた学校で不良に注意したことも

――「勉強もちゃんとやっていないとダメだった」とのことですが、武田さんもしっかりと。

武田勉強もやってましたよ。自分、中学の時まで成績は必ず学年で10番以内に入ってましたし。バラエティに出るようになってバカなキャラみたいになっちゃったけど、けっこう優等生だったんです。

中学が荒れてたって話をしたけど、校内暴力がけっこうあった時に、ガラス割ってる不良と先生の間に入って、「こんなこと、やるな!」って不良に注意したこともありましたね。

――不良から一目置かれていた。

武田ですね。だから、学校でなんかあったら不良と先生の間に入っていったし、向こうも話は聞いてくれてましたね。なんだろう……喧嘩とか揉め事が昔っから嫌いで。俺、レッドカードって一度ももらってないんですけど、そういうのと一緒です(笑)。

高校サッカーだったら武田、高校野球だったら清原・桑田

――高校の頃は、アイドル級の人気を。武田さんが試合に出ると、グラウンドに集まりすぎた女性ファンが壁になって風がピタッと止んでしまうほどだったと。

武田だって、昔は高校スポーツといえば、甲子園と高校サッカーしかなかったんですよ。若い選手が注目されるスポーツって。

そういうなかで、1年生で10番、得点王になると、『プチセブン』とか『明星』の表紙になったり、なにかと『ズームイン!!朝!』なんかのテレビでも紹介されるから。

風が止むってのは大袈裟だけど、合宿所にドーンとファンレターが来たり、練習が終わると学校の前で女の子たちが待ってたりしてましたね。

――女の子たちは、武田さん目当て。

武田ですかね(笑)。あの頃、高校サッカーだったら武田、高校野球だったら清原さん(清原和博)、桑田さん(桑田真澄)のKKコンビって感じですよ。それぐらいの人気は確実にありましたね。

高3のときに鳥取国体に出たけど、清原さんと桑田さんも出ていて。試合を見に行ったら、すごい人気でしょ。だから当時は「ライバルは清原、桑田」ってコメントしていましたよ。

広瀬すずさんから「私の叔母さんと付き合ってましたよ」と言われ…

――大人気のなかで、広瀬アリスさん、広瀬すずさんの叔母と交際を。

武田高校3年生のときね。高3でサッカー部の活動が終わって、知り合いからその方を紹介されて「あ、素敵な人だな」って。で、1年ほどお付き合いさせていただいたのが広瀬さんの叔母だったんですよ。その方の名字が広瀬じゃなかったし、広瀬すずさんが静岡出身だなんて知らなかったからね。

全国高等学校サッカー選手権の解説をやったときに、広瀬すずさんとご一緒したら「私の叔母さんと付き合ってましたよ」って言われて「えー、そうだったの?」って。

――どんな雰囲気のお方で。

武田めっちゃ、綺麗。それでいてチャーミングというね。静岡でも綺麗で有名な方でしたね。

大学に行かず、業団で働きながら選手として活動

――高校卒業後は、読売サッカークラブへ。

武田有名私立大学から推薦の話もあったんですけどね。筑波大に行った井原(正巳)やゴン(中山雅史)ちゃんとか、当時は大学に入るのが当たり前だったんだけど、俺はひねくれてたというか、親父に似た勝負師的な気質ゆえにリスクを負うのが好きだったというかね。それで、みんなと逆の道を選んで、読売クラブに入ったんですよ。

――実業団ですから、働きながら選手として活動されていたと。

武田静岡第一テレビの出向社員ということで、銀座にあった静岡第一の東京支社で働いてましたね。読売クラブは日本テレビ系列で、静岡第一テレビも日本テレビ系列で。静岡第一テレビの社長が、うちの子会社へ出向という形で働いて、サッカーをやりなよと言ってくれたんですよ。

9時に電車で銀座に着いたらマクドナルドで朝飯を食べて、9時半に出社して、11時半まで掛かってくる電話の応対をして、そのあと、広告代理店にスポット営業へ行って。で、ラモス(瑠偉)さんと一緒に小田急線でよみうりランドのグラウンドに向かって、14時ぐらいから練習してました。兄貴と一緒に6畳一間のアパートで暮らして、こたつに布団を敷いて寝て。そんな生活を18歳から3年続けて。

――ちなみに、お兄さんはサッカーを。

武田兄貴は静岡県立浜松北高等学校に進んでサッカーをやってたんだけど、辞めちゃって。その後に大学に進んで、ちゃんとした会社に入って。今は奥さんと娘と3人で暮らしています。

――給料はどれくらいでした。

武田手取りで20万。でも、1年目にMVP、新人王、ベスト11、日本代表に入って、それでタダじゃ申し訳ないからといって、読売クラブのほうから5万ぐらいボーナスっぽいのくれましたけどね。

あと、2、3年したら、プロ・リーグが出来るからってことで静岡第一を辞めたんですよ。

ヴェルディ川崎時代に、手取り20万円から年俸1億2000万円へ

――Jリーグが発足すると知って、武田さんも湧きましたか。

武田すでに発足の2年くらい前から、読売クラブと日産自動車サッカー部が日本サッカーのトップを争って盛り上がってたから。発足1年前にカズが読売に入って、さらにブワッとなって。その盛り上がりが続いた状態で、Jリーグは始まったんでね。まあ、発足時はプロ野球を超える盛り上がりでしたよ。

――Jリーグ発足によって、読売サッカークラブがヴェルディ川崎となって、武田さんの年俸は1億2000万円。それまで手取り20万円だったから、戸惑いみたいなものが生じたのでは?

武田いやいや、たしかに20万円でやってきてたけど、1億2000万を現金で渡されるわけじゃないから。あと、やってることは普段と変わらないし。練習して、帰って、寝て、起きたら、練習して、っていう毎日で、使う暇もないんですよ。だから、プロになって最初の頃は使うといってもポルシェを買ったりするくらいで。

でも、発足3年目から1億2000万だったのが6000万とか、どんどん下がっていったからね。

――とはいえ、月に1000万円使っていたという話も。

武田使うときはね。だって、年俸が1億2000万だったんだもん。それに、明日死んでもいいように、生きたいように生きてたし。とにかくサッカーが生活の軸だったしね。じゃなきゃ、手取り20万円でサッカーやってないですよ。

まあ、それでも引退間近の33歳のときに、人に預けてた1億5000万円を溶かされちゃって、全財産が0円になっちゃうんだけども。

撮影=釜谷洋史/文藝春秋

〈身内から1億5千万円の“横領被害”…「全財産を失い、チームもクビになった」元日本代表・武田修宏(57)が、“失意のどん底”から復活できた理由〉へ続く

(平田裕介)

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