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青木さやかが実感したワンオペ育児のツラさ 離婚後にパニック症
母との関係に悩み、現在は中学生の娘を育てる青木さやかさん。そんな彼女が、母との関係を振り返りながら、自身の娘との関係を見つめるエッセイ『母が嫌いだったわたしが母になった』(KADOKAWA)を上梓した。ここでは、同書より一部を抜粋。娘が2歳のときに離婚し、シングルマザーとなったばかりの頃の心境や苦労を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)
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青木さやかさん(撮影=後藤利江)
◆◆◆
引っ越しで心機一転
娘が2歳の時に離婚した。
離婚と同時に、わたしはそれまで住んでいたマンションから三軒茶屋の細長い戸建てに引っ越した。生活圏も変えた。変えたかったのだ。夫も共に仲良くしてきたマンションの住人たちに感謝はしていたが、今しばらくは距離をとりたかった。詮索されることにも、同情されることにも、付き合える元気はなかった。
娘と2人の新生活が始まった。
離婚前半年くらいは、夫と別居していたので、2人の生活はこれまでもしていたのだが、心機一転というやつだ。
細長い戸建てのおうちは、娘がとても気にいっていた。東向きの玄関を入るとすぐ右手に5畳ほどのお部屋。そこにセミダブルのベッドをぎゅうぎゅうに置いて寝室にした。廊下突き当たり右にお風呂があり、左に2階へ上がる階段がある、2階には15畳ほどのリビングダイニングキッチンがあった。東側にウッドテラスがあり、そこに出てお気に入りの灰皿とメンソールの細いタバコを持って一本だけ吸う。離婚が決まって再開したメンソールのタバコ。部屋はいたるところから光が入るようにうまく設計されていた。至近距離に立つ隣家からは全く見えないのだが、日はふんだんに入り、明るくて気持ちのいいリビングだった。天井には、ウッド調のシーリングファンが回っていた。
わたしは、誰からも見えない目隠しのあるおうちの中で太陽の光をもらって、少しずつ少しずつだけど、元気になっていった。
仕事のギャラより高い、娘を預ける代金
しばらくすると幼稚園が始まった。その幼稚園は、家から車で20分。お弁当持参。午前中もしくは14時にお迎えだったので、家の近くの保育所も併用した。
お迎えに行かれない時はシッターさんにお願いをした。週に一度はパパ宅に行くことになっていた。
世間でいうところの、シングルマザーになったわけだが、この生活は想像をはるかに超えて大変だった。いや、そもそも、想像もしていなかったのかも。常に出たとこ勝負だ。
ある日夜まで仕事があり、幼稚園と保育所とシッターさんに順々にお願いしたのだが、計算してみると、今日の仕事のギャラより娘を預ける代金の方が高いのだ。こんな日はけっこう多かった。
これは大丈夫か?仕事をすればするほどお金がなくなるけれど、え、世の中って、これが普通?と頭に浮かびながら、「いや仕事を断るという選択肢はないよね、だって断ったら仕事がなくなってしまう、なくなるということは生活ができない。それに、わたしは、仕事がしたい、ずっと家で娘と2人きりで過ごし続けるのもつらい、あっという間に煮詰まってしまう、イライラしてしまう、そんなものを娘にぶつけたくはない、娘が悪いわけではないのだもの。ごはんをこぼしてもぎゃーぎゃー言っても危ないからやめなさいと言うことをやっても、それが子どもというものだから、娘の機嫌はわたしがとるとして、余裕のなくなったわたしの機嫌は誰がとってくれるの、専業主婦の人たちはどうやってるの、見当つかない、仕事への行き帰りが唯一の息抜き、それでいいのか」と自問自答。毎日そんな思いが浮かんでは忙しさと疲労で何も解決せず、毎日は進む。自分の勝手で離婚したのだから自分だけで行けるところまでは行かなくては。
家に帰ると、娘はアリエルのネグリジェを着て保育所で覚えてきた、あたりまえ体操を何度も見せてくる。なんと可愛いのだろうか癒されます幸せですお願いですから3回くらいでおしまいにしていただけないでしょうか。笑顔が引き攣りながら、今夜も、こう言ってしまうのだ。
「もう寝なさい」
とにかく、疲れていた。
翌日生きるために寝なくてはならない。
毎日の目標は「倒れない」であった。
離婚後、パニック症になったこともあり、仕事もいつまで続けられるのかわからなくなった。
離婚とパニック症
最初はパニック症だとはわからなかった。ただ、フラフラと倒れそうになることが増え、そりゃ疲れているものな、と済ませていたが、そのうち心臓がバクバクして息が吸えない、死んでしまうのではないか、と恐怖を感じるようになった。
離婚して間もなくの舞台中に、そんな状態になり、休みのたびに様々な病院を訪れて心臓から脳から調べたが、特に問題はなく、もしかしたら心因性のものかもしれないですね、と指摘され、心療内科に行くことになった。
薬でだいぶおさまってはきたが、家にいてもフラフラすることもあり、2人で暮らしているのにわたしが突然倒れたら幼いこの子はどうしたらよいのかと考えると、ますますフラフラバクバクしてきて、途方にくれた。寝室は1階にして、もしママに何かあったら、窓を開けて助けてくださいと言いなさいね、と教えこんだ。ママが起きません、さあ、どうする?窓開けて?と、お稽古をさせたりもした。まだ携帯も使えない小さな子どもと2人きり。心配で心配で、さらに心が疲弊した。
きっと本当は、一刻も早く助けが必要だったのだが、そんな状況にあることは誰にも知られたくなかった。知っているのはマネージャーさんと近しい先輩だけ。ただでさえ、離婚で仕事が減るような気がしているのに、その上パニック症だなんて知られた日には、わたしは、誰にも、笑ってもらえないのではないか。離婚してヤバいやつなのに、パニック症なんて、さらにヤバいやつだと、思われるのではないか。発想も陰に陰に入っていくのだ。アリ地獄に親子2人だけで落ちていくようだ。
離婚に対して、心の病に対して、差別意識がある人が多いに決まっている。わたしがかつて、そうであったように。
サービスを利用する元気すらない
そもそも、なぜパニック症に?
はっきりとはわからないが、ストレスと疲労から許容範囲タンクがいっぱいになり、水が溢れてしまったような気がする。
なにが疲れたって、人と不仲になり別れるという行為はきわめてエネルギーを奪っていく。さあ別れましたきつかった日々は忘却の彼方、というわけにはいかず、傷つけたという自戒の傷と、傷つけられた傷は、絆創膏くらいじゃおさえられない。
今考えると、シングルマザーで幼い子と2人で暮らし親戚も近くにおらずという生活は、通常だと死亡レベルに心身が疲れると思う。どう要領よく頑張っても。国や区のサービスを調べれば、いろんな手助けをしてくださるものが見つかるが、そこに連絡しようという元気がまずない。本当に、ないのだ。サービスを利用させてもらったのは、少しばかり元気になってから。あまりにも元気のない当時、欲しかったのは、美味しいごはんと、子どもの世話をしてくれる安心できる誰かと、お金であった。わたしは仕事が忙しかった時の貯金を切り崩しながら毎日を過ごした。ギャンブルや様々なことでだいぶ減ってはいたが、お金は大事だ。
1階のベッドをぎゅうぎゅうに置いた狭い部屋で、娘に、やはりこう言う。
「早く寝なさい」
寝てくれるから、なかなかおっぱいはやめることができなかった。おっぱいをあげていると安心して眠るのだ。
「ママ、ととして」
ととして、とは、とんとんして、ということだ。わたしは、娘が生まれてからずっと眠る時は、ねんねんころりよを歌いながら、とんとんしてきた。3歳になり、ようやく朝まで寝てくれるようになったが、それまでは3時間おきに娘は起きた。そのたびに、とんとんしながらおっぱいをあげた。2、3年、3時間しか続けて眠ったことがないのだから、そりゃ疲れる。
ようやく娘が眠った。寝顔を見て、
「可愛い」
と、呟いた。寝てくれると、本当に、可愛い。お願いだから、よく寝てほしい。
子どもと生活することがここまで大変だったとは
娘が眠ると、隣でスマホを開き、何も考えず、LINEツムツムをやり始めた。一度課金したら、毎日のように課金するようになった。数万円は、課金しているに違いない。ある時、LINEのパーティーなるものに行き、ずいぶん課金させていただいたから手当たり次第食べてやる!と意気込んで誰とも話さず美味しい料理を食べ続けた。おかげで、帰り道食べすぎで気持ち悪くなって吐いた。
そのうち、バカバカしくなって課金をやめた。
この時期、わたしは疲労から何度か倒れた。入院して点滴をしながら数日仕事に通った。
疲れていた。
子どもと暮らしながら生活することが、ここまで大変だったとは。
誰も教えてくれなかったもんなあ。
子どもは宝で、可愛いという情報しか入ってこなかったもんなあ。
ここにきて、責任を持って子どもを育てられないなら産むなと言われても、親になってみないとわからないよ。
離婚したのは自業自得?そうだが、そうなのだが、ワンオペがここまで大変なことだとは。今気づいたから、ヘルプミーと言うのは無責任なの?
倒れて、死んで、初めて、なら助けを求めればよかったのに、と言うんだろう、そうだろう?世間って、そうだろう。
「自分で選んだことなので、後悔しないように」という母の返信
母にはメールで離婚を伝えた。こう返信があった。
「自分で選んだことなので、後悔しないようにしてください」
わたしは、声をあげて泣いた。
あなただけは、
大丈夫なにがあっても大丈夫
と言ってくれる相手じゃないのか。
親って、そうじゃないのか。
わたしは、だから、ひとりぼっちなんだ、だから、こんなオトナになったんだ、と、母を恨んだ。
(#2に続く)
「妊娠のツラさ・出産の痛みは壮絶」「子育ては想像の1億倍大変」それでも青木さやか(49)が“母になったこと”を後悔しないワケへ続く
(青木さやか/Webオリジナル(外部転載))
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